1、ここはゼストリア王国
チヒロの能力で飛ばされたリョウのその後の話から始まります。
改行1マス目に句読点が来たりしてるかもしれませんが、暫く文章を書くのに慣れるまで温かい目で見守っていただけると幸いです。
「……あら」
ティーヤは正面の木に寄りかかるようにして気を失っている、不思議な装いをした青年を発見した。
絹でも麻でもないキメの細かい布で出来た服に、肩には妙ちくりんな入れ物を下げている。入れ物は縁に沿って紐が通されてないのに、口がきっちり綴じられている。カバン、なのだろうか。
――この子、一体どこから来たのかしら?
早朝から始めた薬草採りで、ずっしりと重くなってしまったカゴを背中から降ろして、ティーヤはその赤茶色のふわふわした髪を風に揺らしながら、青年の口元に手をあてる。
息は、してるみたいだ。
でも何故こんな何もない森の中で倒れているのだろうか。
それに、ここ数日晴々とした良い天気が続いていたのに、この青年ときたらびしょ濡れではないか。まるでさっきまで雨にでも降られていたかのようだ。
「うーん。なんだかよく分からないけど、放っておくわけにも……ねえ」
そう言って彼女は、カゴを置いて青年の腕を自分の肩に回し、引き上げる。薬草の入ったカゴはあとでティータに取りに来てもらおう。
かくして青年の異世界物語は始まっていくーー
*****
「んっ……」
目が覚める。
ぼやけた視界が次第に鮮明になっていく。横の窓から射し込む陽光がリョウの視神経を柔らかく刺激する。
ここは自分の部屋でも、どこかの病室でもないようだった。リョウはベッドから体を起こし、辺りを見渡す。
木製の机に紫色のリンゴのような果物が沢山入ったカゴ、そこら中に散乱した見慣れぬ文字の刺繍された革表紙の分厚い本たち、窓の外に広がる石畳の道と両脇に立ち並ぶレンガ造りの家々ーーここ日本じゃない。――ヨーロッパ?
「ここ、どこだ?」
机の上の本の山から一冊を抜き取り捲ってみる。やっぱり見たこともない文字だ。全っ然読めない。読めないものをずっと眺めていてもつまらない。
リョウは窓から外を覗いた。
石畳の道を見慣れぬ格好の人々が往来している。皆、どう見ても日本人じゃない。
行き交う人が持っている大きなカゴには、この部屋にあるのと同じ果物や、他にも沢山の不思議な果物を抱えていた。
一番気になったのは、フランスパンのような形状の緑色のものだ。巨大なインゲン豆みたいであまり美味そうじゃなかった。
「うへー、ありゃ美味いのか?」
ボケーっと窓から外を眺めていると、ガチャリと後ろの扉がひらく。そこからリョウと同い年くらいの少女が入ってきた。
赤茶色の肩まで伸びた、先だけクルッとカールしたふわふわの癖っ毛。目鼻立ちのはっきりした、人懐っこそうな顔。くりっとした真ん丸い青い瞳。明らかに外国の人だ。
生まれてからこの十七年間、日本から一度も出たことのないリョウは彼女が異国の人だと知って焦る。やっぱ外国なのここ!? なんで!?
「ハ、ハロー、アイムジャパニーズ、ワタシエイゴハナセナイヨー……」
リョウが話し掛けるとそれに気付き、少女はニコリと笑ってこちらへ寄ってくる。
……ん、通じたのかな。俺の英語もどき。
少女は少し困ったな、という顔をしながらリョウに話し掛ける。
「えーっと、目が覚めたんだね、よかった。あたしの言葉、分かる?」
……って、日本語じゃねえか! リョウの顔が一気に赤らむ。うわー恥ずかしい。絶対バカだと思われた。この子ハーフとかそういう感じだったのか。あー早とちりしちまった。そこら辺に穴があったら埋まりたい!
「あーきみ、日本語、話せたんだね……」
「あれ、通じてる。ニホンゴ? なにそれ?」
「はえ?」
日本語、じゃないの? いや日本語だよね? じゃなかったら分かるわけない。
確かにさっきの本にあった文字は、どれも知らないものばかりだったし、よく見れば彼女の纏った服も変だし、外だってお誂えむきに中世ヨーロッパ風の街並みが広がっているし……。
ここは……もしかして……あれ、なのか? あれだったりするのか?
「ここは……どこなんだ?」
「ゼストリア王国ルーデン州、ノイツの町だよ」
「ゼス、トリ、ア?」
「そうゼストリア。あなた、この国の人じゃないわね? どこから来たの?」
やっぱりだ。ゼストリアなんて国、聞いたことがない。見たことない容姿の女の子、見たことない文字、見たことない紫色の奇妙な果物(ホントなんだあれ。不味そうだ)、ここは……異世界だ!!
どういう経緯か分からないけど、俺は今異世界にいる!!
「ふむ……」
「フム? 聞いたことない地名ね」
知らないわね、とティーヤは首を傾げる。
なるほどなるほど、そういうことね。そうと分かればまず情報収集だ! 存外RPGが好きだったリョウは、こういう状況に慣れ親しんでいた。
自分が何故こんなところにいるのか、なんとなくだが思い当たる節がある――チヒロのことも覚えてるし。俺あの時、殺されなかったんだな。
「あーいやなんでもない。俺は宮藤了。リョウでいいよ。君は?」
「そう。あたしはティーヤ。この宿屋で働いてるの」
「俺はどうしてここに?」
「あなた近くの森で倒れてたのよ。先日隣町が盗賊に襲われたらしいし、あなたもそうなのかと思って心配したわ」
森か。俺が歩いてたのは大都会のど真ん中だったし、これは間違いなさそうだ。
「そうだったんだ。ありがとう」
リョウはそう言ってベッドから降りる。立ち上がる時に少し布擦れの感覚が違うな、と思い自分の服装を確認する。
そしてそこでようやく気が付いた。
リョウは制服ではなく、ティーヤと同じような服装をしていた。
「え? ええ? なんで!?」
驚きながら体のあちこちを触るリョウに、ティーヤは説明する。
「あなた見つけた時ずぶ濡れだったから、勝手にティータの服に着替えさせちゃったわ、ごめんなさい。それにしてもあなた一体何者なの? あなたの来ていた服の生地、あんなの見たことないわ。少なくともこの国の物では無かった……」
腰に手を当て怪訝そうにリョウを見つめるティーヤ。確かに色々と説明しなければならないかもな――待って……き、着替えさせた!?
「も、もも、もしかして、き、君がき、着替えさせたのっ!?」
知らない女の子に裸を見られたのか! あーなんてこった! も、もうお嫁にいけない! ん? お婿にいけない!
ティーヤはリョウの動揺で何かを察してニヤついた顔で答えた。
「そうよ? だってびしょ濡れのまま寝かせるわけには行かないでしょ?」
「そんなあ! まだ誰にも見られたことなかったのに!!」
クスクスと声を押し殺して笑うティーヤ。頭を抱えながら悶絶するリョウ。
女々しくもじもじするリョウの肩にゴツゴツとした大きな手がガシッと乗る。すると、野太い男の声が後ろから聞こえてきた。
「ハハハ、大丈夫だ! 脱がせたのはオレだから、な」
いつの間にかリョウの真後ろにガタイのいい四十かそこらの大男が立っていた。いや全然大丈夫じゃないですって。じゃあ着させたのは誰って話ですよ。
でも、絶対防衛線だけは大丈夫だったみたいだ。リョウはズボンのような履物の中から、パンツの生存を確認した。
安心したリョウは自分に話し掛けてきた大男を見る。
男はもう片方の手で顎髭を擦っている。左目には縦に引っ掻かれたような傷痕が残っている。いかにもなオッサンだった。うーん、ヤバイお店なのかな、ここは。
「お父さん。お店はいいの?」
「なんだティーヤだけか? ティータはどこ行ったんだ? あいつ宿台帳を持ったまま出掛けやがったんだ……」
「ティータなら森へ薬草カゴを取りに行ってもらったわ。台帳はあたしが持ってる。ほら」
ジョシュはティーヤから台帳を受け取り、続けた。
「こいつはティータが運んだんじゃないのか?」
「ううん、あたしよ」
「じゃあ何でカゴをあいつが取りに行ってるんだ」
「あたしが置いてきたからよ」
「あのなあ、ならコイツをティータに担がせてきゃ良かったんだ。そしたら、カゴはお前がそのまま持って帰れただろうが。なんでそんなややこしいことしたんだよ」
「……あ」
「あ?」
「し、仕方ないじゃない。ヒトが倒れていたのよ。お父さんは薬草とヒトの命、どっちが大事なのよ!」
「そりゃヒトの命だが、ヤンさんの腰はどうすんだ? 娘のように可愛がってくれてるのに、泣くぞ? あの爺さん」
「な、なんでヤン爺が出てくるのよ! ズルいわ!」
今度はティーヤが顔を真っ赤にしていた。おっさん、グッジョブ。
はあ、仕方なねえな、とジョシュは頭を抱える。どうやら同じようなことがよくあるらしい。
ティーヤ、意外とおバカさんなのか? いかんいかん、助けてもらっておいて失礼だぞ。
呆れ返っていたジョシュは話題を変えてきた。
「なあところでお前さん、色々聞きたいことがあるんだが……もうすぐ店が書き入れ時なんだ。体が大したことないなら悪いが、ティータが戻って来るまで店手伝ってくれないか? 少しの間でいいんだ」
「ああ、構いませんよ」
助けてもらったのに何もお礼をしないわけには行くまい。リョウはティーヤ達の店を手伝うことにした。
*****
宿屋の仕事が一段落した頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。
ジョシュたち家族が使ってるらしきダイニングにリョウやティーヤたち三人は居た。ジョシュは難しい顔で俯きながら黙っていた。ティーヤも呆れた顔でジッとリョウを睨んだままでいる。
……………………沈黙が、痛い。
それを破るようにジョシュは口を開ける。
「……リョウって言ったな。お前さん……全然役に立たんじゃないかああああああ!」
ジョシュは頭を抱える。
いや本当に面目ない。俺はこの世界のことを何も知らんのですよ、ジョシュのおやっさん。
リョウは自分のあまりの不甲斐なさにすっかり気を落としてしまっていた。
手伝い始めてからというもの、こっち(店の受け付け)へ行っては仕事を増やし、あっち(掃除の必要な空き部屋)へ行ってはまた仕事を増やす。
そうこうしている内に、ヤンさんへ腰の薬を届けて戻ってきたティーヤに、もう何もするな、と気を失っていたときに居た部屋に押し戻されてしまったのだった。
「どっかの貴族様のご子息か何かか? 世間を知らなすぎる」
「すみません……」
「まさか硬貨の種類も知らないなんて……」
リョウは受け付けに居たときに来たお客さんに、硬貨の中で一番価値の高いという、ユリド金貨を宿代のお釣りに渡してしまったのだ。
ジョシュが会計箱を確認したときにはもう遅かった。
既に半日分の売り上げがパーになってしまった後だった。ジョシュは暫く燃え尽きた炭のように白くなっていた。
ジョシュもその事を思い出したのか、深く深ーく溜め息を吐いた。リョウは心の中で何度も謝っていた。
「お前さん、家でも飛び出してきたのか? そういや後で話を聞かせてもらう約束だったな。一体何があったんだ?」
「はい……あの、ティーヤ」
「なに?」
「俺が目を覚ましたとき言ってたでしょ。『この国の人じゃないわね』って」
「うん言ったわ」
「どうやらそうみたいなんだ。正確には『国』じゃなくて『世界』だと思うんだけど」
「それはどういう意味だ?」
ジョシュは急に表情を強ばらせた。『世界』という言葉に何か引っ掛かりを感じたようだ。リョウは気にせず続ける。
「文字通りの意味なんです。多分俺はこことは別の世界から来たんだと思います」
「……確かにそれならお前さんの使えなさっぷりに説明はつくが……」
普通聞いても信じられないような話をジョシュは真剣に受け止めていた。そんなに俺ダメダメだったんだな、とリョウは少し傷付いた。
「あはは……すんません」
「いや責めたかった訳じゃねえんだ。だが気になってな……仮にその話を信じたとして、一体誰がどうやって、何の為にお前をこの世界に連れてきたんだろう……」
「何の為に、かは分かりませんが誰がこんなことをしたのかは知ってるんです。多分『チヒロ』って奴の仕業です」
リョウはチヒロが生み出したあの眩い光の球を思い出した。
「チヒロ……そいつもこの世界にいるのか?」
「おそらく……」
チヒロもジュンやナツキたちと同じような光の中へ消えていったのを、リョウは見ていた。
ジョシュはうーん、と唸って考え込んでしまった。ティーヤもよく分からないって顔をしている。そりゃそうだ。俺だってあいつが何でこんなことをしたのか全く分からん。
暫く沈黙が続いた。やがてジョシュは何かを思い立って口を開く。
「事情は分かった。いやよく分からんが、分かった! とにかくお前さんは何故か別の世界からこっちへ連れてこられた。そして多分そのチヒロって奴にこの世界であわにゃならん。そう言うことだな!」
よく分からないと言うわりには飲み込みが早いな、とリョウは感心した。不思議だ。『シキ』について何も話していないのに……。
「今日の様子じゃお前さん、このまま放り出したら絶対にどこかの路上で食いっぱぐれるだろう? 無一文だろうしな。そこで提案なんだが、暫くの間この店にいながらこっちのことを学んでいくってのはどうだ?」
「え、そんな、いいんすか!? あんなに迷惑かけたのに」
「そうだね。そうした方がいいよ。あなた少し、いや、かなーり心配だし」
それまで黙って話を聞いていたティーヤも賛同する。嬉しいけどこれ以上傷を抉らないで、お願い。
「ああ、だが自分の食い扶持くらいは自分で何とかしてもらうぞ。ここで店の手伝いをするのはどうだ」
あーなんて心優しい父娘なんだ。リョウは涙腺が熱くなった。その代わり俺のなけなしのプライドはズタボロだけどね。
「あ、ありがとうございます!!」
「よし、そうと決まりゃ明日から働いてもらう。朝は早いからさっさと寝ろ」
「はい! ティーヤもありがとな」
「いいってことよ」
ティーヤはハイハイ、と手を振ってみせた。こうして見ると結構な美少女だ。なんか俺、こんな子と一つ屋根の下で暮らすって、もしかしてラッキーなんじゃね?
リョウはそんなことを思いながら席を立ちかけて何かを思い出す。
「あれ? そういやティータって人は?」
――その時だった。
「た、たたた、大変だああああああああ!」
店の近くで町の人が叫んだ。
声の主は勢いよく店の扉を開けてこう告げる。
「例の盗賊団が来た!! て、ティ、ティータがぁっ!!」
それを聞いたリョウたち三人は、驚愕のあまり呆然と立ち尽くしてしまった――