三日目。〜ここではないどこか、守るための戦い
古の頃より、この国に住まう人々の間ではある噂があった。
いわく、あちら―――このよならざる、三途の川の向こうの世との境界が存在するのだと。
それは、あるときは大木の影の中に。
それは、あるときは垣根の向こうに。
それは、あるときは川の中に。
それは、すぐそばにあるのだという。そばによれば、あちらの住人にさらわれるのだという。
だから、近付くことなかれ。
お盆三日目、午後。
近松寺の一角に、それは現れた。
『会い、たい』
どろどろした何か、が塀の向こうにいた。近松寺の一角を、あちらとの境界に無理矢理組み込んだ奴がいた。
それは、闇のような黒色だったり、曇り空のような灰色だったり、血のような赤色だったりした。
それは定まらない色をしていた。不定形の色と、不定形の体をしていた。ぶよぶよした表面かと思えば、つるつるした表面だったり、はたまたごつごつした表面だった。
「ちっ、厄介ですね。矢も刀も効きません!」
寺の末息子、鈴生として生まれた衛門は大量の霊力を持っていた。その霊力で、破魔の矢や刀を作り上げ、それに放った。しかし、打てども投げども、不定形のそれの体にはあたりはしなかった。かすりしかしない。
『去ねぇえええっっっ!!』
一方、多聞は叫んでいた。霊力を声に込め、放つだけ。衛門はなんて原始的なと馬鹿馬鹿しくなった。なぜなら、原始的な攻撃こそ効いているようなのだ。
『消えろぉおおおお!!!』
想いが込められた力業が、見えない言霊の刃となり突き刺さって行く。すぱ、すぱと不定形のそれに刺さってゆく。
『オレの想いは、負けん!! おまえなどにやられてたまるものかああああああ!!』
それが、声なき悲鳴をあげていく。姿を崩し、消えていく。
『会い、たかった、ひめ、さま―――……』
最期に、一言残して消えていった。
『はぁ、はっ……はぁっ……』
それが消失して、周囲が正常に動き出す。そのことを視界に認めて、多聞は倒れた。
「多聞!」
衛門が駆け寄る。多聞は段々と薄らいでいく。
「あなたはバカですか! バカですよ! あれは、さっきのあれは“遺された想い”の集合体です、今日さえ後退させれば、送り火を焚く明日までもたせれば良かったんですよ!!」
それ―――不定形の形をしたあれは、過去に生きたものたちが、こちらに遺していった無念の塊。毎年、お盆―――こちらとあちらの境がはっきりしない時期に、あちらから出てくるあちらの気に、こちらに遺された想いがあてられて生じたものだ。
毎年、毎年発生する。とても強いため、送り火まで堪え忍んで待つのだ。送り火は浄化の役目も担うから、過去の祖先への気持ちが込められた送り火の火を用い、利用し、あれを浄化しあちらに送る。
衛門と多聞が生きた時代の想いもあった。おそらく、彼らと同じ主を仰いだ誰かの遺した想いが、あのたくさんの想いの中でも特に強かったのだろう。
だから、多聞がここまでする必要はなかった。
「あれに対する知識をあちらでは教えないんですか?! それより、あなたは消えるつもりですか! 消えて、想いを遺して、来年にあれに混ざるんですか! しっかりなさい!!」
衛門は今、寺の子だ。父である住職から、霊力が強い彼はよく“あちら”の話を聞く。あちらとこちらの折衝みたいな役割をしている父は、あちらのことに詳しい。
だから、多聞はあちらであれの説明を受けているはずだと思っていた。あちらでは、こちらに帰還する魂たちに“危険情報”も伝えているのだから。あれのような危険情報を。
「三織は、どうするんですか! せっかく、会えたんでしょう! どうせ、あなたは知っているんだ、三織が誰の生まれ変わりか! 出不精で面倒くさがりのあなたが帰還するくらいだ、その理由があるはずだ、なら姫様の魂の生まれ変わりだって知っているはずなんだ!」
衛門は叫ぶ。叫び、多聞に力を流す。
『まぁ、止まりなさい』
そのとき、衛門を止める手があった。
「誰、ですか……邪魔をしないでください!」
衛門は気付かなかった自分を悔いながら、手を振り払う。蜃気楼の如き揺れ消える姿形の、平安の時代の官吏のような姿の男の手を。しかし男は振り払う手を握り返した。強く、強く握り返した。離さないといわんばかりに。
『バカはあなたですよ、衛門……でしたっけ。そちらの多聞は、私とある契約をかわしていまして。多聞に何かあれば、私が回収する手筈でして』
はぁ、と溜め息を吐きながら男はいう。
『あれを倒したなら、望みを叶えると、ね。多聞は倒しましたよ。だから私は契約を履行するために、こいつを一度回収する必要があったんです。だから回収するんです』
わかりましたか、と男は問う。衛門は何もいえなかった。あまりにも唐突すぎて、あまりにも突拍子すぎて―――現在の状況が。
死したものが契約をする相手、それは限られるのだと父はいっていたのだ。死したものが契約をする相手は、あちらの王しかいないのだと。ならば、この男はあちらの王、ということになる。
あちらの王たる者が、ふらっと一人でこちらへ来たということになる。王たる者が護衛もなく、だ。しかも―――
「何で、王が、王が……たったひとりの魂のために、契約などを」
あちらにはたくさんの魂が存在するのだという。それらを全て統べるのが王。王は、ひとりを贔屓してはならないという。不公平だからだそうだ。なのに、この王は贔屓をした。
それに契約、というものは魂を代償にするのだという。どんな内容であれ、反故にすれば魂を消されるのだという。
ひとりを贔屓し、かつ契約をした。つまり、この男は反故になれば多聞を消すということに他ならない。
「何で、契約を」
『想いだよ。想い』
裏があるのでは、と探り疑う衛門に王は笑う。
『久々に会ったんだ、純粋な想いにね。大概、死んだあとってのは想いが残るが、あそこまで潔くて何にも汚れていないまっしぐらな想いはあまり見かけないからね、面白いと思ったんだ。あの強い想いの行き先を見たくなってね。だから、契約した。結果、契約は果たされる』
多聞を引き摺るようにしてそばへ引き寄せ、王は消え行く。
「待ってくれ! 三織は、三織は?! 多聞は彼女に会うために!」
『三織かい? 君も本当に不器用だ』
王は苦笑した。
『君は友情に篤いね。だから恋も譲ってしまう。多聞がいなくなれば君にもチャンスは与えられるんだよ?』
王にいわれ、衛門は口を引き結ぶ。その通りだ。衛門は悪役にはなれない。どうしても、いつも自分の想いを後回しにする。
『そんな篤い君に免じて、ひとつ教えてあげよう』
王は、いたずらっ子のように笑い、衛門が驚愕する内容を告げたのだった。




