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ラウンド2:「美の基準とは何か?」〜写実か、感情か、コンセプトか〜

(ラウンド1の激論の余韻が残るスタジオ。対談者たちは、新たなテーマを前に、それぞれの思索にふけっているようにも見える。司会者あすかが、明るい声でラウンドの開始を告げる)


あすか:「さあ、皆さん!ラウンド1『我が芸術こそ至高!』では、それぞれの芸術の頂点と、その限界について熱く語っていただきました。いやー、まさに頂上決戦にふさわしい火花散る議論でしたね!」


(あすか、少し間を置いて、真剣な表情になる)


あすか:「さて、続くラウンド2では、さらに根源的な問いに迫りたいと思います。テーマは…『美の基準とは何か?』私たちは、何をもって『美しい』と感じるのでしょうか?それは、見たままを正確に写し取ること?心揺さぶる感情の表現?それとも、斬新なアイデアやコンセプト…?皆様が芸術を創造し、また評価する上で、最も重要視する『美の基準』について、存分に語り合っていただきたいと思います!」


(あすか、まずはルネサンスの二人に視線を送る)


あすか:「では、このテーマ、やはり伝統的な美を追求されてきたルネサンスのお二人から伺いましょうか。ダ・ヴィンチさん、ミケランジェロさん、皆様にとって『美』とは、どのような基準で測られるものなのでしょう?」


ダ・ヴィンチ:「(静かに頷き)ふむ、良い問いですな。『美』の基準、それは決して移ろいやすい流行や個人の好みだけで決まるものではありません。宇宙の根本原理と同じく、普遍的な法則に基づいていると私は考えます。すなわち、調和、均衡、そして黄金比に代表される数学的な比例関係。これらは、人体の完璧なプロポーションや、自然界の造形の中にも見出すことができます」


(ダ・ヴィンチ、自らの手を見つめながら)


ダ・ヴィンチ:「そして、その法則に則って、自然を可能な限り忠実に、かつ理想的に再現すること。これが、美の基本です。私の描く人物の解剖学的な正確さ、風景における空気遠近法の応用…これらは全て、目に見える世界の真実を探求し、それを最も美しい形で表現するための技術なのです。その技術の完璧さこそが、美の客観的な証左となりうるのです」


ミケランジェロ:「(ダ・ヴィンチの言葉を受け)ダ・ヴィンチ殿の言うことにも一理ある。技術の練磨は不可欠だ。しかし、美の基準はそれだけではない!より重要なのは、その形に宿る精神性、あるいは神々しさだ!我々が目指すのは、単なる外見の模倣ではない。物質を超えた、崇高なる魂の輝きを表現することなのだ!」


(ミケランジェロ、拳を握りしめる)


ミケランジェロ:「私の『ダヴィデ』を見よ!あれはただの若者の裸体ではない。内に秘めたる勇気、信仰心、そして神に選ばれし者の気高さが、その肉体を通して表現されているのだ!あるいは『ピエタ』のマリアの悲しみ…あれは、個人的な嘆きを超え、全人類の苦悩を背負うかのような普遍的な深みを持っている。技術は、あくまでその内なる精神を形にするための手段に過ぎん!形の奥にある、目に見えぬ力強さ、気高さこそが、真の美の基準なのだ!」


あすか:「普遍的な法則と技術、そして精神性と神々しさ…!ルネサンスの美の基準、非常に深遠ですね…。しかし、このお二人の意見に対して、異を唱えたい方がいらっしゃるはず!ピカソさん、いかがでしょう?そのような『普遍的』『客観的』な美の基準、本当に存在するのでしょうか?」


ピカソ:「(鼻で笑って)ハッ!普遍的?客観的?笑わせるな!そんなものは幻想だ!美なんてものは、時代によって、文化によって、いや、見る人間一人ひとりによって全く違うだろうが!」


(ピカソ、前のめりになって)


ピカソ:「あんたたちの言う『調和』だの『均衡』だの、そんなもんは退屈なだけだ!俺にとっての『美』は、もっと衝撃的で、刺激的で、感情を揺さぶるものだ!見た瞬間に、頭をガツンと殴られたような、あるいは、心の奥底を鷲掴みにされたような…そういう体験こそが、芸術における『美』なんだよ!」


あすか:「衝撃的で、感情を揺さぶるもの…?」


ピカソ:「そうだ!例えば、俺の『アヴィニョンの娘たち』!あれを見て『美しい』と思う奴は少ないかもしれん。むしろ、醜い、不快だと感じる奴の方が多いだろう。だが、それでいいんだ!あれは、それまでの西洋絵画が築き上げてきた『美』の概念を、根底からぶっ壊すために描いたんだからな!アフリカ彫刻の持つ原始的なエネルギー、多視点による形態の解体…あれこそが、新しい時代の『美』の幕開けだったんだ!」


(ピカソ、自信に満ちた表情で言い放つ)


ピカソ:「あるいは『ゲルニカ』はどうだ?あれは戦争の悲劇を描いた、おぞましい絵だ。だが、あの怒り、苦痛、絶望の叫びの中に、人の心を強く打つ、ある種の『美』があるとは思わないか?それは、綺麗事ではない、生々しい『真実』の美だ!美の基準なんてものはな、芸術家がその手で創り変えていくもんなんだよ!」


ダ・ヴィンチ:「(冷静に)ピカソ殿、あなたの言う『衝撃』や『感情の揺さぶり』も、芸術の一つの力かもしれぬ。しかし、それだけでは一過性の興奮に終わってしまうのではないか?我々が目指すのは、時を超えて人々の心に静かに沁み入る、永続的な美なのだ」


ミケランジェロ:「そうだ!醜悪さや不快感の中に美を見出すなど、倒錯した考えだ!神が与えたもうた『美』の秩序を破壊するなど、言語道断!」


ピカソ:「(呆れたように)だから、あんたたちは古いんだよ!美は一つじゃない!無数にあるんだ!」


あすか:「うーん、美の基準を巡って、またしても意見が真っ二つ!普遍的な美か、それとも時代や主観によって変化する美か…。さて、黒澤監督、映画という比較的新しい芸術においては、『美の基準』はどのように考えられていますか?」


黒澤:「(少し考えてから)…映画における『美』も、一言で定義するのは難しい。だが、私が常に意識しているのは、『真実味リアリティ』と『様式美』の融合だ」


あすか:「真実味と様式美…ですか?」


黒澤:「そうだ。例えば、『七人の侍』の合戦シーン。あれは、泥まみれになり、雨に打たれ、必死に刀を振るう侍たちの、生々しい『真実味』を描いている。だが同時に、計算され尽くしたカメラワーク、光と影のコントラスト、スローモーションの効果的な使用などによって、ある種の『様式美』…つまり、絵画的な美しさをも追求している」


(黒澤、言葉を選ぶように続ける)


黒澤:「美しい風景や役者を撮るだけが、映画の美ではない。時には、貧しさや醜さ、人間の弱さといった『負』の部分を描くことにも、真実に基づいた美しさがある。私の『羅生門』のように、一つの出来事が、見る立場によって全く異なる様相を見せる…その多角的な視点そのものにも、ある種の美しさ、あるいは世界の複雑さという真実があるのではないか」


黒澤:「そして何よりも、観客の心を深く揺さぶり、登場人物に感情移入させる力。それがなければ、どんなに映像が美しくとも、意味がない。物語を通して描かれる人間の魂の輝き、あるいは葛藤…それこそが、映画における究極の『美』だと、私は考えている」


あすか:「真実味と様式美の融合、そして感情を揺さぶる物語の力…!映画ならではの美の基準、非常に興味深いです!さて、ここで皆さんに、具体的な作品について伺ってみたいのですが…例えば、ダ・ヴィンチさんの『モナ・リザ』。あの絵は、なぜ何世紀にもわたって、これほど多くの人々を魅了し、『美しい』と言われ続けるのでしょうか?」


ダ・ヴィンチ:「(穏やかに)ふむ、『モナ・リザ』か…あれは、単に女性の肖像を描いただけではない。スフマート技法による柔らかな陰影、背景の幻想的な風景、そして何よりも、あの捉えどころのない神秘的な微笑み。あれは、見る者の心の中に様々な感情を呼び起こす。喜び、悲しみ、あるいは皮肉…。人間の内面の複雑さ、その深淵を覗き込ませるかのような…そこに、時代を超えた普遍的な魅力、美しさがあるのではないだろうか」


ピカソ:「(口を挟む)フン、神秘的ねぇ…俺に言わせりゃ、ただの小金持ちの奥さんの退屈な肖像画だがな!もっとも、ルーブルから盗まれたりして有名になっただけじゃないのかね?」


あすか:「(苦笑)ピカソさん、相変わらず辛口ですね!では、逆にミケランジェロさんの『ダヴィデ像』の美しさとは何でしょう?」


ミケランジェロ:「(ピカソを無視して)『ダヴィデ』の美しさは、先ほども言った通り、その完璧な肉体と、そこに宿る精神の高潔さにある!均整の取れたプロポーション、力強い筋肉、そして巨人ゴリアテに立ち向かう直前の、若き英雄の決意と知性を湛えた表情!あれこそ、人間が到達しうる理想の姿なのだ!見る者に勇気とインスピレーションを与える、崇高なる美だ!」


あすか:「なるほど…では、ピカソさんの『ゲルニカ』についてはどうでしょう?あの作品は、戦争の悲劇を描いていますが、『美しい』と言えるのでしょうか?」


ピカソ:「美しいかどうかは、見る奴が決めることだ。だが、俺はあの絵に、戦争の愚かさ、非人間性に対する怒り、そして平和への祈りを込めた。モノクロームの色彩、断片化された形態、叫びを上げる人や動物…それらは、悲劇の『真実』を最も強く表現するための選択だった。もし、あの絵を見て心が揺さぶられ、何かを感じ取ってくれるなら、それは俺にとって『意味のある』芸術であり、ある種の『力強い美』を持っていると言えるだろう」


黒澤:「(静かに)…『ゲルニカ』は、たしかに美しいとは言えないかもしれん。だが、あの絵には、目を背けたくなるような現実を、我々に突きつける圧倒的な『力』がある。それは、芸術が持つ重要な役割の一つだ」


あすか:「『力』ですか…美しいだけが芸術ではない、ということかもしれませんね。では、美の対極にある『醜さ』についてはどうでしょう?芸術において、『醜さ』を描く意味はあるのでしょうか?」


ミケランジェロ:「醜さは醜さでしかない!神が創りたもうた美の秩序を乱すものは、芸術とは呼べん!」


ダ・ヴィンチ:「いや、ミケランジェロ殿。醜さの中にも、ある種の真実や、あるいはグロテスクな魅力といったものがあるやもしれぬ。例えば、老人の深い皺や、奇妙な生物の形態…それらを観察し、描くことも、世界の多様性を知る上で無意味ではない」


ピカソ:「その通り!醜さ、歪み、不協和音…そういうものの中にこそ、人間の本質や、時代の病理が隠れていることが多いんだ!綺麗事ばかりじゃ、何も見えてこないぜ!」


黒澤:「…私もそう思う。光があれば影があるように、美があれば醜さもある。その両方を描き出してこそ、人間や世界を深く理解することができるのではないか」


あすか:「うーん、『美の基準』を巡る議論は、『醜さ』の意味にまで広がってきましたね…!皆さんのお話を伺っていると、『美』という言葉だけでは捉えきれない、芸術の持つ多様な価値や力が浮かび上がってきたように思います。客観的な法則、精神性、感情の爆発、真実の追求、そして心を揺さぶる力…」


(あすか、スタジオを見回し、深く頷く)


あすか:「どうやら、『最高の美』の基準は、一つではない…というのが、ここまでの結論、なのかもしれませんね。実に興味深い展開です!」


(あすか、次のラウンドへの期待を込めて)


あすか:「さて、ラウンド2『美の基準とは何か?』、こちらも大変白熱した議論となりました!この流れを受けて、次のテーマは…『芸術は誰のために?』神か、パトロンか、大衆か、それとも自己か…芸術家を突き動かす根源的な動機に迫ります!一体どんな激論が待ち受けているのか!?どうぞご期待ください!」


(ラウンド2終了のファンファーレ。対談者たちは、それぞれの美学を胸に、次の戦いを見据えているかのようだ)

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― 新着の感想 ―
 美とは何か。漢字の成り立ちから考えるならば『大きな羊』ということで一目で人の欲望を掻き立てるものということになるでしょう。故にまずピカソのキュビズムは脱落です。  次に黒澤明、彼の作品は美だけに囚わ…
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