6、ファウストの亡霊 その2
少しずつ少しずつ話は進みます。
かつては王城の客間であったという、この飾り気のない部屋でリョウとカズヤ、それに向かい合うようにユウナとユリウスは腰を下ろしていた。ユウナと共に来たアーロンは扉の前で静かに立っている。
ユウナの装いは普段外で会うときに着ているような服ではなく、彼女の本来の身分に相応する立派な仕立てのものだった。黒を基調とした裾の長い落ち着きあるドレスに、所々に織り交ぜてある緑色の艶やかな刺繍。大胆に広げられた胸元には薄く白い布が縫い付けられている。髪の色に相まってまるで月夜の庭園に咲く薔薇のような雰囲気だ。
ユウナはこういうごてごてした服を好まないだろうな、と思いながらも、リョウはやはり彼女の生まれもった気品が強調される今の格好が気に入った。あんなお転婆少女がよくもまあ綺麗になったものである。
そんな馬子にも衣装を字でいくユウナは、自分の服装が気になって、そわそわしている。度々こちらに変じゃないか、と訊ねるような視線を送ってくる。リョウは右手の親指を立てて、似合っていることを教えるが、ユウナにはそれが一体何の合図なのか分かっていないようだった。
一方で予定していた面子が揃ったのに、一向に話の始まる気配がない客間。この四人の中で唯一全ての人間と面識があるのはユウナだけだ。ユリウスが咳払いをすることでようやくそのことに気が付いたユウナは慌てて相手の紹介を始めた。
「こちらが私の父上で元ルーデン公国国王、ユリウス・ヴァン・ルーデンス。――それで父上、こちらの二人が右からカズヤ、リョウ。ノイツのジョシュさんのところでお世話になっていたの」
「うん、話は聞いているよ。まずは二人とも、メンデルンまでご足労頂き感謝する」
元国王というから不遜な態度でこられると思っていただけに、意外にも気さくなユリウスにリョウとカズヤは最初驚いた。
「と、とんでもないです! 信じて頂けるか分かりませんが、別の世界から来たものなので不作法なことがあると思いますが宜しくお願いします」
リョウの言葉にユリウスはククク、と声を隠すように笑う。嫌な笑い方ではなかったのが、何が可笑しいのかリョウは気になった。
一頻り笑いを堪えるとユリウスは話を再開した。
「いやーすまない。真面目な顔で『別の世界から来た』と言われるとどうにも可笑しくてね。疑っている訳ではないんだ、気を悪くしないでくれ」
「は、はあ」
まあ、そりゃそうだ。リョウだって他人が自己紹介で「普通の人には興味ありません」なんて言ったら、笑いを堪えるのに必至になることだろう。――あれ? あの話に異世界人いたっけ? まあいいか。
「ユウナから君たち二人を呼んだ理由を聞いているかい?」
「あ、はい。城の魔導師の方が俺たちに会いたいって」
「その通りだ。彼は今、別件で城を離れていてね。明日ここへ戻って来たときに君たちと引き合わせよう。――それに他にも紹介したい人がいるしな」
他にも紹介したい人、というと一人心当たりがあった。
「あの、それってザハール伯爵のことですか?」
「ん? 何故君が彼を」
それにはアーロンが説明をしてくれた。
「ザハール様は先程お見えになっておられました。ユリウス様にお伝えしたいことがあるご様子でしたが」
「そうか。なら彼もここに呼ぼうか」
「それは嫌よ、父上。ザハールってなんか感じ悪くて嫌いなの」
突然ユウナが話に割り込んでくる。そんなにザハールのことが苦手なのだろうか。だがしかし、
――よく言ってくれた! それでこそユウナだ、とリョウは自分の意見を代弁してくれた彼女に感謝する。カズヤもザハールのことはあまり気に入っていないようで、ユウナの大胆な「嫌い発言」に少しほくそ笑んでいた。
「こらこら、ザハールなどと呼び捨てにしてはならん。今は王国伯爵なのだから」
「父上は国を売った者に優しすぎるわ!」
ユウナは呼び捨てしたことを嗜められたのが不服ではないようだ。顔に言い知れぬ悔しさが滲み出ている。何故そのような顔をしているのだろう。
ザハールが公国時代の宰相だとは聞いていたが、国を売ったとは穏やかじゃない。気になったので勢いに乗って聞いてみよう、とリョウは考えた。
「国を売った、とは?」
ユリウスは一瞬説明を渋ったが、ユウナが荒らしたこの場の流れには逆らえない、と仕方なく話してくれる。
「彼はゼストリアと楊が停戦した際に、ルーデン公国の王権を一時的にゼストリアへ譲渡する考えを進言したんだ。元々我がルーデンの経済状況は良くなくてね。その上、戦争に巻き込まれたお陰で国庫金は底をつきそうになっていたんだ」
「それで一度ゼストリアの庇護下に入って、経済状の回復を待とうと判断したのですね」
理解の早いカズヤが先を読んでそう言った。
「そういうことだよ。一時的に譲渡と言っても、殆ど放棄に近い。王国の我々に対する扱いを危惧していたのだが、ザハールが上手く取り持ってくれたお陰でこうして王国の公爵位を受け、実質的には戦前と変わらない統治が可能になっているんだ」
「なるほど。それでルーデン州の領主に 元国王がなっているのか」
「おいリョウ、ご本人が目の前にいるのに失礼だよ」
余りの話し掛けやすさにすっかり身分の違いを忘れていた。リョウは焦って謝罪する。
「あっすみません!」
「いいや、気にしないでくれ。全くその通りなんだからね。私はザハールによって生かされたと言っても過言ではないんだ」
「過言だわ! ザハールは自分のコネを使って上手く立ち回っただけだもの。その証拠にルーデンが属州になってからすぐに、執務をライアックに押し付けて、そそくさと王国に下賜された南の土地に移ったじゃない!」
「そ、それはそうだが」
「大体、父上はいつも他人に甘すぎるのよ。この前だってライアックにやらせればいい書類の整理をご自分でなさっていたじゃない」
「あ、あれは――」
「――母上のネックレスだって。母上、誕生日のお祝いに父上が買って差し上げた物にケチつけて新しいのをねだったくせに、ちゃっかり駄目だと言った方も首に着けてらっしゃるわ!!」
「そ、それは――」
減らず口もここまで来れば立派なものだ。確かにユウナの言うことにも一理あるとリョウも思う節がある。
ユリウスは困り果てた顔をしてユウナを宥めている。これではどちらがこのルーデンを統べている者なのか分かったもんじゃない。嫁にならいざ知らず、娘の尻にも敷かれては父親の面目丸潰れだ。――お転婆ここに極まれり。
あまりにユリウスが可哀想なので見かねていたカズヤが助け船を出す。
「あ、あのー」
「ん!? な、なんだね?」
「それで僕たちに会いたいという魔導師の方は、一体僕らに何をお聞きになりたいのでしょうか? 正直なところ、この世界について色々と教えて頂きたいのは僕らなのですが」
「おおっと、そうだね。すっかり本題を忘れていた。――君たちに聞きたいのは、『シキ』についてなんだ」
「…………!!」
空気は一瞬にして凍りついた。この場に『シキ』という単語を知りうる人間は、リョウとカズヤだけだ。それまでユリウスを責め立てていたユウナも一変した周りの空気に戸惑いを見せる。
何でその単語を知っているのか。リョウは、にこやかに『シキ』を口にしたユリウスに尋常じゃない疑心感が芽生えた。この世界に転移してから心の中で呟きはしたが、一度もその単語を口から発したことはない。――これは他にも誰か俺たちのことを知っている人物が一枚噛んでいる。
「どうしてそれを知っているのか、って顔をしているね」
ユリウスの顔は笑っていなかった。リョウとカズヤの額に汗が滲む。そして恐る恐るその理由を聞いてみる。
「……誰からそれを?」
「――『土塊』だよ」
「『土塊』!?」
その単語を聞いたカズヤは苦悶の表情に顔を歪める。彼がこれまであいつに受けてきた仕打ちを思うと、リョウも腸が煮えくり返る思いになった。出来れば二度とその言葉を耳にしたくはなかったが、あいつが何かを知っているというなら、話を聞かなくてはなるまい。
「ユリウスさん、詳しく説明してください」
ユウナはリョウとカズヤの顔が強張るのを心配そうに見ている。カズヤは今他人を配慮できる程の精神の余裕はないので、代わりにリョウがユウナに大丈夫だよ、と言ってあげた。
ユリウスはその様子を見て少し安心したように息を吐くと、両手の甲を顎にあて話し始めた。
「まず『土塊』のことだが、奴はメンデルンで一通りの事情聴取を終えた後、現在はルーデン北部にあるバスタッド監獄に収監されている。あそこに入れられている間は君たちに指一本触れることは不可能だろう。――カズヤ君、安心してもらって構わないよ」
「はい」
カズヤは若干顔色を良くする。
「それで奴はメンデルンでの事情聴取の時にこのようなことを供述した。――『あいつらの情報はゼストリアのある貴族から聞いた』とね」
「じゃ、じゃあ俺たちのような人間をゼストリアの人は知っているんですか?」
それは下手をすると自分たちは現実世界にいた頃よりも危険な状況下にいるかもしれないことを示唆していた。――この世界には魔法や妖術なるものが存在するのだから。
「いいや、恐らく大多数の人間は知らないだろう。だが、我々のように偶然君たちと知り合うことになった者が他には全く居ないという確証はない」
「つまり、『シキ』を知っている人間が他にも居るってことですね」
ユリウスはこくりと頷いた。
「我々は『シキ』が一体どのようなものなのか、全く知らない。ユウナは君がマナを視覚化できると言っていたが、本当なのかい?」
あれはよく覚えている。ユウナの体を流れていた光る粒子。その粒子と同じように振る舞う生き物のような炎。
「はい、確かにあの時は見えました。でも、『シキ』が一体なんなのか、なんて俺たちにもさっぱりで寧ろこちらが聞きたいくらいなんです」
「カズヤもリョウに触れたときに能力みたいなの使ってたわよね?」
そう言えばそうだった。リョウとカズヤはお互いがどのような力を持っているのか話したことがなかったのだ。ユウナはよく人を見ているな、と感心する。
「うん。――僕は自分以外の『シキ』の存在を感知する能力があるんだ」
やはりそういう力だったのか。あの時の「君も……『シキ』なのか?」というセリフの意味がリョウにはようやく分かった。――『シキ』を探知出来る力か!
「やっぱりね。『土塊』は君を使えば沢山の君の同胞を探し出すことができると言っていたから、そのような能力があると考えていたんだ」
「そこまで知っていて、俺たちに何をさせたいんですか?」
この世界にも『シキ』を知る者が増え始めていることは分かった。しかし、それではユリウスがリョウたちに何を求めているのかはちっとも伝わってこない。
ユリウスは体支えていた手を組み換えてから言う。
「君たちには『シキ』の力を使って、君たちの仲間を探して欲しいんだ」
リョウはそれを聞いて思わずユリウスを睨み付けてしまった。この人は俺たちがどんな目に遭ってきたかを理解していない、と。
ユウナもそれでは『土塊』のやったことと変わらないわ、と叫んで席を立ち上がる。
「誤解しないでくれ。君たちを『土塊』のように利用しようと言っているわけではないんだ。ただ協力をお願いしているに過ぎない」
「協力?」
その予想外な言葉にリョウとユウナの怒りは急激に萎んでいってしまった。カズヤも興味を示して食い入るようにその話を聞いている。
「ああ。『土塊』が言うには、――どうやら件のゼストリアの貴族にファウストの生き残りが関与しているらしい」
その一言で空気が一辺する。リョウもユウナもカズヤも――これまで口を開かずに傾聴していたアーロンでさえも、驚愕に目を見開いている。
――ファウストだって!?
「ユ、ユリウス様、それは余りにも無秩序な発言にございます」
狼狽えるアーロン。それもそのはずだ。ファウストの生き残り――生き残りという表現も少し的外れだが――には、宿屋のジョシュや執務官をしているというライアックも含まれるのだ。それでは身内の人間を疑っている発言に等しい。
「落ち着けアーロン、ちゃんと信憑性のある話なんだ。数日前から街区に奇妙な噂が流れているのを聞いているだろう?」
「あ、あんな世迷い言を信じられておられるのですか?」
「父上、噂ってあれのこと?」
ユウナたちは噂について何かを知っているようだ。ユウナは街をぶらついたりしているから理解できるが、アーロンやユリウスも把握しているとなるとその噂はかなり広まっているようだ。
リョウは協力を頼まれたのに置いてきぼりを喰らって悶々としていると、カズヤが噂について聞いてくれた。
「すみません。その噂ってなんですか?」
「そっかごめんね。あのね、最近街で『アモネイ様』を見掛けたって人が増えているの」
……アモネイ様? どこかで聞いたことがあるその単語に、リョウは記憶を掘り起こしていく。やがて、ノイツでの出来事を思い出した。
確かティーヤとヤン爺の風車小屋へ行ったときだった。ヤン爺が「アモネイ様のご加護を一新に受けた娘が、メンデルンへ向かっていくのを見た」と言っていたのだ。
あの時はその娘が『シキ』なんじゃないかと疑っていたような……。
「アモネイ……神話に伝わる風の神のことですね……」
なんでお前が知っている! カズヤは本当に自分と同じ転生者なのだろうか。ノイツでもこの世界について分からないことがあったら、リョウはまずカズヤに訊ねていた。異世界のことを異世界人に聞くなんて、こんな不可思議なことはないのだが。リョウは改めてカズヤの博覧強記っぷりに脱帽する。
「私もアモネイ様がいる、なんてふざけたことを本気で信じているわけじゃない。ただ、噂の者が風の魔法などを使った悪戯をしているなら、こんなに話が広まることでもない。何かあると考えたんだ」
「火のないところには煙は立たぬ、か。――それで父上は二人をお呼びになったのね」
可愛く腕を組んで考え込んでいたユウナは、やっと疑問の一つが氷解して満足気な顔になった。
リョウやカズヤにもようやくユリウスの意図が読めた。つまり、アモネイ様の噂には魔法やこの世界の人間が知りえない未知の技術――『シキ』の能力が関わっている可能性があるってことだ。リョウたちには街へ赴き、噂の解明に取り組んで貰いたいのだろう。
ユリウスはテーブルに手を起き、前屈みになってリョウたちに言った。
「分かってくれたかな? ここ最近、街区で噂になっているアモネイ様の正体を探って欲しいんだ。それを手伝うように城の魔導師には伝えてある。どうだい?」
上手くいけば自分たちの仲間を見つけられるかもしれない。ファウストの生き残りである、ジョシュやライアックに『土塊』の一件で疑われているのも気になるが、それはユリウスたちに任せることにしよう。
「分かりました。慎んでお受けします」
リョウのその一言にカズヤも頷くことで同意であることを表明する。それを見たユウナも、手伝うわ、と言ってくれた。――『紅姫』も力を貸してくれるなら怖いものなしだ。
「ありがとう! 感謝するよ」
「そうと決まれば、今日の観光ツアーは予定変更ね」
「ああ、なんか予期せぬオカルトツアーに参加しちゃったみたいだな、カズヤ」
「そうだね。――あのさ、僕だけ別行動でいいかな? 少し調べたいことが出来たんだ」
全員参加の流れを叩き切ってカズヤはリョウとユウナに提案した。
首を傾げる二人を前に銀縁眼鏡をくいっと持ち上げてカズヤは言う。
「――どうやら調べなきゃならないことが出来たみたいなんだ」