四日目。〜送り火、気持ちの行き先
夏の年中行事、お盆。旧暦に対し、新暦のお盆は月遅れの盆と呼ばれ、地域よって差はあれど、八月十二日から始まって十五日か十六日かに終わりを迎える。
三織の住む地域・花隠は、毎年十五日が最終日にあたり、家の門先で送り火を焚く風習があった。
毎年帰ってくるご先祖に、今年もありがとうございましたという想いと、気をつけて帰ってまた来年来てくださいね、という想いを込めて火を焚き、送り出す。煙はまっすぐまっすぐ、暮れ泥む空へと立ち昇って行く。ゆらゆらと、風のない今日は、送り火の煙はまっすぐまっすぐ立ち昇る。
「帰ったのかな……」
昨日、お盆の三日目のことだ。三織は長年片恋をしていた相手に、結婚相手を紹介されて、想いを告げるまもなく片恋に幕を閉じた。
想いを告げないのか、と唯一片恋を知っていた相手の弟―――鈴生にいわれたが、三織にはそんな気持ちはない。幸せそうなふたりを見て、彼らを祝福する周囲を見て、彼らの幸福を邪魔したくなかったから。
それに、たぶん―――おそらく、きっと……三織は新たに恋をしたから、昔の恋に蹴りをつけられた。もとより、終わりを遂げるつもりだったのだ、長年の想いに。薄々、叶わないとわかっていた恋だったから、けじめをつけるためだったから、これでいいのだ。
でも、三織は思う。
自分はまた、報われない恋をしたようだと。
『あなたたちは、血が繋がっていないわ』
昨日無意識に向かった裏のお寺の縁側で、三織はうたた寝をした。
そのとき見た不思議な夢のなかで、過去の自分に会った。何で過去の自分だとわかるのかと問われれば、それはわからない。
夢というものは、突っ込みどころが多い事柄を、疑問にも感じずにすんなり受け入れてしまうものだ。だから三織は深く考えなかった。それでも、三織は信じた。常日頃から不思議なものと近しかった三織だからこそ、である。
だから、期待半分で待ってみることにしたのだ。
うたた寝から目をさまして、姿が見えなくなった彼に―――送り火で送り出すのだから、会えるに違いないと。
守る、といって守ってくれた彼を。
「みぃちゃん、僕のこと信じてくれたの?」
三織の隣にたつ鈴生が問うてきた。大きな目をうるうるさせてこちらを見上げる。鈴生は鈴生なりに、この幼い容姿を最大限に利用して三織に接していた。
鈴生だって、三織のことを諦められないのだ。でも、諦めてもいいとも思う気持ちもある。鈴生は―――衛門は、友情に篤いから。
「だって、鈴ちゃんも霊感、あるでしょ」
裏のお寺の兄弟は、皆霊感があった。だからこそ三織にあちらのことを教えられたのだろう。彼の父である住職さんも、霊感があるらしいから。
「だから、信じるよ」
鈴生は、三織が眠っていた間のことを、三織に教えてくれた。
たくさんのたくさんの遺された想いの塊が、三織を狙っていた。遺された想いの中に、生まれる前の三織を強く想っていたひとの想いが含まれていた。それが三織を襲わせたという。確かに信じがたい。けれども、信じる。不思議体験をしたことがある三織だからこそ、すんなり受け入れられた。
「それに、戻ってくるんでしょ?」
想いの塊は、ご先祖――多聞というらしい――が見事倒し、多聞はそれを倒す代わりに、願いを叶えてもらうという約束事を、あちらのお偉いさんと交わしたのだという。
その約束事が何かわからないけれど、必ず戻ってくるよ、と鈴生は力説した。だから泣かないでと。
「わたしは待つよ」
過去の三織は、四日目に多聞は帰らないといった。たぶん―――その“帰らない”は、鈴生がいう“帰る”とはまた違う意味のはずだ。
根拠はないけれど、三織は信じたいのだ。守るといって、守ってくれた彼だからこそ、待ちたい。
「あ」
鈴生が、なんだか間抜けな顔をした。
その顔の向ける先には、半袖のポロシャツにジーンズをはいた、二十歳前後の青年がいた。青年はこちらに向かって走ってくる。
「あ」
三織は、涙が込み上げてきたのを感じた。嬉しくて、嬉しすぎて、名を呼んだのに口が空回りして、うまく呼べていない。だからもう一度、名前を呼ぶ。
「多聞!!」
名を呼ばれて、青年―――多聞は嬉しそうに破顔した。
―――こうして、ふたりの気持ちは成就した。
鈴生―――衛門は、抱き合うふたりからそっと離れて距離をとった。その横に、蜃気楼のようにゆらめく男性の姿が現れた。平安の世の官吏の姿の、あちらの王だ。彼は扇で口許を隠し、くつくつと笑った。
『いいのかい』
「何が」
衛門はぶっきらぼうに答えた。どうせわかっているだろうに、聞いてくるのだからたちが悪い。
「いいんだよ。僕は自分の気持ちの成就より、彼らの方が大切だから」
衛門は彼らを見て笑った。ついで、王を見ずに一言。
「だから、いまさら契約を反故にとか言い出したら、僕が黙っていないよ。持ちうる手段をもって対抗する」
『抵抗の間違いだろう』
「どっちでもいいよ。とにかく、彼らに手出しをしないでよね」
『まあ、出さないさ。想いの向かう先はハッピーエンドだ。良かった良かった』
「ハッピーエンドでなかったら、やりやがったわけ」
『邪魔したねぇ。だって、彼をこの世に生まれ直させたんだよ? わざわざよみがえらせたんじゃない、鬼籍やらをいじくって、彼がもとからいたかのように周囲の記憶をいじくって。そこまでしたのに、ハッピーエンドでなかったら? 力の無駄遣いだから、反故にとかしてただろうね』
多聞が交わした契約は、生きて三織を守ること。
もう一度会えるお盆―――夏の最後に、もう一度会うために、もう一度生きて守るために。そのために、彼は契約をした。
契約は見事叶えられた。
これからふたりは連れ添って、命終わるまで共に過ごしていくことだろう。
最後の夏、もう一度生きて、君に。それだけのために、命を投げ出しうる契約をした魂の行く末に、幸あらんことを。
―――完―――