11、ファウストの亡霊 その7
珍しくオフだったので、映画見に行ってました。今日の更新はこれ一本だけです。
ヤンの雰囲気はノイツで会ったときとは全く異なっていた。但し、服装は以前と変わらない。変わっていたら、恐らくカナデはそれがヤンだとは気付かなかっただろう。
「到着されていたのでしたら、お迎えに上がりましたのに」
神父はともかく、フィラルドのヤンに対する態度はちょっと意外だった。昨日ののほほんとした感じはなく、緊張しているのがこちらからも見てとれる。
「ウォレット、わしは仰々しく扱われるのが苦手なんじゃよ」
今更だが、神父の名前がウォレットだということをヤンのセリフで初めて知った。
ウォレット神父は恭しくお辞儀をすると、当然だと言うように返す。
「それが仕事ですから、ヤン学司」
「主のそういうところは良いところでもあり、悪いところでもあるよ」
やれやれ、とヤンは肩を竦める。
「ヤンさん!」
カナデはまるで前を歩いていた友達を呼び止めるように名前を口にした。ウォレットは一瞬ぎょっとした表情になって何かを言いたげにカナデを振り向いたが、フィラルドがそれを止めた。
ヤンは神父たちの陰に隠れていたカナデを見つけると、目を見開いた。
「お嬢ちゃん! 本当にメンデルンに到着していたのじゃなあ!――ん、その格好は? 昨日の可愛らしい服はどうしたんじゃ?」
「可愛らしいって……昨日は変だって言ってたよね?」
「いやいや、今のが本音じゃよ、すまんすまん。――お嬢ちゃんは異世界人だからなぁ」
「!」
どうしてそれを知っているのか。カナデは心臓を引き抜かれたかのような顔をする。
「なーに、お嬢ちゃんと会う前にも可笑しなことを言う若いのがノイツを訪れたんでな。そういうのが他にもおるかもしれん、と薄々思ってたんじゃよ。その事でも話があるから、こうしてメンデルンまで赴いておる。――な、フィラルド殿」
「へ? あっいえ、ぼく、私はまだ何もお伝えしてないかと。――ってあれ? 学術司祭とはお目にかかるのは初めてですよね?」
「何だ、まだ話してなかったのか?」
ヤンはウォレットにそう言うと、ウォレットは申し訳なさそうに話した。
「すみません。昨日の今日でお越しになるとは考えてなかったもので」
「まぁノイツに早馬が来たのも今朝方じゃからな。早くから起きている老いぼれにしか戸を叩く音には気が付けまいて」
ほほほ、と笑うヤン。
ウォレットはヤンの冗談にどう返せばいいのか分からず、何とも言えない顔になっている。
「あのー、イマイチ状況が掴めませんが、こちらには以前王都からお渡しした文書の依頼を手伝って頂けるのではないのですか?」
「おっとすっかり忘れとった。――いかにも。今日わしはフィラルド殿の研究に助力するためにメンデルンへ来た次第じゃ」
「早馬を出したのは私ですよ」
それを聞いてぱあっと表情が明るくなるフィラルド。突然訪れた要人の目的が判明して、心がすっかり楽になったのだろう。
「で、では早速王城の書庫を開架し――」
「――たいが、まずは朝食を頂きたいな。わしは朝は抜かない主義なのじゃよ」
「は、はあ……そうですね」
フィラルドの反応は本当に分かりやすくて、面白い。カナデは朝からお腹を抱えて笑うことが出来たので、今日は良い一日になるな、と思ったのであった。
教会には神父や修道士が使う食堂が備わっている。
そんなに広々とした場所ではないが、四人が向かい合って朝食を取っていても空席が目立つ。
「教会にはウォレットさんの他に人は居ないの?」
「ええ。楊とゼストリアが戦争を始める祭に身寄りのない者は皆、コーラスフィアの聖堂に預かって貰っています」
「はい。ゼストリアの南、海に面した綺麗な街ですよ。聖職者の街なんです」
「へえー」
言うなれば疎開みたいなものかな。カナデは教会に人が少ない理由を理解した。
「あーでも、確かこちらの客室には誰かお泊まりになっているとか……」
「……そうですね。正確にはまだ空室なのですが、明日からお泊まりになる方がおりまして」
「そうだったんですねぇぇ」
フィラルドは怪訝そうな眼差しでウォレットを見やる。何か恨めしいことでもあるような雰囲気だ。
「こ、これは本当なんですよ!」
「そうなんですねぇぇ」
「…………」
そんな二人を愉快そうに眺めていたヤンが口を挟んだ。
「ウォレット、彼はわしの開架権をあてにしてルーデンに来られたのだから、わしの客のようなものじゃ。他国の者だったからいって、あまり失礼な態度は取らんでくれよ?」
「……き、肝に銘じておきます……」
「ありがとうございます、ヤン学術司祭」
「よいよい。わしは何もしとらん」
ヤンはフィラルドとカナデを交互に見てから、二人にウインクをしてみせた、と思う。確信が持てないのはヤンの目が眠っているように見えるほど細いからだ。
朝食を済ませると、フィラルドたちは街の中央区にある城に出掛けていった。城は南端に位置するこの教会の窓からもよく見える。
フィラルドの研究に必要な資料のある書架は、ヤンともう一人の魔術師しか入退室が出来ないようになっているそうだ。
魔術師の方は別件の仕事で街を離れており、フィラルドに書架の閲覧を可能に出来る人物はルーデンにはヤンだけ、ということになる。
もっともヤンは「それだけのためにメンデルンまで来たわけじゃない」と言っていたので、何か他の用事があるのだろう。
そちらの用事について尋ねると、答えてはくれなかったがどうやらカナデのことも関係しているらしい。
メインの用事は明日らしいから、二人が戻ってきたら聞いてみようと思っていた。
「カナデさん、洗濯物を干してきてくれませんか?」
ウォレットに手伝いを頼まれたのは、フィラルドたちを見送ってから数刻した昼前だった。
物干し竿は礼拝堂と、カナデたちが泊まっている宿舎を繋ぐ渡り廊下の上だそうだ。
「衣類は教会の左隣にある孤児院の子供達が洗ってくれているはずです。それを受け取ったら、なるべく均等になるよう竿に吊るしてくださいね」
その間私は買い出しに行きますから、とカナデに 洗濯の他に宿舎内の掃き掃除を言付けて、さっさと外へ出掛けてしまった。
そう言えばウォレットもフィラルドと同じように要人に会うために着る服(?)を羽織っていたが、ヤンには付いていかなかったことに後になって気が付いた。
「教会の神父さんだし、きっと色々と忙しいのよね」
あまり深くは考えなかった。考えたところでカナデには分かりっこない。
カナデは頼まれたことをさっさと片付けてしまおうと、教会の勝手口から出て隣にあるらしい孤児院を目指すことする。
カナデが孤児院の門扉を開くと、錆びた鉄の擦れる音を聞いてぞろぞろと建物の窓から子供達が顔を出し始める。
すると女の子の一人が建物から出てきて、カナデを出迎えてくれた。
女の子は窓から覗くだけの子供達より年上のようだ。この子に訊けば洗濯物について教えて貰えるかもしれない。
カナデは手を振りながら近づいてくる女の子に手を振り返す。
「こんにちはっ、お姉さん」
「こんにちは。ここに大人の人、いるかな?」
「シスターはお姉さんとこのウォレットさんと出掛けたよ」
「私のこと、聞いてるんだ」
「うん! あたしたちと年が近いから仲良くしてあげてって今朝、背の高いお兄さんが言ってたの」
「そうなんだ」
多分フィラルドだ。今朝随分と早くから起きていたみたいだが、そんなことまでしていたのか。
「カナデよ。よろしくね」
「あたしはミナ。カナデちゃん、洗濯物取りに来たんだよねっ」
こっちよ、とミナは孤児院の裏へ案内してくれた。
井戸は孤児院をぐるりと半周したところにあった。カナデたちが移動するのに合わせて、窓を変え窓を変え外の様子を窺う子供達が面白くて、ミナと二人で笑ってしまった。
「ふふっ、みんな人見知りなだけだから許してあげてね」
「気にしてないよ。ここに人が来るのは珍しいことなの?」
「珍しいかな。ここにはウォレットとジョシュしか来ないから」
ミナはそう言いながら井戸水を汲み上げて洗濯をしている二人の子を呼ぶ。
「教会の人が洗濯物取りに来たよー」
「あっミナだ」
「ミナちゃん、もう少しで終わるよお」
暫くミナたちとお喋りをしながら洗濯の残りを手伝うカナデ。
少し話しただけで子供達はすぐにカナデになついてきた。シスターのこと、ウォレットのこと、明日から教会を訪れる人はゼストリアの伯爵だということなど、沢山のことを教えてくれた。
カナデが洗濯物を干すため孤児院を出ようとすると、皆もついていきたいと言って聞かなかった。
シスターさんの許可なく無闇に施設内を出るのはダメだと、ミナが皆に注意したのだが、教会のステンドグラスと珍しい客であるカナデを観察出来るチャンスは中々訪れないだろう。好奇心が完全に勝っていてミナも結局「少しだけなら」と流されてしまう始末である。
かくしてカナデとその他大勢は教会の渡り廊下の上で洗濯物を干す作業に入っていた。
水を多分に吸い込んだ修道服はずっしりと重く、カナデよりも背丈の低い子供達は服を竿に掛けるだけでも四苦八苦していた。
人数が多いだけで作業が滞ってしまうのでは、手伝いのために子供達を連れてきた、という大義名分は成り立たない。
「もう面倒くさいから使っちゃうか。――皆、この事は他言無用だからね、いい?」
そうは言われても子供達は、何のことだか分からない。とりあえず変事はしておこう、みたいな感じで疎らに頷く。
それを確認したカナデは風を呼び起こす。
風はカナデの手に合わせて踊り、次々と洗濯物を持ち上げていく。
子供達は唖然としていた。一人が思い出したように叫ぶ。
「ま、魔法か!」
「えーちがうよお。カナデちゃんからはマナを感じられない」
「じゃあ何だよ、これ」
うーん、と皆して唸る子供達。
疑問に答えてやりたいが、能力を使って細かい作業をしている間は他のことにかまけてなどいられない。洗濯物に意識を集中させる。
「――ふう。どう? 凄いでしょ!」
現実世界でこうして能力を使ったときはとても嫌な反応をされたものだ。
それに比べてこちらの世界は魔法というものが存在するからなのか、子供達も最初は驚きこそすれ、割りと目の前で起きた現象を素直に受け止めてくれていた。カナデにはそれが嬉しかった。自分の存在が否定されていなくて。
「凄いけど、魔法じゃない……」
「そうだよ。私は『シキ』っていうの」
「それは何なの?」
「分からない。でも、私の世界では稀にこういう力を持って生まれる人がいるんだ」
カナデの説明に付いていけず、皆固まってしまっていた。
――しまった。「私の世界」とか「シキ」なんて、こっちで伝わるわけないか。
しかし、子供の順能力は半端じゃない。次の瞬間にはカナデの奇妙な力に周りはどっと湧いた。
「な、なんだかスゲーな! それ!」
「カナデちゃん、俺らにも使えるかな?」
「カナデちゃんカッコいい!」
思い思いに凄いとかカッコいいなんて言われてしまい、すっかりその気になってしまったカナデ。済ました顔で色んなことをやって見せた。
「――確かに魔法じゃない」
小さな竜巻を作って子供達をキャッキャ言わせていたカナデの背後に、突然聞き覚えのある嫌な声がした。
石をぶつけられた猫のように物凄い反り返りを見せながら、カナデは振り向く。
「――お前を迎えに来た」