一日目。〜夜半、帰還
日本に古来より伝わる、お盆の精霊馬―――胡瓜の馬と、茄子の牛。ここではない、どこか遠くの場所から帰宅するご先祖のために作る乗り物だ。
行きは、“早く帰ってきて”の思いを込めて、胡瓜の馬。
帰りは、“ありがとう、また来年。ゆっくり帰ってね”の思いを込めて、茄子の牛。
遠松家にも、畑の胡瓜と茄子に割り箸を刺して、精霊馬を拵えていた。
―――1日目の夜、家族が寝静まった頃。迎え火をして大分たった頃だ。
家の門に、白く小さなモヤが音もなく生じ―――胡瓜の馬がその中から現れた。
『ひ・さ・か・た・のっ! シャバーッ!!』
胡瓜の馬に乗るのは、やたらハイテンションな忍者装束の若い男性の小人だった。
小学生高学年の子供の手のひらサイズの身長に、所々破れた墨色の忍者装束をまとい、腰に刀を差していた。刀ももちろん、彼にあわせてミニチュアである。
『お?! 今はいつだ? 以前の里帰りよりも随分と家屋が立派ではないか!!』
彼が胡瓜の馬から飛び降り、遠松家の敷地に足を着けたとたんに、胡瓜の馬はモヤに包まれて音もなく消えていった。
『長旅、御苦労であったーっっ!!』
彼は消え行く胡瓜の馬に手を振り、胡瓜の馬が完全に消えてから、玄関まで飛び跳ねながら移動して行く。その身長のわりにはやたら高い飛び跳ね方で、まるで蛙を連想してしまう飛び跳ね方であった。
『おおっ、姓は変わっておらぬと見たっっ!!』
一段と高く飛び跳ねた彼が見たのは、玄関の開き戸の上に飾られた分厚い木の板の表札。
そこには、“遠松末男”と記されており、その名は現在の遠松家の大黒柱の名前、親戚筋の他家より婿に入って、妻との間に三女をもうけた人の名前だ。
『にしても立派だなー』
彼は、しばらく家の周囲を飛び跳ねた。
漆喰と木の壁、立派な柱、綺麗に整えた季節の草花の庭、そして黒々と月の光に輝く瓦屋根。
現代では田舎でどこでも見られる日本家屋の二階建ての一軒家、それが彼にはとてつもなく立派に見えた―――なぜなら、前回の里帰りは武士の世が終わり、平たくすべての民が姓を名乗りだした時代、遠松の家の家屋はこのように大きくはなかったし、平屋で世辞にも立派とはいえない造りであったから。
あらかた家屋の周囲を見て回った彼は、二階に開け放たれた窓を見つけた。硝子は開け放たれ、網戸だけになっていた。
『おっ?!』
室内は、カーテンという窓の覆い布で見えなかった。確か、目隠しの用途の布だったと、彼は思い出していた。
盆の帰省に関し、“あちら”では帰省するご先祖たちを対象に、“帰省先の時代の文化等について学ぶ講座”を開催し、帰省するご先祖たちの義務学習と位置付けていた。ようするにこれを受講しなければ帰省が叶わないのである。
もちろん、ご先祖たちもそれぞれ“生前”の時代が異なるため、それぞれの“生前”の時代に合わせたカリキュラムが組まれるわけだが。
『はて、何という時代かは忘れたが、随分と便利な代物が増えた時代だと聞いたなー、楽しみだー!!』
彼と同じ時代に生きた多くのご先祖たちは、帰省先の時代と“生前”の時代との考えや価値観等の落差に激しく拒否反応を示すものもいるという。
しかし彼は、反してかなり高い順応性を示していた。順応性というか、彼の場合は“新しきもの”に旺盛なる好奇心を持っているにすぎないのだが。
『お、無用心ではないか』
二階だから、つっかえ棒をしなかったのだろうか―――とか考えながら、彼は子孫の部屋の網戸を開けた。
ちなみに、講座にて“今の時代はつっかえ棒がありません”や“網戸というものがありますが、網戸には鍵がついていません”とかの教えもうけたのだが、彼は基本、戦や武芸事以外の勉学は右から左へ流しても気にならない、たいへん大雑把な性格であった。
だから、“不法侵入”なる概念も右から左へ、であった。
彼は小人だというのに、軽々と網戸を開けた。ちょうど、自分が入れるくらいのサイズを、だ。
そうして、侵入を果たした部屋は広かった。
『おぉ、おおーッ!!』
彼は、子孫の部屋に驚き元より丸い目をさらに丸くした。その目が旺盛なる好奇の色に染まってゆく。もし彼の感情の振り子が見えたならば、針がブンブンと激しく揺れ、完全に壊れたのが見えただろう。
『可愛らしい部屋だなぁ!!』
薄暗い明かりに照らされた部屋は広かった。白っぽい壁には桃の花のような色で立縞が描かれ、床には涼しげな布の敷物が敷かれている。天井には木が惜しげもなく使われ、調度品―――文机や箪笥も木である。 木をふんだんに使うほど、この時代は木に溢れて、一般の民でも豊かな生活が送れているということを、彼は講義で右から左へ流していたために、覚えていなかった。
『金の回りがよいのか? 此度の時代の子孫は』
―――だから、彼は突拍子もない答えを導きだした。とんでもない斜め上な解釈であり、甚だしい誤解であった。
『とても高さのある寝台だなあ?』
そんな誤解をしている彼の目は、部屋に設置されている寝台―――ベッドに釘付けだった。
『布もふんだんに使った敷き布、掛け布……寝心地が良さそうだ!!』
うきうきと鼻唄を歌い出しそうな調子で、彼は窓際から寝台へひとっとび! をしかけたのだが―――
『何奴っっ!!』
彼は“ねっとり”とした視線に気付き、咄嗟に振り返った。
彼は“生前”戦場にて斥候をしていた。夜分に岩や木の影に姿を隠し、敵方の軍勢の様子を察する役に着いていた。
だから、幾度となく見つかったりもしたこともある。敵方の兵に見つかったときに、“殺気”を感じたものだ。
しかし、このような“生々しい”気配を彼は感じたことがなかった。
彼はもはや今の時を生きぬ身、“あちら”や前回などの“里帰り”でこの世ならぬものに常に出会っていた。当たり前だ、“あちら”は今の時を生きぬものたちの世なのだから。
けれども、前回の“里帰り”で出会ったものは“とてつもなく危険な輩”だった。
この視線はそれに近かった。
『貴様が何をするつもりかは、知らぬ』
彼は軽い身のこなしで窓の外に飛び、壁を蹴り、すぐさま屋根に飛び移った。彼は等身大に戻っていた。
『霊力の温存のためにちまっこくなってはいたがな』
彼はかつて主君と呼ぶ貴い方に使えていた。生まれ育った地を治める領主の姫だった。彼は敵方に燃やされる城で、姫を逃がして―――その若い命を燃え落ちる城と運命を共にした。大切な主君一家と故郷の同輩たちの命を奪い、故郷の地を蹂躙した敵方に、そして故郷を裏切ったかつての同胞に怒りを抱きながら炎に消えた。
彼は、ゆえに大切な存在へただならぬ影の暗い感情に満ちた執着を、悪意を、敵意を、殺意をもつ輩をけして許せない。
屋根に乗った彼は、家屋を囲む塀の向こうの林を睨んだ。霊力を込めて睨み、霊力を込め、威圧の叫びを響かせる。
『とっとと去ね!!』
霊力が込められて放たれた言葉は、言霊となり、刃となり―――林へ飛んでいく。
『うせろ!!』
そして、彼は叫んだ。
『うぉおおおおおっっ!!!』
彼は“生前”、現代でいう忍者であった。
今では、不可思議な術を使うように謳われる忍びの者。
しかし、実際は違う。
前進は地元住民が荘園支配に対抗した“悪党”である。荘園の領主に対峙する上で、撹乱や奇襲などを身に付け、時を下るにつれて“地侍”となり、各地へ“傭兵”として派遣され、そして忍者と呼ばれる集団となった。
とくに、粘土質で農作業に向いていない土地であったことも大きな一因だろう。農作業だけで生きて行けないから、傭兵として武力を売りに各地へ出稼ぎに出向き、生活の糧としていった経緯がある。
だから、かつての忍者である彼は、水遁や火遁、口寄せなどといった“現代のポピュラーな忍”術を知らない。飛び道具や刀などの使い方はわかる。ゲリラ戦法を得意としていたのだから。
―――だから、彼は派手な技は持たない。
『ぉおおおおお!!』
彼は大音声で叫んだだけだった。―――ただし、霊力を込めて。
彼は派手な技はない、今も、昔も。だからこそ、今を生きぬ身となったこの身では“霊力”を使うときも派手な技をしようしない。
『いぃねぇぇえええっっ!!!!!』
―――言霊となって放たれた魂の底からの叫びは、子孫を想う気持ちも重なって、“かなりの破壊力”を持って敵へと放たれた!!!
『……また、来る……会う、ために』
『オレがおる間はさせん!!』
―――睨み合いは、そのあとしばし続いた。
結果としては彼が勝った。しかし、それも“相手が逃げた”だけの勝ち、相手を倒すことによる勝ちではない。完膚なきまでに倒し、後顧の憂いを絶つ勝ちではない。
(次は逃がさん)
彼は、久々の戦いに心地よい疲れを感じながら、霊力の温存のために小人姿へと戻り、
『ふかふかの寝床だー!!』
愛しい愛しい子孫の布団の中へと侵入を果たしたのだった。 これは本人には自覚はなかったし、そもそも血のつながった子孫であるからその気もちっともないわけだが―――はたから見たら立派な“夜這い”、セクハラであった。
『かはっ』
疲れ、意気揚々と寝台へ侵入を果たし、いざ眠らんとした彼は―――結果からいおう。子孫に“握り潰された”。
(向こうからは)触れない、(向こうからは)話せない、(向こうからは)感付かれない。それは、ご先祖たちが子孫とどれだけ“すきんしっぷ”したくても叶わなかった理由だ。答えは簡単、そんな霊力ハイスペックな人間はいない。
『ぬぅうっっ!!』
―――しかし、たまにはいるのだという。ハイスペックな人間が。
『はーなーせー、しそーんーっっ!!』
どうやら、彼の血のうすーい子孫はそのハイスペックな人間だったらしい。
彼は“夜這い”、“不法侵入”への罰とばかりに、子孫が目覚めるまで、そのまま眠りにつくはめになったのであった。
彼にとって、とんだ“里帰り”だった。