Children of Sanuma 〜on the way of Tanabata〜
七夕の日。
幼稚園で先生から色鮮やかな短冊を配られ、園児たちはそれぞれお願い事を書くことになった。
大地は迷いもせずに、
ーーでかいなし
と大きな字で書きなぐる。
園児たちの様子を見ながらテーブルを回っていた先生がふと足を止めて、「でかいなし?」と尋ねる。
「ほだ。父ちゃんのよりもでっけえ梨作るんだ。あのな、こーんぐれえの!」と言って大真面目な顔をして両手を左右に精一杯伸ばしてみせる。
「そんなに大きな梨作るの?」
「ほだ!」心得顔に頷く。
「すごいわね、そんなおっきいのできたら先生も食べたいな」
「いいど。おれんちに軽トラで取りに来てくろ」
「先生、軽トラ持ってないのよね」
大地は目を丸くする。「大人なのに軽トラ持ってねえのが……。しゃあんめ(注:仕方がないな)、おれが幼稚園さ届けてやっぺ」
「ありがとう」
その隣で小首をかしげて恥ずかしそうに丁寧に一文字一文字書いているのは朱里である。
ーーおひめさま
「朱里ちゃんはお姫様?」
朱里は小さく頷く。
「素敵ね」
朱里はプリンセスの絵本が大好きである。今日は白雪姫。昨日は親指姫。その前は人魚姫。日替わりでお姫様絵本を熟読している。
入園して二年、もう男の子、だという気は微塵もしない。担任教師ばかりではない。おそらく誰もが生まれ持った性別を忘れている。
早速短冊を書き終えると園児たちは、園庭に出て園長が掲げる大きな笹に短冊を括りつけていく。
それが終わるとそれぞれ滑り台へ、砂場へ、ジャングルジムへ散じていった。
朱里も丁寧に短冊を括りつけると、教室へと戻り絵本の棚から「美女と野獣」を取り出した。
ーー今日は、これ。おひめさまのおべんきょう。
一ページ一ページ、じっくりと読んでいく。朱里にとってお姫様絵本の熟読は決して趣味娯楽に留まるそれではない。将来おひめさまになるための勉強なのだ。
ーーベルに贈られた薔薇の花。
朱里は慌てて周囲を見回す。窓の外には朝顔の蔓が伸び、たくさんの紫色の花を咲かせている。
ーーこれだ。朱里は手を伸ばして朝顔一つを取るとそっと胸の前に抱いて、再び席へと戻る。
次のページ。野獣とダンスを踊るベル。
ーーこれはおばあちゃんの元で日舞を毎日練習しているから大丈夫。
安心した矢先、しかし、はっとなる。
野獣も踊っているではないか。将来の王子様たる大地は踊れるのだろうか?
恐る恐る視線を窓の外にやると、大地は滑り台の上で両手を広げて何やら楽しそうに騒いでいる。
朱里は意を決して、お絵描き帳とクレヨンを持って外に出た。
「おれ、こっからジャンプできっから見でてー!」大地がそう言って手を振る。
「大地君ダメ—!」先生の絶叫をよそに、大地は飛び降りる。両手をついて、そのまま転がる。
「ってーー、失敗だべ……」
「大地君何やってんの! 手は? 足は? 痛いところある?」先生が駆け寄ってくる。
「ねえべ!」
大地は再び笑顔で立ち上がる。
それを半ば呆然として見つめていた朱里に気づいて、
「しゅり? どうした?」大地は駆け寄ってきて尋ねた。
朱里はお絵描き帳を広げた。
ーーおどり
「ん? おどり?」
朱里は神妙な顔をしてしきりに頷く。
「おどりてえのか?」
朱里は首を横に振って大地を指さした。
「おれがおどるのか?」
うんうん、と頷く。
「よっし! 躍ってやっぺ! 見でろ!」大地は腕まくりをして、パンパンと手を叩き、
「下妻しっちょめ しっちょめ♪」
歌いながら手を右へ左へひらひらと泳がせる。右足、左足、交互に尻を振りながら繰り出す。
朱里はこの、見たことのない変な動きに目を見開いた。
「ハー♪ ここは下妻 よっどこしょ!」
パンパン! 手を叩く。
「大ちゃん何やってんだっぺ?」面白そうな動きに砂遊びやら汽車ぽっぽ遊びやらしていた園児たちが次々に寄ってくる。
「こらあ、『下妻しっちょめ』だべ! 千人踊りに出っ時にばあちゃんに教わったんだ。おめらにも教えてやっぺ。ほれ、こうだ」
パンパン! 手を叩いて
「下妻しっちょめ しっちょめ♪」
園児たちは大笑いしながら大地に続いて手を右へ、左へ、とひらひらと泳がせる。
「ハー ここは下妻 よっどごしょ!」
暫く呆気に取られていた朱里も、楽しそうな大地の様子に次第に笑顔になる。
大地は踊れた。しかもみんなに教えられるぐらいに上手だ。王子様の準備は万端。朱里はほっと安堵のため息をつく。
そこに先生もやってきた。
「大地君盆踊り上手じゃないの!」
「ばあちゃんに教わったんだ」
「今度年少さんにも教えてあげてよ」
「いいど!」
「じゃあ、明日のお外遊びの時間に教えてあげてちょうだい」
「わがっだ!」
大地は上機嫌で、
「ハー ここは下妻 よっどこしょ!」と諸手を空へとかざした。
「今日はな、ばあちゃんに教わった下妻しっちょめを、おれがみんなに教えてやったんだ」
早速夕飯の席で大地は胸を張った。
今日の夕飯はとろろご飯にアジの開き、それから庭で採れたトマトにスイカ、茄子の煮びたしである。
「ほら、大したもんだべ!」
日頃から何をしても大地がかわいくてならないばあちゃんは、目を細めて大地の頭をぐりぐりと撫でてやる。一方、母は三歳の弟大河にとろろご飯を食わせていたその手を止めて、大地を見つめた。
「何でほっだらごどになってんだ?」母が尋ねると、
「ん? しゅりがな、おどりおどれるかって聞いたから『おどれる』っつっておどってやったら、みんなが真似してきたんだべ」
「みんなって誰だべ?」父も尋ねる。
「おれのゆり組と、隣のひまわり組と、それからばら組のやづらもいたべ」
父親は思わず味噌汁を吹き出しそうになる。
「ほっだらみんなに教えてやっだのが? もう、こら踊りの先生だべ! 大したもんだべ!」ばあちゃんは大地の頭を抱きしめる。「さすが平野家の跡取り息子だべ!」
「ばあちゃんに教わっでだがんな! でな、ほしたらな、明日は年少さんに教えてやってくろって先生がお願いしてきた。だから明日もおどりの先生やんだ」
「立派だべ!」ばあちゃんが拍手をする。「あとで小遣いやっかんな」こっそりと耳打ちする。
「ほだ、ばあちゃん。おれ、明日おどりの先生やっからはっぴ用意してくろよ」
「ほだな、すぐ用意すっぺ!」
「おばあちゃん、ちょっと待って! 幼稚園にはっぴは……」母の言葉を背に、いつも腰が痛いとこぼしているくせに、見たことのない様な機敏な様子で既にとっとと寝室へと向かっている。
「幼稚園さはっぴ着てぐなんて前代未聞だべ」母は呆れている。「まだ、連絡帳さ恥つかしいこと書かれっぺ」
「先週は『虫は幼稚園に連れてこないでください』だべ? 今週は『ミミズはお教室に連れてこないでください』だったべ」父もはあ、とため息をつく。「一体誰に似たんだっぺ」
それまで素知らぬ顔をしてとろろ飯をかっ食らっていた祖父が、「おめしかいねえべ」とぼそり、と呟いた。「おめも蝉で籠いっぺえにして、幼稚園連れてぐって騒いでだべ」
父は知らぬ顔をしてズズ、と味噌汁を啜った。
そうして翌日。
「いやだ! これ着てぐんだ!」
玄関先で母に紺色のはっぴを脱がされそうになって必死の抵抗を決めているのは、無論大地である。
「幼稚園にこっだの着てぐ人あんめ! こら、祭の日に着るもんだっぺよ!」
「今日はおれが踊りの先生やんだから着てぐ!」
「お祭りでねえんだから!」
「先生に頼まれてんだ!」
「先生ははっぴ着て来いとは言ってねべ!」
「いやだー!」
そうこうしている内にもう家を出る時間は過ぎている。
既に父は早朝から畑に行って梨の収穫をしていて、すぐに手伝いにいかないといけないのだ。母はため息をつくと大地を小脇に抱え、幼稚園バッグ、靴をもう一方の手に持ち、軽トラの助手席に担ぎ入れる。
「幼稚園行っても先生に、おうちに帰って着替えてきてください、って言われるかもしんねど」
「いやだ!」
幼稚園まではものの五分である。
到着すると、大地は機嫌を直し車から飛び降りた。
「あら、大地君今日はどうしたの?」園長から声を掛けられ、
「下妻音頭教えんだ!」胸を張った。
すかさず母親も軽トラを降りて、幼稚園バッグを無理やり掛けてやる。
「園長先生、すみません。これ着てぐって聞かねぐで。しかってやってください。もう、私の手には負えなくって!」
「さくら先生から聞いていますよ。今日は大地君が年少さんに盆踊り教えてくれるって。まあ、立派なお祭り用の衣装まで着てきてくれたんですね」
「……はあ」
大地は振り向きもせず園舎に走っていく。
「みんなー! 今日は下妻音頭教えてやっかんなー!」
教室に入るなり、大地はそう大声を発した。大地のはっぴ姿に園児たちはにわかに色めき立つ。
「大ちゃんの恰好何だべ?」
「大ちゃん、お祭り行ぐのが?」
「大ちゃんかっけーべ!」
幼稚園バッグを指定のフックに掛け、振り返った朱里はそっと微笑んだ。
朝の挨拶を済ませ、やがて外遊びの時間となる。
大地はいつも園長先生が話をする時に使う台に上ると、
「下妻音頭やるどー!」と叫んだ。
いよいよ大地先生による下妻音頭講習会の始まりである。
先生たちも面白がって拍手などしてみせる。
子供たちもわらわらと集まって来た。
「じゃ、いぐど? ハー ここは下妻 ハー どっこいしょ」
大地は右手、左手を交互に掲げ、空を見上げる。
「手はこう! 足はこうだべ!」
園児たちは面白そうに真似をする。
「ここは下妻 ハー どっこいしょ」
先生たちはその様子を見て、次のお遊戯会でこれを披露したら面白いのではないかと思い立った。否、園内だけではなく、老人ホームの慰問として躍らせたら高齢者の方々も喜んでくれるのではないか。いつだったか、折り紙やらあやとりやらをしに遊びに行った時には、中には涙を流して園児たちの来訪を喜んでくれた方もいた。
「さくら先生、大地君、こういうことになるととても力を発揮できる子ですね」
いつの間にやら担任教師の隣に園長が立っていた。
「ええ」担任教師は苦笑交じりに頷く。
「大地君は日頃は見ていてハラハラすることばかりですけど、人を引きつける何かがあります」
「もしかすると将来、なにか、人の前に立ってすごいことをする子になるかもしれませんよ」園長は笑みを浮かべ、腕組みながら言った。
「あ、でも大地君、七夕の短冊に『でかいなし』って書いてました」
「『でかいなし』?」
「ええ、大地君のお父さん梨農家やってらっしゃって、お父さんよりも大きい梨を作りたいんですって。ちょうど自分の体くらいの大きさの」
「まあ、すごい!」園長は素直に感嘆する。
「大地君、できたら軽トラで幼稚園に持ってきてくれるそうですよ」
「嬉しいじゃないの! それじゃあ将来は、立派な農家として人を魅了していくようになりますよ、大地君は」
果たしてここで下妻音頭を披露していた大地は、歌とギターでもってドイツのメタルフェスで八万人の前に立つことになる。そしてその隣には、言葉を一切発することのなかったプリンセス志望の朱里がギターで世界中を魅了するようになったのだが、さすがにそれは、幼稚園時代の担任教師も園長も、予想だにできぬことであった。
翌月ーー
凛々しいはっぴ姿に鉢巻で決めた大地は、砂沼の畔にある老人養護施設の芝生の上で、十数名の園児たちを振り返り、「おめら! やるど!」と気合を入れた。
早速音楽が始まる。曲名は無論下妻しっちょめと下妻音頭。高齢者たちは車いすから、あるいはベッドの上から、この上ない期待を込めた眼差しで中庭を見つめていた。
「ハー ここは下妻 よっとこしょ!」
高齢者たちは幼い子供たちの元気いっぱいな演技に感涙さえ浮かべた。中には、両手を摩り拝みだす者さえいる。多くの高齢者たちは手を叩き、うんうん頷いて園児たちの踊りをこの上なく尊いものであるかのように眺めていた。ちょうど十数年後、ヴァッケン・オープン・エアでメタラーたちが感嘆してみせたのとまったく同じように。無論、その一番後ろにはやはり遠慮がちに踊る朱里の姿もあったのである。




