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過日。〜未来への布石、物語は巡る



 時は戦国、群雄割拠の頃。1581年、年が明けて春もあと少し、という時期のことだった。


「なんと」


 多聞たもんは、自身の耳を疑った。


「本当のことですよ。一度で理解できないなら、もう一度言いましょうか? だからバカは嫌いなんですよ」


 多聞の同僚、衛門えもんが大袈裟に溜め息をついて見せた。

 彼らは、近松ちかまつという一族だ。近松は遠松とおまつの家に仕える血筋だ。……といっても、過去に何代か近松の者が遠松の家に婿入りしたり、逆に遠松の者が近松に嫁入りしたこともある。遠松と近松は、主従というのはあくまでも形だけ、心はとても近しい間柄だった。

 実際、近松多聞は、春が来れば近松から遠松の家に移る。遠松の殿様の弟御である正天ただたかの養子になるのだ。


「いずれは、再び攻めてくるとは思っていましたが」


 衛門は溜め息をさらにつく。今度は大袈裟でもなく、心の底からの溜め息であった。

 いまより2年前、1579年の秋の頃だった。この地より北にある地を統べる一族の武将が、突如この地を襲った。

 敵方はおよそ八千の兵を率い、この地を襲った。


 安土の血筋を大将とするおよそ八千の軍勢は強かった。しかし彼らは奮闘し、辛くも勝利を得た。

 もとより、彼らは農作業に向いていないこの地に住むため、兵としての腕を磨き、各地で傭兵などをしていたりした―――だから、そこらの農民とは訳が違う。けれども、被害は大きかった。

 勝利したものの、彼らはたくさんの同郷のものを失った。いま彼らが踏みしめるこの大地には、大切な人々の血が流れた。

 戦の発端はなぜかわからない。戦の前に追放した、安土から派遣された築城奉行の報復か。それとも、単に領地を増やしたいだけなのか。はたまた彼等の傭兵としての力を欲するのか。


「また、攻めてくるそうですよ。安土の町に潜伏する仲間よりもたさられた確かな情報です。しかも、時は春」

「なんだと……?!」


 春。多聞は、遠松の家に移る―――そして恋仲である遠松の殿様の息女、三の姫と婚姻を迎える。


「本当に、なんだってやつですよ! しかも―――」


 衛門が次いで語った言葉に、多聞は怒りを露にした。


「……裏切りだと!?」


 彼らは後の世で忍びと呼ばれる。影から主に仕え、主の敵を闇から誅するという忍者。

 忍者は発祥した地によりその性格も変わる。

 彼らの場合、発祥起源は荘園の主に楯突いた悪党。敵方と戦うために、意表を突く作戦や、奇襲などのゲリラ戦法を磨いてきた。つまり、実際の彼らは戦闘集団にすぎない。

 そして、後の世で数多語られる忍者の中でも、とくに彼らは“抜け”に対して敏感だ。“抜忍成敗”という考えがある。……裏切りや密通、脱走はいかなる理由や背景があっても認めないのだ。

 そして此度の件はその離反者があちらに寝返った。しかも……普段なら共に戦ったりもする山向こうの淡海の者から出た離反者が、この地より何名もの離反者を出させたらしい。


「多良尾め……!」


 淡海の地よりでた離反者は多良尾。多良尾によりでたこの地の離反者は二名。


「しかも……安土の殿様が直々に出るらしいんですよ」


 ―――時の覇者、安土の殿が直々に攻めてくるという。


「よりによって、この時期か!!」


 多聞は無意識にぎり、と唇を噛んでいた。温かな血がつーっと伝い落ちる。

 そして、無意識に近くの木を殴る。ごがん! と激しい音を響かせながら、木が折れていく。細めとはいえ、立派な松の木が、だ。


「でも―――姫は、守る。必ずや、この身に変えても」


 多聞は血が溢れ流れる拳を握り、夜空を見上げた。

 そこには、雲に隠れようとしていた満月が浮かんでいた。





 そして彼らは、立ち上がる。もう一度、立ち上がる。

 確実に再び侵略の手がのび、刃を交えるまであと数月。彼らは、守るものがあるから、立ち上がる。

 例え、刃を交える相手が時代の覇者でも。







「多聞!」


 多聞は、燃え盛る火に包まれる城にいた。火はあっという間にまわり、建物を焦がし燃やしていく。

 衛門を含めた同僚とともに、多聞は城内の者たちを逃がして行く。しかし、三の姫は頑として逃げなかった。


「多聞、逃げるのよ! お願い、一緒に来て!!」


 三の姫は大きな眼を充血させながら叫んだ。頬のたくさんの涙の跡が煌々と燃える火に照らされる。いまもあらたに一筋が伝い、流れ、きらきらと輝きながら炎に吸い込まれて行く。


「だめです、姫」


 遠松の血筋は、もう姫だけだ。多聞の義理の父となるはずだった正天も、殿も、まだ幼かった若様も、姉姫とその夫君でさえも、皆命を奪われてしまった―――安土の軍勢に。


「姫」


 多聞は、もう後がない。

 体は、もう動かない。

 下半身が、既に動かない。姫を、燃え落ちてきた梁から守り……下敷きになった。


「衛門……」


 多聞は、姫のそばにいる衛門に声をかけた。


「姫を、頼む」


 そして―――最期に笑って、姫に一言告げて、事切れた。


「いやあああああああああああああっっっ!!!」




 その日、上忍三家が戦国大名より支配されないために、合議制を敷き守っていた地はついに落ちた。









「姫」


 戦が終わり、姫は変わった。


「なに、あなた」


 多聞に関する記憶をすべて、なくした。すべて、失った。


 衛門は泣いた。

 多聞の記憶は、すべて衛門にすりかわっていた。

 衛門は、姫に恋していた。

 けれども、友たる多聞も大事だった。だから、二人の幸せを誰よりも願い、祝福した。

 なのに、なのに。


「ただの逃げただけではないですか!!」


 衛門が好いた姫は、多聞が好きな姫だ。多聞の隣で笑う姫だ。こんなに―――空っぽな笑みを浮かべる姫ではない。

 戦は、衛門の好きな友と、愛した姫を奪った。

 多聞は生前逃げ足が早かった。しかも勝ち逃げが多かった。よく逃げの多聞、勝ち逃げの多聞と呼ばれた。


「あなたはバカですよ。何で、最期まで……そのつもりがなくとも、まるで勝ち逃げですよ」


 死した後も、多聞は姫の心を奪っていった。


「多聞、次会ったら……勝ち逃げと罵ってあげます」







「多聞」


 姫は、大好きな人を失った。大切な人を喪った。心が、辛い、痛い、耐えられない。


「ならば」


 多聞を好きな自分も、死のう。

 姫は、たゆたう水の流れに身を沈めた。



『多聞。輪廻があるのなら、あたしはあなたにもう一度会いたい。だから、だから』


 もう一度会うまで、あなたを想うあたしは眠りにつこう。あなたにもう一度会うまで、あたしは眠りにつこう。







 多聞が死した後、ある日―――姫は木津川に入水しかけ、寸前で助け出された。しかし、目覚め起き上がった姫は……


「多聞、誰のこと」


 多聞の記憶を失っていた。






 そして、時は流れる。


『……多聞』


 姫が―――目を、覚ます。白い雲の上、空の下、夢うつつの中で、目覚める。

『多聞』



 姫は、目覚めた。

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