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第2話 勧誘される天使

 ルーン川沿いの戦場を渡り歩いていると、泥濘んだ地面がローブの裾を重く引きずる感触が伝わってきました。遠くで断続的に響く銃声と砲撃の低いうなりが、空気を震わせています。そんな中、ノイグリア帝国の兵士が突然私の前に立ち塞がり、声をかけてきました。


「メアリー・リヴィエールですね?」


「? ノイグリアの兵士さんですね。私に何か?」


 彼の目は鋭く、銃を握る手には泥と血がこびりついていました。迷いなく言い放ちます。


「貴様を拉致して、ノイグリアの治療兵として利用させてもらう」


「それは帝国側に属せということでしょうか?」


「……まあ、そういうことになる」


「残念ですが、私は負傷者を選びません。案内してくだされば治療しますよ。負傷者はどこですか?」


「……あんたが言うことを聞かない場合は連れ去るように指示されている」


 言葉が終わると同時に、彼は素早く銃を構え、私の足元を狙って引き金を引きました。乾いた銃声が耳を切り裂き、地面に土煙が上がる。威嚇射撃ですね。でもこの程度なら、問題ありません。


 私はすでに銃口の先に薄い結界を張っていました。淡い光の膜が弾丸を正面から受け止め、金属が内側から爆ぜるように暴発します。銃身が不自然に曲がり、破片が彼の腕を掠めて鮮血を散らし、硝煙が一瞬で周囲を覆いました。焦げた匂いが鼻を突き、彼の袖が裂けて赤く染まる。


「なっ!?」


 彼がよろめき、バランスを崩した隙に、私は一歩踏み込んで右手で彼の顎を強く掴みました。左手は肩に押しつけ、体を捻りながら重心を崩します。腰を落として力を込め、彼の体を地面へ叩きつける。砂塵が大きく舞い上がり、泥に背中が沈む鈍い音が響きました。彼の息が一瞬止まり、苦痛に顔を歪めます。


「ぐはっ!?」


「では、案内をお願いしますね?」


 彼はしばらく地面に伏せたまま息を荒げていましたが、やがて観念したようにゆっくり立ち上がりました。泥まみれの軍服を無造作に払い、痛みを堪えながら私の前を歩き始めます。足取りは重く、時折肩を震わせていました。


 しばらく進むと、廃墟となった小屋が視界に入りました。仮の拠点らしく、周囲に簡易な土嚢が積まれ、中からは血と汗の混じった重い空気が漏れ出ています。彼が扉を押し開けると、負傷した帝国兵たちが横たわる姿が見えました。包帯が血で赤黒く染まり、うめき声が漏れています。彼が仲間たちに視線を向けると、数人が顔を上げました。


「ドレッドさん? その人は戦場の天使?」


 どうやらこの人はドレッドさんというらしいですね。


「ああ、噂にたがわぬ美貌と治癒魔法の使い手だ。悪いが、ここにいるのはアストレア王国軍と交戦して生き延びた一団だ。帝国兵になってくれないなら、せめてこいつらだけでも治療してくれ」


「それは構いませんよ。それでは、皆さんの傷を治療させていただきます」


 私はまず近くにいた女性兵士に近づき、両手を彼女の腹部の深い傷にかざしました。掌から淡い緑の光が静かに放たれ、傷口全体を柔らかく包み込みます。血が逆流するように傷口へ吸い込まれ、裂けた皮膚が波打つように寄り集まり、肉がゆっくり蠢いて塞がっていきます。光はさらに深部まで浸透し、損傷した内臓を優しく修復。温かな脈動が彼女の体を伝い、腫れが引いていくのがわかります。彼女の顔から痛みの色が徐々に消え、代わりに息を吐くような深い安堵の笑みが浮かびました。瞳がわずかに潤み、唇が震えます。


「ありがとうございます……!」


「いえ、私はすべきことをしたまでです」


 その後も、次々と光を流し込んでいきます。腕を失いかけた若い兵士の骨に光の粒子が集まり、断裂した部分を再接続。出血がぴたりと止まり、腫れが急速に引いていきます。皮膚が滑らかに覆われ、瘢痕すらほとんど残さず癒えていきました。別の兵士の脚の貫通傷には、光が筒状に流れ込み、内部から肉を押し広げるように修復。痛みが引くにつれ、彼らの表情が次々に変わり、感謝の声が重なり合います。


「本当に助かりました!」


「こんな魔法、初めて見た……」


「天使だ、本当に天使だ……」


 治療を終え、立ち上がろうとすると、ドレッドさんが静かに声をかけてきました。声には疲労と、わずかな希望が混じっていました。


「本当に帝国兵として俺たちの仲間になりませんか? あんたなら最前線でも戦えそうだ。俺たちを……もっと助けてくれ」


「私は負傷者を治療するためにここにいるんです。戦争の当事者にはなりたくありません。また怪我をしたら呼んでください。私は、誰であれ治療したい」


 そう言い残し、私は廃屋を出て戦場へ歩き出しました。彼らはこれ以上私を追ってくる様子はなく、ただ静かに見送るだけでした。念のため背後を警戒していましたが、誰も動く気配はありません。少し拍子抜けしますね。いいえ、いつかまた私は…………悪魔と呼ばれるのかもしれません。それでも、今の私はこの戦場で、天使でいたい。


「壁に耳あり障子に目あり、負傷時に私ここにいます……さて、次の負傷者はどちらでしょうか」

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