0、プロローグ
プロローグ 書き直し中
容赦なく降り続ける雨の中、宮藤了は視界を阻む雨粒には気にも留めず道路の反対側をただ呆然と見つめていた。視線の先には横転した黒い車がものすごい勢いで炎上している。
自分はというと、――何故かアスファルトにうつ伏せになっている。
「どうして」
どうしてこんなことになっているのだろうか。了は直前の記憶を思い出そうとする。思い出そうとすると頭の中がぐらついて思考が阻害された。
諦めて体を起こそうにも、右足を打ったようですぐには立ち上がれなさそうだ。仕方がないので車に視線を戻すと、誰かの学生鞄らしきものが近くに転がっているのが見えた。視界がぼやけていて確証はないが、おそらく自分のものだろう。
そこでようやく気が付いた。どうやら了の体は二、三メートル後方に吹っ飛ばされたらしい。
ひしゃげたガードレールから推察するに車はあそこに激突し、その衝撃で自分はこんなところでうつ伏せになっているのだろう。だが、それでは車が横転している理由が分からなかった。
そうこうしているうちに車の炎は一段と激しくなっている。これではいつガソリンに引火してもおかしくない。了はふらつきながら立ち上がり、これからどうするかを考え始めた。
すると、どこからか男の掠れた声がした。了は声の所在を確かめるべく燃え盛る車に接近していった。
「だ、だれか」
男は歪んだ車体から抜け出せなくなっていた。額から流れる血で表情が上手く読み取れないが酷く取り乱している。
「大丈夫ですか!?」
「あ、足が……くっ、抜けない」
彼の右腕を掴むなり思い切り引っ張ってみるがびくともしなかった。どうやらシートベルトの先端が変形したドアに挟まっているようだ。ドアを何とかしなければ救助出来ないが、周辺には了しか目撃者がいない。他に協力してくれる人を探してくる必要がある。
「助けを呼んできますから、少し待っててください」
「そんな! 頼む、待ってくれ!」
「あそこの交差点を右折すれば大通りに出ます。すぐに戻りますから」
「そ、それじゃ間に合わない。い、いい、いますぐ出してくれ」
男は血だらけになった手で離れようとする了の腕を掴む。その腕の力に了は驚いた。男が焦っているのを感じる。それに何か得体の知れないものに追われているかのような怯えた目をしている。
「でも、俺一人じゃ……」
「は、はやく! 奴が来る!」
要領を得ない会話に困惑しながらも、これでは埒があかないと男の手を振りほどく。すると、男はさらに大きな声で喚き立てた。
「見捨てないでくれ!」
「だから、助けを――」と説得しようとした時、初めて背後に人が立っている気配に気が付いた。先ほどまでは周囲を見たときには誰もいなかった。
不思議に思っていると気配の主は了の言葉を遮って喋り出した。
「その必要はないよ」
振り向くと、そこには了と同い年か少し上くらいの年齢の青年が立っていた。
青年は白いパーカーに黒いパンツを履いていた。こんな雨なのに傘も差していない。栗色の髪は少し長めで、ポケットに手を突っ込みながらこちらの様子を冷静に窺っている。その冷静さが了には薄気味悪く感じた。車が燃えていて人が閉じ込められている、という状況を目撃した人の反応としてあまりに不自然だ。
了は青年の言葉の真意を尋ねた。
「“必要がない”ってどういうこと?」
「だって、そいつはもう死ぬわけだし」
確かに深刻な状況ではあるが、そこまで絶望的ではない。
「彼は重傷ではない、これならすぐ助ければ間に合うはずだ」
「違う、そういう意味じゃない」
青年はうんざりするように溜め息を吐く。説明するのが面倒だと目で語りかけてきているようだ。了はその態度に納得が出来ず、思わず声を荒げてしまう。
「じゃあ、どういう意味なんだ!?」
この青年の言動に段々と腹が立ってきている自分に気が付いた。怪我をした人がいるのに何故そんなに平然としていられるのか。不謹慎だと思うし、発言の意味も分からない。まるでこの男を助けるつもりがないようではないか。
青年は了のことを無視して、車に近づく。
「……お前は勘違いしてるんだよ。被害者は俺なんだぜ? そいつじゃない」
そう言ってポケットから手を出し、車体に触れる。その瞬間、車は紙屑を丸めるかのようにいとも簡単に変形し始めた。
「なっ……!」
車は中に浮きながら尚も変形を続け、あたかも青年に持ち上げられているようにも見えた。
(ど、どういうことだ!?)
青年によって圧縮された鉄の塊はもはや原型を思い出すのが困難なくらい小さく、コンパクトになってしまった。あっという間の出来事に了は絶句する。車に閉じ込められていた男の末路を想像すると、胃液が逆流しそうになるのを感じた。
涙目になりながら青年の方を見ると、青年は至って平静を保っているではないか。
(狂ってる……。)
「分かったろ、俺の言ったことが」
人を殺したことに何も感じていないような彼の表情に背筋が凍り付く。早くここから離れないと自分も先ほどの男のように殺されてしまう。今すぐにでもこの青年から逃げる必要がある。だが、その思いとは裏腹に了の足は硬直していて動かない。
その場で立ちつくしてしまった了に青年は少しずつ歩み寄ってくる。了は自分の死を覚悟し、強く目をつむった。だが、いくら待ってもその時が訪れることはなかった。
目を開けると、青年は了のことなど気にせずに空を見上げていた。いつしか雨は止んでおり、雲の切れ間から日の光が尾を引くように何本も地上へと伸びている。そうした光景を眺めながら青年は口を開いた。
「お前、俺に殺されると思っただろ? でも、そんなことはしないよ」
「ど、どうして」
「