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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

闇夜に問う

作者: あお乃林檎

 私は十四歳で王太子殿下の妃になりました。それから二年後、王太子殿下に運命の人なる者が現れ、私は離縁を言い渡されました。

 泣いてすがる私を王太子殿下は振り払い、吹き飛ばされた私はそのまま頭を机にぶつけました。その時、王宮が一度、ゆらりと揺れました。

 私と殿下の婚姻は亡き王后様の言いつけでありました。決して妃を蔑ろにしてはならぬと、仰られていたのです。なのに王后様がお亡くなりになられると、王太子殿下を始めとした多くの王侯貴族たちが、父親のわからぬ妃は要らぬと、海外留学からお戻りになったばかりの公爵令嬢を新しい妃にするべく、嘆願書まで作られていたのです。亡き母の父である侯爵様までが、私を除外しようとなさるのです。

 私は何のために辛いお妃教育を耐えてきたのでしょう。ならば始めから私を妃になどしなければよかったのです。


 何も持たされずにお城を追い出された私は、這々の体で森の神殿にたどり着きました。仮宿のような建物、そこで思いっ切り泣きました。雨が降っています。次第に雷雨となりましたが、悲しみに暮れた私にはどうでもいいことなのです。

 私にはもうこの国にいる場所がありません。ですから父の下へ戻ろうと思います。父は世界の中心、神山の山頂に近い場所に建てられた学び舎に住む学者で、賢者と呼ばれています。なのに、この国の人達は亡き王后様以外は、誰も父が賢者であると信じてくれません。森に住む木こりのおじいさんにこのお話をすると。

「嬢ちゃんの親父殿は神さんじゃろがガハハ」

 と笑うだけで、私の話を聞いてくれませんでした。

 父はこの国へ幼い私を送ってくださった際に、私に四大聖霊を付けてくださった。もちろんその四大聖霊達と一緒に帰るつもりです。

 私がこの国へ来る前は、ここはとても貧しい土地だったそうです。でも私が来て外歩きが出来るようになった頃には、豊かな国になっていました。


 聖霊達が父に私の帰郷を知らせてくれたので、父は数頭の飛竜を送って下さいました。これから帰還の旅が始まります。

 飛龍には私の他に、一緒に行くと仰ってくださった、土地神様や女神様達も騎乗しています。私がこの土地に来たばかりの頃は、皆とても小さく、今にも消え入りそうであったのに、今では飛龍に乗れるほど元気になって下さいました。

 私達の頭上だけ雨雲が避けるように晴れて、青空が見えています。

 そして私達は空高く舞い上がったのです。


 地上を見下ろすと川が氾濫しています。民は避難したようで、遠く雨雲のない空の下に、人の行列が見え隠れしています。

 地面が波打ち揺れて大きな亀裂が入りました。王城も揺れて尖塔が崩れ落ちていきます。

 私の愛した王太子殿下のお姿が見えました。王太子殿下の腕の中に、憎き公爵令嬢がいるのも見えます。私は涙を拭き前を見据えました。もう振り返りません。

 背後で雷の落ちる音が、立て続けに聴こえてきましたが、それも段々遠くになっていきました。



「お帰り」

 父は両腕を広げて私を迎え入れてくださいました。

「ただいま戻りました。お父様、私は」

「いいよ、皆まで言わなくてもいいんだよ」

 温かい父の腕の中で私は泣き続けました。やっと私の長い旅が終わりを告げたのです。



 心優しい神の子が、王宮で蔑ろにされ放逐される。その噂を耳にしていた心ある民達は、ついに国を捨て移住の決断をする。

 いつかこの日が来るだろうと準備をしていた為、行動は早い。既に動物達は森の中から姿を消していた。

 神の子の為に森の神殿を整え、食料を置いていく。神の騎竜が降下出来るように、老きこりとその息子が木を伐採し、手の空いた者がでこぼこになった土を整地した。

 準備は整った。年寄りや乳児、身体の不自由な者を乗せた馬車を守りながら、民達は隣国へと旅立っていった。


 最後の行列が国を出たのを見届けた。雲の上から民達を見守っていたフードを被る者。その周囲に稲光が走り、広範囲にまばゆい光が点滅する。

 先ずは腐敗した貴族達目掛けて、雷撃を落としていく。建物さえ貫く閃光が貴族達に襲いかかり、次から次へと息絶えていく。神の子を裏切った祖父も、黒焦げのトカゲのようになって、床に横たわった。

 濁流に飲まれた者もいる。王族達は深く断裂した地の底へ、叫びながら落ちていく。


 地上に降り立つと、けぶるような霧雨が降っていた。視線の先には、地べたに座り、瓦礫に寄り掛かりながら、黒く焼け焦げた女の死体を抱きしめる男がいる。誰かは分かっていた。この国最後の生き残り、王太子である。

 生気を失った虚ろな眼差しが上を向き、目の前に立つ男を見上げた。

「賢い民は隣国へ旅立った。後は愚かなお前だけが残っている」

「私が何をしたと言うのだ」

 言葉が終わると同時に、王太子は襟首を掴まれ、軽々と片腕で持ち上げられると、勢いよく地面に叩き付けられた。降りしきる雨の中、痛みを堪えながら身体を起こそうともがいていると、今度は頭を強く踏みつけられた。強烈な痛みと脳の揺れに低くうめく。

「私は亡き王后の願いを叶え、豊穣の娘を送った。貴様はその娘に何をした」

「豊穣の娘?」

「貴様の元妃だ」

ーー私が殿下をお守りします!ーー

 遠い日。その子が来た日に、痩せていた土地に植物が生えた。雨が降り、枯れていた森、干からびた湖が、瑞々しく蘇っていく。草原を兎が跳ね、鹿や野生馬が走り回る。現れた豊富な食料に、民が歓喜の声を上げていたあの日。

「ふ、ふふ、私は間違えたのだな」

 今更後悔をしても、何もかもが終わっている。国は滅び、自分の運命も尽きようとしている。

 男が王太子の頭から足を除ける。目前には濁流が迫りきていた。それでも王太子は身体を起こさない。

 やがて奔流が王太子の身体を押し上げ流し、濁流に飲み込まれていく。フードの男はそれを最後まで見届けると、まるで始めからそこにはいなかったかのように、忽然と姿を消した。









 口の中から泥水を吐き出していた。何度か咳き込むと、額を地面を押し付け身体を支える。荒い息を繰り返していると、誰かが自分の肩を支えていると気付いた。

「オルランド様!」

 泣きながら自分の名を呼んでいる。酷く懐かしく感じる声だ。ああそうかエレーナだ。私の元妃。何故お前がここにいる。

 直ぐ傍には川が見える。私は岸辺へ押し上げられたのか。重怠い身体をほんの僅か動かすだけで、全身に激しい痛みが走る。

 何とか身体を転がし仰向けになると、私を見詰める泣き顔。そうだ忘れていた。お前は私のせいで額を机にぶつけたのだ。怪我はどうなったのだろうか。震える右腕を叱咤し伸ばすと、指先で淡い陽色の髪をかき上げ確認する。良かった傷は残っていない。痛かっただろうに、ああ私はなんと酷いことをしたのか。

 私がこめかみに触れていると、エレーナはポロポロと涙を溢して顔を歪めた。そのような顔をしても、お前は愛らしく美しいのだな。

 エレーナは私の手を両手で掴むと、肩を震わせ嗚咽を必死に堪えている。私の為に泣いてはならん。

 声を出そうとした直後、喉が詰まり咳き込んだ。何度か息を止め咳を止めると、無理矢理声を出す。

「私、など、に、構う、な」

 声は届いただろうか。このままここへ捨て置けばいい早々に死ぬ。エレーナが後ろを振り返る。

「お父さまお願いします!オルランド様をお助けください!」

 エレーナの後ろに、木に凭れ掛かるフードを被ったあの男がいる。娘の言動に呆れているようだ。そうだな、自分を裏切り無残に打ち捨てた男を、どうしてお前は助けたがるのか。

「お前なあ、その男にそこまでする価値があるのか」

 そうだ私にはそのような価値などない。魔的な魅力の妖艶な娘に魅了され溺れ、正しき判断を下さず国を滅ぼしたのだ。更にお前にとっては裏切りの元伴侶であろう。

「関係ありません。私がそうしたいだけなのです」

「ほう?」

「お助け頂けないのなら、私はこのままオルランド様とここで運命を共に致します」

 何故だ、何故そこまでお前は。

ーー私が殿下をお守りします!ーー

 ああ、遠い日の約束を守ろうとしているのか。健気な。お前と言う娘は。

「ふん!」

 男がそっぽを向くと同時に全身を巡る痛みが消えていく。重だるさが取れた。上半身を起こした私の背中を、エレーナの温かい左手が支えてくれる。喉もとに触れてみた。声は出るようだ。

 私の右手を掴む小さな右手をそっと外した。

「オルランド様……」

 淋しげな顔になるでない。溜息を吐き出しエレーナを見詰めた。

「命を助けてもらった礼は言う。ありがとう」

「あ、いえ父が」

「だがこの命は直ぐに捨てる」

「オルランド様!」

 エレーナが悲鳴のような甲高い声を張り上げた。

「私は私の愚かさから国を滅ぼした。その罪科は重い。己の命では足りないくらいだ」

 どの道死んで詫びる以外私に出来ることはないだろう。

 エレーナの顔から感情が消えている。

「そうですか。では私の命もお足しくださいませ。私にも罪科がございます。私は自分を知らなかった。私が知らず悲しみに暮れた結果、この国へ神の力を及ぼし滅ぼしてしまいました。これは私の罪なのでございます」

 何と!お前は自分の罪と申すのか。いや違う。断じて違うぞ!

「亡き母の言葉を信じず鵜呑みにした、私と父王と王侯貴族達の罪だ。お前は悪くないのだ」

 そう、感謝の心を忘れ、欲深になった私を含めた化物達のせいなのだ。

「私や国に尽くしてくれたお前を裏切り悲しませた。それだけでも死ぬには充分であろう」

 エレーナがまた泣きそうな顔になる。笑顔の一番似合う娘なのに、私のせいでお前は泣いてばかりではないか。

 あれはお前と違って強欲で嫉妬深く、醜い心持ちの女であった。それでも私はあの魔女を愛していたのだよ。愚かな事にな。

 エレーナの瞳に強い光が宿る。

「それでも死んではいけません。貴方は生き残りました。生き残った者には生き残った者の責務がございましょう。貴方は生きる事で償わなければなりません。それは私も同じです」

「そうか」

 死んでこの身に残った罪悪が消える訳では無いが。

 傍観に徹していた男が、木に凭れていた身体を起こす。懐から何かを取り出し私に何かを投げて寄越した。受け取るとそれは飾り気の一切の無い、一振りの短剣であった。

「先ずはそれだけで生きのびてみろ」

 面白くなさそうに私を見る。その表情はひとかどの神とは思えなぬ人情臭さがあった。

「さあ帰るぞ」

「はい……」

 エレーナが男に返事を返し私を見詰める。これが今生の別れとなるだろう。そう思うと優しい気持ちになれた。

「幸せであれ」

「オルランド様!」

 エレーナは私にしがみつき口付けをすると立ち上がった。そうだ、お前は涙を流していても笑顔でいろ。私を忘れて幸せになれ。

 男がエレーナの肩を掴むと二人の姿は消えてしまった。いきなり川の激しく流れる音が耳に迫り聴こえてくる。

「幸せにな」

 短剣を鞘から抜いた。刀身は美しく切れ味は良さそうだ。

 鞘を脇に置き両手で柄を持ち直し腕を伸ばすと、心臓目掛けて思いっ切り突いた。


 つもりだった。刃は服の上で止まっている。

「成る程、どうあっても生きなければならぬのだな」

 短剣を鞘にしまい、立ち上がるとベルトに刺した。陽が傾いていた。夕闇が迫る、もうすぐこの辺りは闇の中だ。先ずは濡れた衣服を乾かすか。いや、その前に今夜の寝床を探さねば。

「生きなければな」


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