3、ユウナ・ヴァン・ルーデンス
下書きのデータが吹っ飛びました。泣きたいです。
息をするのも忘れて見惚れていた。
燃えるような赤色の髪は腰まで届き、まだあどけなさの残る顔立ちに、吸い込まれるような透き通った青い目。――容姿に反して周囲を見据えるその瞳に大人びた印象を受ける少女だった。
「『土塊』、ルーデンの民を脅かした罰は重いわ」
彼女の声はせせらぐ水のように静かに辺りへと響き渡る。美しく優しい声色に微かな怒気を孕んで。
「な、なんだ、テメーはぁ!」
突然の来客に狼狽えながらも、『土塊』は負けじと虚勢を張った。少女は風で少し絡まったのか赤髪を後ろ手で払い、名乗る。
「ユウナ・ヴァン・ルーデンス」
「ユウナ? 公爵家の!? な、なんで『コウキ』がこんなところに……」
彼女の名を聞いた途端、彼の態度に余裕がなくなっていく。リョウには何となく『紅姫』と読む気がした。彼女の髪が見とれるほどに綺麗な紅に染まっているからだ。
「――間に合ったみたいだな」
振り返るとアッシュが馬の手綱を引いて、こちらへ手を振っていた。どうやら応援に呼んだというのは彼女のようだ。
想像していた公爵家のご令嬢とは随分と感じが違ったな、と改めてユウナを眺める。何というか、普通の女の子にしか見えない。
「あの人が……」
「そう、ユウナ・ヴァン・ルーデンス様。かつてルーデン公国第一王女だったお方だよ。リョウくん、無事でよかった――ティータは?」
「はい、腹に一発物凄いの貰いましたが生きてます。ティータも無事です」
リョウは自分の体に何の異常もないことを示しながら、解放されたティータのことも答える。
「ハハハ、軽口を叩けるなら大丈夫だ! 本当に間に合ってよかった……。あとはユウナ様が何とかしてくださるから心配ないよ」
でも見た目はやっぱり普通の女の子だ。彼女はそんなに心配しなくていいほど頼りになるのだろうか。リョウの不安を余所にユウナは落ち着いた口調で『土塊』に話し掛けている。
「わたしは父上から盗賊騒ぎの捜査を言付かっているの。カサバでは随分と暴れたそうじゃない。まさか昨日の今日で隣町を襲撃するとは思わなかったけれど――この町にどうしても盗みたいものでもあったのかしら?」
「へっ……そこにいるガキを探してたのさ。そいつらの持ってる異世界の力で、盗みの効率をぐんと上げる。――そうすりゃ俺様の名声もどんどん……」
「異世界?」
その単語が引っ掛かってユウナは彼の話も漫ろにリョウを振り向く。リョウは突然の美少女の視線にどきまぎしながら、人差し指を自分に向ける。――えっ俺? あいつの話、聞いてあげなくていいの?
彼女はこくりと頷いた。
「異世界って、なに?」
「お、俺もよく分からないんだ。ここが異世界なのは間違いないと思うんだけど……」
「ふーん……」
キャッチボール自体は成功しているが、返ってきたボールの種類が違うような、そんな会話。リョウも彼女も互いに首を傾げてしまった。異世界の何たるかを知らないのに、ここが異世界なのは分かるって――自分で自分が何を言っているのか分からなかった。
「なあ……哲学は後にしてとりあえずそいつの話、聞いてあげたら?」
「ん? ああ、そうだったわ」
話の腰を折られたのが余程気に障ったのだろう、『土塊』は肩をわなわなと震えていた。
「……テメーら、俺様の素晴らしい計画についての話を無視しやがって――ただじゃ済まさねえぞ!」
先手必勝と言わんばかりに両手を地面に付ける。瞬間、彼の周囲の土が二メートル前後の高さまで盛り上がり、壁となって少女へ向かっていた。
「はあ、我慢が出来ない男は嫌いだわ」
ユウナは掌を前へかざす。――するとそこから激しく炎が吹き出した。それらは捻れ、やがて一つの大きな火の玉となって撃ち出されていく。壁は火の玉にぶつかると勢いよく燃えて崩れた。
『土塊』は今度はリョウを捕まえようとしたときに使っていた土の手を生み出す。リョウを襲ったときより倍以上の大きさになっていて、彼の上昇していく怒りのボルテージが窺えた。
ユウナはそれに対して、炎の槍を作り出す。彼女から放たれた炎はやはり人為的に姿を変えて、敵を攻撃する。
槍は土の手をいとも簡単に突き破って、『土塊』目掛けて猛突していった。が、直撃する寸前で彼の足踏みと同時に生まれた土のドームに阻まれる。――ユウナは小さく舌打ちをした。
これが魔法を使うもの同士の闘いか、とリョウはその後も続く一進一退の攻防に呆気にとられていた。
しかし、想像していた魔法とは随分と違って、詠唱も紋章も魔導書もなかった。それに凄く現実臭い印象を受ける。ただ手から炎を出したり、土の壁を作り出したり。――端から見ていると、出鱈目なサーカス団の演目を見ている気分になってくる。
だが、それらは明らかに魔法であることを感覚的に理解する出来事が起こる。――先程から二人の体内から魔法を使用する際に小さな白い光の粒子が飛び散っているのが見えるのだ。それは二人の魔法が本物かどうか見破ろうと、目を細めたことによって見えるようになったものだった。
例えばユウナが掌から炎を生み出すとき、粒子は体内――特に下腹部――から大量に掌へと移動する。また、炎が槍の形状に変化したときは、先にその粒子が槍の形を型どっていたのだ。炎はその中へと注ぎ込まれていた。
(あれってもしかして……魔力的な何かか?)
そう考えるとリョウは二人の次にとる行動が読めるかもしれない、と頻りにその光の粒子の動向を追うことにした。粒子はリョウの予想通りの振る舞いをしていった。
やがて『土塊』が地面から剣を取り出したところで確信に至る。――『土塊』が足で地面を踏んだときに、粒子が足から地面に流し込まれていたのだ。
「剣だ! 剣を取り出した!!」
気がつけばそう叫んでいた。
相当大きな声だったのか、集中を途切れさせたユウナが可愛い顔を歪めてこちらを振り向く。
「そんなの見れば分かるわ! 怪我したくなかったら大人しく見てて!」
「違うよ――剣を取り出すのが分かったんだ!」
「……!」
これには彼女も驚いたようで、慌てて『土塊』の攻撃を流しながら、リョウへ接近してくる。彼女は真横まで近付いたところで詳しい説明を求めてきた。
「魔法の発生が事前に分かったってこと?」
「うん、あいつが地面を足で叩いたときに光の粒子みたいなのが地面に注ぎ込まれてるのを見たんだ」
「光の粒子……あなた、マナが視認できたの!? そんなのわたしたちにも出来ないのに……」
どうやらリョウが見た光の粒子はマナというものらしい。ユウナの驚きようと言動から、マナが人間の目に見えるのは普通じゃないことのようだ。
「仕組みは分からないけど、突然見えるようになったんだ」
「それが異世界の力ってやつなの?」
「俺の世界では魔法なんか存在しないよ。ないものが見えたりなんかしたことないし、こんなこと初めてなんだ……」
「ねえ、なんだか分からないけど余裕がないの――あいつ結構な手練れみたいで……。もし、次も魔法を使うのが分かったらわたしに教えて!」
そう言ってユウナは闘いに話し相手を巻き込まないように離れていった。
(俺、何かのスキルに目覚めたのかな! なんかカッコいいよ、それ!)
『土塊』は相手に決定的なダメージを与えられないのに業を煮やしたのか、突然持っていた短刀を引き抜き自らの腕に切り込みを入れる。傷から滲み出た真っ赤な血を舐めとると、それを足下に吹きつけて両手を強く打ち付ける。――すると、無数の土の刺のようなものを生み出した。
「これで終わりだあ!!」
刺はみるみる成長していき、次々にユウナを狙って伸びていく。あんなもの、一撃でも受けたら人溜まりもない――リョウは固唾を飲んで、刺を避けるユウナを見守った。
しかし、その不安に反してユウナの身のこなしは実に鮮やかだった。
一本目を後ろに仰け反りながら避けると、二本目は後ろ手で地面を跳ねて避けた。次々に迫りくる土の刺を飄々とかわしていくユウナに、リョウは見とれていた。――ふわりと膨らむローブの裾から良いものが拝めるんじゃないかという下心も含めて。
「ねえ! ちゃんと見てる?」
「んーいや! 見えそうで見えない!」
「……クッ。でもあいつ魔法使ってるわよっ!」
「あ、魔法? ごめん、見てなかった!」
「じゃあ何を見てたのよ。しっかりしてよね!」
いかんいかん、真面目に協力しないと『土塊』に死ぬまでこき使われる羽目になるんだった。死因が「女の子のパンツを見ようとして、奴隷になったから」とか字面が悪すぎる。
「そんなカッコ悪い死に方イヤだっ!」
「え? なに?」
男はしっかりと自分に課された仕事をこなしてなんぼだ。リョウは『土塊』の動きに集中する。
ユウナの真後ろに光の粒子が集まり始めておるのを発見して、
「後ろだ! かがんで!」
彼女は言われた通り前にかがむ。寸手のところで背後から現れた刺を避けることが出来た。かわした彼女自身も驚いているようだ。――その後もリョウは彼女の死角を狙った攻撃を次々に予測し、報告していった。
次第に攻撃を読まれ始めたのを不自然に思った『土塊』が、リョウの助力によって彼女が不可解な動きをしているのに気づくまで、さほど時間は掛からなかった。
「テメエエエエ!! 『紅姫』に助言してやがるな! 邪魔すんなあああ!!」
怒号と共に立ち止まった彼は再び短刀を取り出し、腕に切り込みを入れ始める。どうやら刺の攻撃対象を追加するときは、その度にあの動作を繰り返さないといけないらしい。それは彼にとって弱点となる動きだった。
「余所見とは随分と余裕があったものね!」
ユウナは『土塊』の意識が他へ向いているその瞬間を逃さなかった。体を捻って飛び上がり、空中で両手を剣の構えるポーズにする。それから何もない右手を引き抜くと炎が剣の形を成して出現した。
「……ハッ、しまった!」
『土塊』は慌てて短刀を地面に突き刺して、ローブの中へ腕を滑り込ませる。そして土で出来た小さな人形を取り出して、頭上から迫りくるユウナに向けて放り投げた。――人形は周りの土をどんどん吸い込んで大きくなっていき、盾のように背中を丸めて彼に覆い被さろうとしていた。
「遅い!」
あはや土の人形が『土塊』を庇いきろうとした時、ユウナの炎の剣が人形を突き刺したのが一瞬見えた後、視界は強烈な爆風とそれで舞った粉塵で覆われる。周りの人間は爆風から身を守るために両手で顔を覆った。
数秒が経ち辺りが落ち着くと、そこには『土塊』の首先に炎の剣先を突きつけているユウナの姿があった。
「ここまでよ」
「……クソ……クソオオオオオ!!」
『土塊』の断末魔を合図に人形は主人を守ることなく瓦解した。両手を挙げ降参の意志を示す盗賊の長にユウナは満足して、炎の剣に息を吹き掛ける。剣は蝋燭の火のように鎮火していった。
盗賊の一味たちもそれを見て、次々と持っていた武器を捨てて投降し始めた。――一件落着したようだ。
リョウは銀縁眼鏡の青年もジョシュたちに保護されているのを確認した。彼の肩はわずかではあるが、上下していた。あの様子なら命に別状はなさそうだ。回復したら彼の知っていることを教えてもらおう。
空中を漂う光の粒子はまだあちらこちらで揺れていた。粒子は段々とその光量を失って、やがて霧散していく。まるで意志をもったように振る舞い続けていたそれらを、リョウはただ一人傍観していた。――そしてその姿をユウナは遠くから見つめていた。
盗賊達は自警団の皆に拘束され、荷馬車に括り付けられてメンデルンまで送られることとなった。アッシュはその馬車を護衛する任務を団長に命じられ、涙目で再び町を後にしていった。徹夜が確定した彼を、リョウは手を振って見送ることしか出来なかった。
ユウナは疲れてもう動きたくない、と言ってジョシュの宿屋で一泊してから後を追うことになった。聞けば彼女はよくメンデルンの城を抜け出してノイツやカサバを訪れているらしく、帰り道では高貴な身分でありながら、年が近しいティーヤ達と友人のように語り合っていた。町の人達もそれに馴れているようで、無礼な口を利くティーヤ達を咎めなかった。
宿屋に着くや否や、風呂にも入らないでそそくさと自室に籠ってしまった彼女から、リョウは『土塊』と戦っていたときの気高く強いユウナ・ヴァン・ルーデンスではない、ティーヤの言う「お転婆娘」のユウナ様を垣間見た気がした。
そんなユウナとは反対に生来綺麗好きであるリョウは、体が臭うので風呂に入りたい、とジョシュにせっついた。
最初は宿の風呂場は解放時間が決まっていて、こんな遅くには入れない、と固く断っていたのだが、ティータも入りたそうにしていたのを見て「し、仕方ない、今日だけ特別だぞ」と使用を許可してくれた。
かくして二人は宿屋の広い風呂場を占領していたのだが、湯船に浸かるリョウにはどうにも腑に落ちない点が一つ――
(……なんで俺はこんなにドキドキしているんだ!?)
そこには、男同士の入浴なのに何故か胸の動機が収まらないリョウがいた。なぜなら、
「リョウさん、石鹸取ってくれませんかー?」
「あ、あいよ~」
「ありがとうございます!」
「い、いいってことよ~」
「優しいんですね、リョウさん」
「そんなこと言うとお兄さん勘違いしちゃうよ……それとそのどっかの派出所に出てきそうな感じで呼ぶの、止めてくれない? 同い年らしいし呼び捨てでいいよ」
「ハシュツジョ? 何だか知りませんが分かりました、リョウ!」
(出来ればその無邪気な笑顔をこちらに向けるのも止めて頂きたい。)
……ティータが可愛いからだ。
ティーヤの双子の弟で髪の長さ以外はそっくりと聞いてはいたが、
(これじゃあ、髪の短いティーヤと風呂に入っているみたいだ……!)
キメの細かい真っ白な肌に栗色のショートヘアー。声もどうしてなのかティーヤより女の子っぽい高い。それにあのキュッとしまったお尻――いかん、男のケツに目が釘付けになるなんて! シットゥ!
ティーヤが風呂に向かうリョウに小声で「弟に変な気起こさないでね」と笑いながら言ってきたのを、そんなことあるはずないと取り合わなかったのだが、
(今なら分かる……分かっちゃう俺がいる!)
自分では気付いていないが、弱冠『シキ』の能力が目覚めたリョウは、他の何かにも目覚めそうのなっているのであった――