Dawn of war
そこは闇が支配する世界だった。
光は、ない。自分の手も、足も、身体も、見えない。
在るか無いかすら不安になって、触れてみる。
「...あった。」
少しだけ安心する。そして手を前に伸ばしてみる。すると、その手の上に光が生まれた。
その光は暖かく、自分を包み込むように広がった。誰かが、彼女の耳元で何かを語りかけた。
「エレーナ...エレーナ...」
「誰...?」
目を瞑り、答える。
「私は貴方で、貴方は私。」
「...?」
「さっき、私は貴方を感じた。」
「まさか...」
「そう、私は今、貴方の腕であり、足であり、そして貴方となったのです。」
「それは...喜んでいいの...?」
「そうですね、そうです。」
「貴方は、それで嬉しい?」
「はい、私はこの刻を待ち続けていました。」
「そっか...。」
「さあ、お戻りを。貴方は今、私と共にはありません。」
「ここは、どこ?」
「今に分かります。」
その声を聴いた直後、自分は穴に落ちたかのような急加速をする。いや、加速しているのは世界かもしれない。どちらにせよ、後方に引っ張られる感覚。光がどんどん遠ざかっていく。
「ダメ...!」
手を伸ばす。届かない。世界はそれを嘲笑うかのように加速を続ける。
その光は点となり、消えた。そこに在るのはただ闇のみ。ただ、自分が身体を取り戻しているのには気付いた。
何故見えるのだろう。光は無いはずなのに、自分の身体だけは見える。後はただただ後ろに向かって“墜ちる”感覚だけ。
あとどれくらいで地面だろう。いや、もしかして地面なんてなくて、ただひたすら墜ち続けるだけかもしれない。
そんな事を考えながら、彼女は時に身を任せた。
―――それからどれ程の時が過ぎただろう。
彼女はすでに考える事をやめていた。この世界では、抗う事はおろか、考える事すら意味がない。まさか私は死んだのだろうか。
ならばこの意識は何だろう?
しかし、終わりが無いと思われたこの世界にも、終端があった。背中が何かとてつもなく重い物で打たれたような衝撃と共に、今度は世界が彼女の後ろへ急速に下がっていく。背中全体にものすごい力が加わっている。
その速度は明らかに来た時の数十、数百倍はあった。そして、光が点となって見えたと思った瞬間、彼女は光の中へ飛び込んだ。
「っ!」
彼女は宙に浮いたと思うと、重力に引っ張られてすぐに何かの上に落ちた。
ベッドだった。
「やっと...戻って...きた...?」
少しして思考力を取り戻した彼女は半身を起こしてみる。もう夜遅くで、時計を見ると短い針はちょうど文字盤の2を指していた。重い身体を持ち上げ、足を地面につける。久しぶりの感覚だった。
「よいしょ...っと...」
誰もいないのだろうか。よろけながらもゆっくりと立ちあがり、周囲を見回す。
直後、アラームがけたたましく鳴り響いた。
そのアラームは火災警報だ。
『prudence. prudence. Le feu de la deuxieme depot d'armes.』
第二兵器保管庫から出火との事だった。それが一体どこにあって、その中に何があるかなど彼女には知る由もなかった。再びアナウンスが鳴る。
『prudence. prudence. Le feu de la septieme grande planification du stockage des armes.』
まだ一つ目の警報から数十秒しか経っていない。今度は第七大型兵器格納企画...?そしてそのアナウンスの終わりとかぶるようにして、更にアナウンスが響く。
『prudence. prudence. Le feu de la quatrieme hangar de bombardier tactique.』
第四戦術爆撃機格納庫。これは確かあの大きな爆撃機がいたところだ。基地内は大混乱に陥っている頃だろうが、医務室では特にこれといった騒ぎはなかった。少しの間だけエレーナは呆気に取られていたが、何かが彼女の直感に語りかけた。
―――さあ、来なさい―――
「行くって、どこに...?」
声の正体を探すように周囲を見回しながら彼女は答える。
―――私のもとへ―――
私って誰...?そう言おうとした時、彼女は既に医務室のドアにほぼ体当たりするようにして廊下へ飛び出ていた。その足は彼女の限界を超える速さで彼女を声の正体のもとへと向かわせていた。医療区画から研究区画の開発棟へと続く廊下を走りぬけ、医療-研究区画接続ゲートを抜ける。
何故か全てのゲートは開放されていた。
開発棟に人はおらず、恐らく全員避難したのであろう、アナウンスとアラームだけが寂しく響いていた。各開発室はコンクリートの壁で隔絶され、それぞれが大きな窓を持っている。そして今、彼女は開発棟の中央路を進んでいる。
アナウンス。
『Developpement construction de la premiere fermeture du compartiment. S'il vous plait etre sauves immediatement ceux qui sont dans le compartiment. Repeter. Developpement construction de la premiere fermeture du compartiment. S'il vous plait etre sauves immediatement ceux qui sont dans le compartiment.』
どうやら開発棟第一区画が封鎖されるらしい。何となく、彼女は今駆けているこの場所こそが第一区画だと思った。そして角を右に曲がり、閉じかける研究棟のゲートをくぐり、何を思ったか渡り廊下の窓を突き破って外へと出た。
高さはおよそ10mもあろうか。しかし彼女は見事な着地をし、そして走り続けた。ただ、風景が後ろへと流れていく。同じような経験をついさっきしたような気がした。
第二滑走路を横切って戦術兵器運用区へと向かう。滑走路を抜けた先に一人、警備兵がいた。
「誰だ!止まれ!」
腰の拳銃を抜きながら警備兵は叫ぶ。しかしエレーナの足は止まるどころか、更に加速して警備兵へと向かった。そして銃口が彼女に向いた瞬間、世界がスローモーションになる。
ハンマーが雷管を叩き、爆発が起こり、発射薬に点火する。
燃焼した発射薬から燃焼ガスが大量に発生し、その圧力で薬室に装填された9×19mmパラベラム弾の弾丸が彼女に向けて勢い良く銃身から飛び出すのを彼女は見た。そして、ゆっくりと自分に向かってくる弾丸をいとも簡単にするりと身体を捻って避ける。
続けて二発目。これも避ける。警備兵までの距離はおよそ5mであった。
三発目。弾道がぶれている。避けずとも当たらない。
そのままの勢いで、エレーナは警備兵の脇をすり抜けながら彼の横腹を肘で打つ。
格納庫脇で休憩していた三人の兵士が気付き、即座に彼女に銃口を向ける。彼女はそれに対処すべく、というよりも、ほとんど無意識に、兵士達に対して90度右へと方向転換する。直後、兵士に対して直角に走る彼女のすぐ後ろにカラシニコフ自動小銃の毎分600発で発射される7.62×39弾が次々と着弾していく。
最後に撃ち始めた兵士の30発目が発射された音がした瞬間、彼女は身体を翻して一直線に兵士達の方へと走る。装填の猶予などなかった。
距離凡そ100。それを6秒未満で駆け抜け、最も手前の兵士にタックルをしつつ襟を掴んで自分ごとロールして、慌てながらPP-2000を抜こうとしていた兵士に向かって投げつける。そのすぐ後ろの兵士がマカロフ拳銃を瞬時に抜き、彼女に向けて発砲する。その弾は彼女の頬を掠めていった。
エレーナは続けて発射された二発目を避けるために低くかがみ、男へ向かって突進した。そしてその手からマカロフ拳銃を奪い取り、投げ捨て、再びハンガーの前を駆け抜ける。
1分もしない内に警報が鳴り響き、サーチライトが彼女を探る。しかし彼女が見つかることはなく、ただひたすら滑走路に沿って走り続けた。
そして遂に彼女の足は巨大なハッチの前で止まった。
そこに何があるかなど分からない。しかし彼女は知っていた。そこに何があるかを。かなりの長さがあるハッチ横の梯子を滑り降りる。そして地に足がつき、目の前の厳重な鉄の扉が圧縮空気を開放するような音と共に開く。
「壁...?」
一歩だけ進んでみる。そこには、名もない巨大な立方体が堂々と居座っていた。側面の昇降装置は地面に降りていた。
ゆっくりと乗りこむ。
昇降装置は全く揺れる事もなく、彼女を立方体の上へと連れて行った。
安全策が降りる。ゆっくり、ゆっくりと中心の円へと足を乗せる。
『Prudence. Prudence. Fonctionnement des equipements d'embarquement des passagers. S'il vous plait ne pas bouger de l'equipage de l'endroit. Personne autre que l'occupant, s'il vous plait ne pas s'approcher du lieu sont montes a bord. Repeter. Prudence. Prudence. Fonctionnement des equipements d'embarquement des passagers. S'il vous plait ne pas bouger de l'equipage de l'endroit. Personne autre que l'occupant, s'il vous plait ne pas s'approcher du lieu sont montes a bord.』
前にも聞いた事のある警報が鳴る。乗組員はそこから動くな、それ以外の者は近づくな。と。足元の円が開き、その箱の中心部へと落ちていく。
そして再び、彼女はカプセルへと入った。それを待っていたかのように、すぐに触手が彼女を捕える。彼女の身体は、すでに“身体”の一部だった。
意識はすでに元の身体を離れていた。
「おかえりなさい。」
「うん、ただいま。」
「これで、自由です。」
「そうだね。」
そう言って、彼女は気持ちを切り替える。
「電子戦用意。」
「了解、電子戦用意。ESM、ECM、ECCM、ECCCM起動。ノーアヘルム軍特殊情報課管理コンピュータ群にダイレクトアクセス。」
「上手くやってね。」
「アイ・ハブ。ノーアヘルム軍を掌握しました。」
「地上へ、出ましょうか。」
「出撃要請申請...容認されました。ハッチオープン。SOB点火。目標地点、ヴィーグエルン国沿岸。」
巨大な立方体を入れた格納庫、それは立方体を敵国沿岸まで運ぶロケットでもあった。
「メイン・エンジン点火。」
無機質な声がアナウンスをする。
「ロックオンされています。」
「対空防御。基地のCIWSを。」
「了解、全対空兵装展開。迎撃します。」
ここでは音は一切聞こえない。ただ、かすかな振動があるだけだ。
「ノーアヘルム軍要撃機群の発進を確認。投降を呼びかけています。」
「応じるな、私を止める者は全て敵だ。」
「了解。優先目標変更。ノーアヘルム軍を敵と認識します。」
「構わない。」
「メインエンジン停止。コロデオ海岸に落下します。」
彼女は何も言わず、ただじっと待った。
何を待っているのだろうか。この戦争が終わることか、人類の滅亡か?そんな事を考えている場合ではないとでも言うかのように、アナウンスがある。
「海岸に到達、爆撃機群の発進を確認しました。」
「黙っている訳にはいかない。皆殺しだ。」
彼女は怒りを隠せないでいた。何故ヴィーグエルンなんかを庇うのだ。実際はそうではないのかもしれないが、ヴィーグエルンに侵攻しようというところを止め、攻撃までしてくるのだ。彼らは明らかにヴィーグエルンを庇っている。ならば彼らも敵だ。
「第二形態に移行します。」
アナウンスがそう言うと、前方やや遠くで、立方体に切れ目が入ったように見えた。それは縦方向へ伸び、一本の線になり、箱が半分になった。
上空へ向け何かが大量に発射されている。そして、自分はそれらとともに急速に浮上する。
今、視界は開けていた。前方には艦首のようなものが見えていた気がした。それは気のせいではない。彼女は巨大な艦のブリッジにいた。
巨大な立方体は400mmAM装甲に護られた、特異的な艦橋をした戦艦となっていた。
「対空戦闘、用意。」
「了解、対空戦闘用意。FOJ(戦術データ・リンクシステム)起動。」
「FOJ起動、周辺艦のコントロールを掌握しました。全艦集結させます。」
「以後は任せた。逐次報告は怠らずに。」
「了解。」
その後もアナウンスがただただ流れていた。
「CIWS起動。」
「敵航空機群の接近を確認。迎撃します。」
艦側面の短距離瞬間照射レーザーCIWSが次々と向かってくるミサイルを的確に処理する。
「CIWSオーバーヒート警告。」
「動作停止。ディスペンサーと多弾頭対空ミサイル用意。」
「VLS兵装装填。」
すぐに艦甲板のハッチが開き、対空ミサイルとディスペンサーが飛び出した。
「敵航空機群の4割を撃墜しました。」
「攻撃の手を緩めないで。前進全速。ECMブイを発射しつつ旋回。」
「了解。回避起動に移ります。」
「高高度超音速爆撃機隊への支援要請を確認、来ます。」
「AAFS全機発進、AACSも2機、囮にして。」
「了解。艦側部装甲爆破パージします。」
「許可する。」
直後、艦側部装甲が言われた通りに爆発し、海へと沈み、艦の中から巣から飛び出す蜂のように30機のAAFSが発進して空へと飛んで行った。
「コントロールは。」
「アイ・ハブ。」
「AACSは出来る限り高速で自艦から遠ざけます。」
「AAFS-1のカメラ映像を展開。」
目の前に空の映像が出力される。
「全機、機関砲のテストを。20発、3秒おきで4セット。」
2門の60mm機関砲の鈍い音がする。
「AAFSの速力では間に合わないでしょう。」
「ならば戦術を変更する。AAFSを対空戦闘へ回し、自艦は回避行動に専念せよ。最悪の場合AAFSを盾にする。」
「了解。」
「コントロールを得なかった艦がいます。ヴォリョル級航空母艦を旗艦とした試験艦隊です。」
「詳細を。」
「ヴォリョル級航空母艦、KF5667.2級戦艦3隻、KF5667.2級戦艦5隻、形式不明の高速艦3隻による艦隊です。」
「対艦ミサイル用意、照準。」
「目標捕捉。」
「発射!」
「次いで左舷酸素魚雷発射機、目標を中心に左右40度ずつ展開して広域に雷撃。」
「回頭します。左舷酸素魚雷発射機、用意。」
「敵艦の反応は。」
「LF2242級の対空装備が堅い為、ミサイルは意味をなしていない模様。」
「魚雷は。」
「到達までおよそ130秒。ほぼ確実に全艦命中です。」
「待機。」
「KF2242級が回頭しています。」
「盾になる気...」
「敵艦、魚雷発射。」
「敵に向き直って。回頭!」
「その必要はないと判断します。」
「何故...」
その後、向こうのLF2242級重巡洋艦、通称“ミャーコフ”級の放った魚雷は、こちらの艦の魚雷に見事に命中し、全ての魚雷を排除した。
「AAFS、残り4機。試験艦隊に対しAACSによる攻撃を提案します。」
「待って。」
そう、試験艦隊の旗艦の甲板上には航空機はいなかった。その上、KF5667.2級戦艦とKF5667.2級戦艦の全砲門はこちらとはほぼ反対方向を向いていたのだ。
「彼らは現在ノーアヘルム軍の指揮下にない、若しくは独断で行動していると推測する。そして、彼らに交戦の意思はないものと判断する。」
「了解。目標艦隊を中立位置にマークします。」
「通信です。」
「回線、開いて。」
「了解。」
すると、わずかなノイズと共にヴォリョル級航空母艦の艦長と思しき、年取った男の声がした。
「おお、聞こえたか。」
「こちら名もなき艦だ。」
「私は試験艦隊旗艦、ヴォリョル級航空母艦艦長のニコライ・セグヴィッチ海軍中将だ。貴方の名を知りたい。」
「私の名は...」
その時、「シャリエ・エレーナだ」と言いかけて彼女の口は止まった。
何かが私の記憶を書き換えようとしている。
そう思った次の瞬間、彼女は自分の名を口にした。
「エヴゲーニャ。」
「そうか、エヴゲーニャさん...階級を聞いても?」
男は丁寧に聞いてきた。そして、私は答えた。
「エヴゲーニャ級フリゲート艦一番艦、エヴゲーニャ。」
「は?」
男は一瞬驚いたように声を上げたが、咳払いをして答えた。
「そうか、なら私はヴォリョル級航空母艦一番艦、ヴォリョルだ。よろしく。」
「接触の目的は?」
「この残虐行為の和平的な解決だ。」
「残虐行為?私は敵を排除しているだけだ。」
「何が敵だ、立派な味方ではないか。」
「私がヴィーグエルンに侵攻しようとしたら止めた。攻撃までした。」
「それは君が単独では彼らに勝てないと判断したので止めようとしたのだ。一斉侵攻で重要な役目もある。」
「攻撃する理由は。」
「侵攻の失敗によって敵国に兵器を回収されるのが怖かったから推進部のみを破壊する予定だった。」
「なるほど...。」
「この発言は信憑性があります。事実、ロックオンがあった時に熱探知ミサイルによるメイン・エンジンに対するロックオンでした。」
「...ヴォリョル。」
「何だ。」
「交換条件だ。まずは一切の攻撃をやめさせろ。」
「少しむつかしいが、やってみよう。」
「二つ目、帰還後の修復修理を確実に行って。」
「それだけか。」
「それだけだ。」
「了解した。そうしたら全武装を発射して投錨してくれ。」
「錨などない。」
「機関停止をしてくれ。」
「攻撃停止を確認したらな。」
「以上だ。」
「機関、停止します。」
「許可する。」
艦は完全に停止し、全兵装、全弾撃ち切りを行った。
そして、彼女はブリッジから出て、外の空気を吸って、倒れた。




