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存在証明式(仮)  作者: 御劔ツカサ
第一章 コード:アクティベイション
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10、ファウストの亡霊 その6

今回もカナデ回。フィラルドはどんどん周りに誤解されているような。笑

 本当に日が暮れ始めてしまっている。

 カナデはフィラルドに手を引かれるままに学区の小路を歩いていく。

 思えば今日一日、もしかしてそうなんじゃないかと思っていた節があった。

 

 ――夢じゃない?


 道幅は狭く、二人の人間が横に並んで歩くことは出来ない。向かい側から人がやってくる時は身体を縦にしなければ互いに通ることは出来ない程だ。

 すれ違う人の視線は皆、フィラルドを通り過ぎた後にカナデの服装で留まる。


 ――変な服なんかじゃないのに。


 白と黒のドッキングワンピースはカナデのお気に入りの一つだ。お召かしして隣街のデパートに行くはずだったから、これを着たのだ。


「――もうすぐ着くから」


 フィラルドは泣きじゃくる赤子をあやすように柔らかな声で、もう教会が近いことを教えてくれる。

 着く、というのは目的地に向かった場合に使う言葉だ。教会はカナデの目的地ではない。

 

 もし、現実の世界からアルスヘインに来ているのだとしたら――


 これからのことを考えるだけで首の後ろから背中にかけて痺れが走る。ママにくだらない嘘がバレて叱られた時のと同じような痺れが。


 そうだ。きっとママも心配している。早く帰ってママを安心させたい。パパはまだお仕事で家に帰ってきていないだろうから、私が居なくなったことを知らないのかな。


「……どうすれば、いいの」


 最早溢れた声が震えていることを隠す余裕もなくなっていた。周りに誰も居なかったら、きっと途方もない寂しさや怖さで胸の奥から叫んでいるだろう。

 その声を聞いていたのか、フィラルドの握る手に力が入ったのを、カナデは感じた。


「心配ないよ。僕も君と同じ頃に一人で生きていかなくちゃならなくなったんだ……」


 ――だから、初めて会う私にこんなに優しくしてくれるのか。同情されてるんだな。

 フィラルドの過去に何があったのかは知らない。

 でも、例え憐憫の情で優しくしてくれているだけだとしても、カナデには頼れるものはそれしかない。握られていない方の手で、ワンピースの裾を強く掴む。


 自分はなんて弱いんだろう。一人じゃ何も出来ないなんて。


 皆にはない力を持っていることで、何だか自分は特別な存在だと勘違いしていた。一人じゃフィラルドに優しくして貰うのが関の山だった。


 『シキ』であることがバレて、クラスから浮いていた時期、カナデとそれまで仲良くしていた友達は悉く彼女と距離を置いた。

 カナデはある意味それが正しい反応だと思ったので、「私を遠ざけないで」とは言わなかったし、言えなかった。


 特別な人間には特別な扱いがあって然るべき。そう考えていた。


 だから小学校に上がる前、ママに学校での力の使用は禁止、と言われたときは素直に「なんで?」と思ったものだ。

 風を自在に操れるなんて、普通の人には出来ない。それはそうだ。でも、それだけだ。きっとママはそう言いたかったんだと思う。


 今なら自分から離れていった友達に「待って」と言える。私も皆と同じ、一人じゃ何も出来ないんだよ、と。


 しかし、それでは『シキ』とは一体何なのか。

 あっても何も得することがないではないか。ただ他人に疎まれるだけで。

 言ってみればババ抜きのジョーカーみたいなものだ。――『シキ』の力を除けば周りと何も変わらない、普通の人間なのだから。


 そう思うと何だか無性に腹が立ってきた。

 なんで私はあんなにクラスの皆から嫌われなければ行けなかったのだろう。理不尽だ。


 でも、シュウくんは違った。

 シュウくんはカナデの力を知った後も普通に接してくれた。意地悪だったが。

 そう言えば最初にこの世界が夢じゃないかもしれないと疑ったときに、帰りのチャイムと共にシュウくんの声を思い出していた。


「――シュウくぅん……」


 凄く会いたい。凄く凄く。

 意地悪をされてもいいから、顔を見たい。声を聞きたい。ドルクエをやりたい。


 あんな中身が全然違う、ニセモノのロマルアなんか嫌だ。お気に入りのワンピースを変な目で見てくる人たちなんかイヤ。


「――ャ…イヤ!」


 突然口から漏れた拒絶の言葉に驚いたのはフィラルドだった。気がつけばフィラルドはカナデの手をかなり強く握っていた。指の付け根が少しズキリと痛んでいた。


「ご、ごめん!」


 フィラルドはそう謝ると握っている手を緩める。

 ――ごめんなさい。ありがとう。そうじゃないから。


「違うの。痛くなかったから離さないで」


 それを聞いてほっと胸を撫で下ろすフィラルド。

 それでもやはりカナデの手を強くは握らず、しかし決して離すまいとしっかり握り返してくれた。

 ――なんでこんなに優しくしてくれるの。私の何を理解してくれたの。

 


「ねえ、私の気持ち、分かるの?」


「分かるさ。――一人は心細いよね。でも大丈夫! これからは上手くやっていけるから!」


 フィラルドはやたらと溌剌に、無駄にポジティブにそう答えた。

 分かっているようで、分かってない。でも、少しだけ元気が戻った気がする。

 上手くやっていける、か。そういう言葉を望んでいたのかもしれない。

 カナデは立ち止まると、フィラルドがこちらを振り向くのを待ってから姿勢を正してこう言った。


「――よろしくお願いします」


 他人にお世話になるときには必ずそう言いなさい、とママに口酸っぱく言われてたっけ。

 あの頃は「お願いします」なんて、「自分一人では何も出来ません」って言ってるみたいで嫌だったな。

 ――でも、今のは素直に言えたな。


「うん、任せて。――ほら、着いたよ」


 声につられて見上げると、緑色の映えるステンドグラスが美しい、質素ながらも包容力を感じさせる教会が建っていた。

 そしてその玄関には、フィラルドの帰りが遅いのを心配していたのか、黒い修道服に身を包んだ痩せこけた顔の神父が待っていた。



*****



「もう、心配しましたよ。急に居なくなってしまわれたので」


 神父はフィラルドの後ろをちょこちょこと付いてくるカナデに目を向けると、笑顔を少しだけひくつかせた。


「すみません。ちょっと色々あって」


「……そちらの方は?」


「え? ああ、カナデちゃんです。連れてきちゃいました」


 おいおい、それでは誤解を生んでしまうのでは。カナデはフィラルドの危なっかしい発言を心配する。


「…………な……」


「はい?」


「不潔なっ!!」


 その人の良さそうな顔からは想像もつかない、凄みのある怒号に二人は体が少し浮いた。


「ふ、不潔!?」


 フィラルドは何のことだかさっぱりという表情。

 なんかこの人、こういう絶妙なタイミングで舌足らずだなぁ、とカナデは感心すると同時に深く溜め息を吐く。


「な、なに!? カナデちゃんまで」


 きっとこの神父はフィラルドが小さな女の子をたぶらかしたのだと勘違いしているのだと思う。

 そんなこと、私の見た目をみればあり得ないことぐらい分かってもいいのに。どれだけ信用されてないんだ、フィラルドは。


 厳しい表情でフィラルドを睨み続ける神父。それを面食らった顔であたふたしながら見ているフィラルド。

 もうこれでは埒が明かないと判断して、カナデはそれまで握っていた手を振りほどき、フィラルドの前に進み出る。急に凄い勢いで手を振りほどかれたフィラルドは「へ?」と間抜けた声を漏らす。


 そして、年相応の女の子とは思えない落ち着いた物腰で神父に自己紹介した。


「こんばんは。私はカナデと言います。訳あって身寄りのない私をこちらのフィラルドさんに拾って頂きました。今晩だけでいいので、こちらに泊めてもらえませんか?」


 カナデの丁寧な説明に神父はひとまず納得してくれたようである。身寄りのない、という単語に深く何度も頷いていた。

 よし、これはいけそうだ。カナデは腰の下でガッツポーズをする。女の子は逞しい生き物だ。フィラルドは相変わらず理解が追い付いていない様な顔をしている。


「なるほど、よく分かりました。カナデさんはウチで暫く預かることにしましょう」


「本当ですか!? ありがとうございます」


 本人よりも先に礼を述べるフィラルド。カナデは下げかけた頭を元の高さに戻してフィラルドを睨む。フィラルドはごめんごめん、という風に両手を合わせていた。


「――こほんっ。ではカナデさんにはフィラルド助祭の使用されているお部屋の隣を使ってもらいましょう。部屋の中は先週偶々手入れをしましたので、そのまま使える状態になっていると思います」


「それは良かった。ね、カナデちゃん――って、えええっ!?」


「ん? 何かご不満でもありましたかな、フィラルド助祭」


 フィラルドは何か言いたげな雰囲気だったが、ひっそり「まあ、分かってたけどね……」と呟くと、「何でもありませんよー」と不貞腐れた子供のような態度で返事をした。

 それが少しフィラルドらしくて、カナデは少し吹き出してしまった。


「君まで酷いなぁ」


「――ごめんなさい。つい可笑しくって」


 もうっ、とフィラルドは口を膨らますが、ほんの僅かに元気になったカナデを見て微笑む。そんな二人の様子はまるで兄妹のようだった。


 神父も穏やかな表情で一連のやり取りを眺めていた。


 この先の不安は一向に解消されないままだったが、カナデはここでなら問題ないと思えたのだった。




 神父の言っていた通り部屋は綺麗な状態になっており、着替えればすぐにでもベッドに潜り込めそうだった。


 カナデは神父の計らいで寝間着と明日の着替えである、修道服を貰っていた。

 修道服は分かるのだが、どうしてこの教会に自分にぴったり合う女子用の寝間着がストックされていたのかは疑問である。他に年の近い子がここで暮らしているのだろうか。


「まあ、いいや。ないと思ってたものがあるのは助かるよね」


 素直に着替えることにした。これからお世話になる身、足りないものにケチをつけるのも失礼なのに、あって困らないものには文句を言えまい。神様のバチがあたる。


「神様のバチ、かぁ」


 神様と言えば、カナデには引っ掛かっていた神の名がある。

 それは、アモネイだ。


 風の神様と聞いたからには自分の持っている能力の手前、何だか他人事に感じられないところがあるような。

 確かフィラルドはそのアモネイ様を調べにこの国を訪れたそうだし、彼には随分と世話になった。

 明日、恩返しのつもりで何か研究のお手伝いをさせて貰おうと考えながら、カナデは激動の一日の疲れによってゆっくりと睡魔に襲われていった。



*****



 翌朝、家の枕を持っていかないと外出先でぐっすり眠れないタイプのカナデは、案外心地よい睡眠が取れているのにちょっと驚いた。


 ネットスラングなのだろうか、「実家のような安心感」という言葉をシュウくんがやたらと面白がって、色々な単語の前につけて遊んでいたのを思い出した。

 恐らく教会のベッドはシュウくんの言う「実家のような安心感」そのものだな、とカナデは思った。


 カナデが修道服に着替えて部屋を出ると、フィラルドと神父が廊下で何事かを話していた。

 カナデは昨夜、教会の、特にフィラルドのお手伝いが出来るように朝早くに起きる決心をしながら眠りについていた。

 しかし、聖職者の朝は早いのだろうか。フィラルドと神父はすでに修道服を着込んだ上に何やら儀式に使うのか、更に黒い衣装を羽織っていた。


「ほぁあよう、ございます」


 カナデは無理して早起きしたツケである、止まらない欠伸をしながらフィラルドたちに挨拶をする。

 フィラルドと神父はその可愛らしい「お早うございます」でやっとカナデの存在に気づいたようだった。


「おや、随分と早起きなのですね。感心です」


「おはよう。眠いならまだ寝ててもいいんだよ?」


「ううん、今日はフィラルドや神父さんのお手伝いをさせて欲しいな。出来ることがそれくらいしかないから」


「そっか。気持ちは嬉しいけれど、今日はお仕事は休みになったよ」


 そうは言うが、フィラルドたちはどう見ても仕事に必要な服装をしているように見える。


「でも、そんな衣装着て。――何かあるんでしょ?」


「ああ、これかい」


 フィラルドは自分の装いを確認するために羽織っている衣装をひらひらさせる。


「うーん。ちょーっと偉い人がいらっしゃっててね。これはその人に会うために必要なものなんだ」


「ふーん」


 偉い人に会うのならば、きっとカナデは邪魔にしかならないだろう。この国の礼儀作法なんてカナデが知る由もないことなのだから。

 今日は何もすることがなさそうだな、と諦めて自室に戻ろうとした瞬間、聞いたことのある声がカナデを呼び止めた。


「おや、カナデちゃんじゃないか」


「ん?――あっ!」


 そこには少し丸まった背中に長く伸びた顎髭。眠っているように見える細い目は見覚えがあった。



 カナデを呼び止めたのは、ノイツで出会ったヤン、その人であった。

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