表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

3/10

ラウンド1:「我が芸術こそ至高!」〜それぞれの頂点〜(後編)

(前半の議論の熱が冷めやらぬスタジオ。対談者たちは互いを意識し、次の言葉を探している。あすかがその中心で、にこやかに、しかし鋭い視線で進行を続ける)


あすか:「いやはや、皆さん、ご自身の芸術への絶対的な自信、そして他の芸術への容赦ないご指摘、大変聞き応えがありました!絵画の万能性、彫刻の永遠性、革新的表現、そして映画の総合力…。しかし同時に、ダ・ヴィンチさんは彫刻の色彩の欠如を、ミケランジェロさんは絵画の平面性を、ピカソさんは古い芸術の限界を、そして黒澤監督は静止芸術の時間的制約を、それぞれ指摘されましたね」


(あすか、少し身を乗り出して)


あすか:「ここからは、その『限界』について、もう少し深く突っ込んでみませんか?相手の芸術の『弱点』を突くことで、ご自身の芸術の『絶対性』をさらに証明していただきましょう!さて、どなたから参りましょうか…?では、先ほどミケランジェロさんから厳しいご指摘を受けたダ・ヴィンチさん、反撃の狼煙を上げていただけますか?彫刻の『限界』について、改めてお願いします」


ダ・ヴィンチ:「(穏やかに頷き)よろしい。ミケランジェロ殿、あなたの彫刻の力強さ、存在感は認めましょう。しかし、先ほども少し触れましたが、色彩を欠いた世界は、現実世界の豊かさの半分しか表現できていないとは思いませんか?朝焼けの空のグラデーション、女性の肌の柔らかな血色、木々の緑の濃淡…これらを石塊でどう表現すると?それに、主題も限られる。複雑な物語、多くの人物が登場する場面、広大な風景…これらを彫刻で表現するのは、絵画に比べて遥かに困難、あるいは不可能に近いでしょう」


(ダ・ヴィンチ、ミケランジェロの目を見て続ける)


ダ・ヴィンチ:「そして、制作における物理的な制約。あなたはそれを精神性の証のように語られましたが、重い石を運び、(のみ)を振るう…その労力の大半は、芸術的創造というよりは、むしろ肉体労働に近い。我々絵描きのように、思考を瞬時に筆に乗せ、軽やかにアイデアを形にする…そうした知的な創造の自由度が、彫刻には欠けているように思えますが、いかがですかな?」


ミケランジェロ:「(憤然として)肉体労働だと!?ダ・ヴィンチ殿、貴殿には彫刻家の苦悩と栄光がまるで分かっておらん!石と対峙し、その内なる声を聞き、神の意志を読み取りながら形を削り出す…それは単なる労働ではない、魂の格闘なのだ!その困難さこそが、作品に比類なき精神性と重みを与えるのだ!」


(ミケランジェロ、ダ・ヴィンチの絵画に視線を移す)


ミケランジェロ:「それに比べ、貴殿の絵画はどうだ?たしかに色彩はあるかもしれん。だが、それは所詮、光の加減でどうとでも変わる移ろいやすい『錯覚』ではないか。我々の彫刻のように、千年経っても変わらぬ実体としての存在感はない。そして、何度言ったら分かるのだ、平面という限界!観る者は常に画家の仕掛けた『一点』から覗き見るしかない。彫刻のように、自ら歩き回り、発見する喜びもない。自由なのは画家だけで、観る者は不自由だ!それが最高の芸術と言えるのかね!?」


あすか:「魂の格闘!平面の限界!うーん、両者の主張、どちらも譲りませんね…!さて、このルネサンスのお二人の熱い戦いを見て、ピカソさんはどう思われますか?」


ピカソ:「(面白そうにクツクツと笑い)ハッ!どっちもどっちだな!平面だの立体だの、色彩だの永遠性だの…そんな表面的なことで言い争って、まだ飽きないのかね、あんたたちは」


(ピカソ、ダ・ヴィンチとミケランジェロを交互に見る)


ピカソ:「問題はそこじゃないだろう。あんたたちの芸術の根本的な限界は、結局のところ、『形式』に縛られすぎていること、そして、パトロン様どものご機嫌取りだったってことだ!『美しく』描かなきゃいけない、『正しく』作らなきゃいけない、『聖書』の言う通りにしなきゃいけない…そんな窮屈なところで、本当に自由な魂の表現ができるわけがないだろう?」


ダ・ヴィンチ:「(冷静に)ピカソ殿、我々は形式に縛られているのではない。長年培われてきた様式の中に、普遍的な美の法則を見出し、それを探求しているのだ。パトロンの存在も、芸術家が制作に専念するための重要な支えであった」


ミケランジェロ:「そうだ!貴様のように、ただ奇をてらい、醜悪なものを描き散らすことが自由だと言うなら、そんなものは芸術への冒涜だ!」


ピカソ:「醜悪?それはあんたたちの古い物差しだろう?俺に言わせれば、あんたたちの描く甘ったるい聖母像や、筋肉ムキムキの英雄像の方がよっぽど嘘くさいね!俺は真実を描きたいんだよ。『ゲルニカ』の戦争の悲惨さ、『泣く女』の愛する女の苦しみ、そういう人間のリアルな感情や、時代の痛みをな!あんたたちのように、現実から目をそらして、綺麗事ばかり描いていては、何も伝わらん!」


あすか:「時代の痛み、人間のリアルな感情を描く…ピカソさん、ルネサンス芸術への痛烈な批判ですね!これはダ・ヴィンチさん、ミケランジェロさん、どう反論されますか?」


ダ・ヴィンチ:「(少し考え込むように)…ふむ、時代の痛みを捉えることも重要かもしれぬ。しかし、ピカソ殿、あなたの作品は、あまりに主観的で、独りよがりに見える。多くの人々が理解し、共感できるような普遍的な言語を失っては、芸術とは言えまい。あれは、あなた個人の感情の吐露であって、広く共有されるべき『美』とは異なるのではないかね?」


ミケランジェロ:「そうだ!技術もなっておらん!デッサンもなっていないような、ただ壊しただけの絵を『新しい』などとうそぶくのは、怠慢以外の何物でもない!基礎をおろそかにして、真の芸術など生まれんわ!」


ピカソ:「(せせら笑うように)技術、技術って、うるさい爺さんだな!あんたたちの言う技術なんて、俺は子供の頃に全部マスターしたよ!その上で、壊す必要があったから壊したんだ!理解できないなら、無理にしなくていい。芸術は、分かる人間にだけ分かればいいのさ」


あすか:「『分かる人間にだけ分かればいい』!ピカソさん、強気ですねぇ!さて、この静止画の世界での激しい論争…黒澤監督は、少し離れたところからどうご覧になっていますか?やはり、動きのない芸術には限界がある、とお考えですか?」


黒澤:「(静かに頷く)…そうだ。絵画も彫刻も、素晴らしい瞬間を捉えることはできる。だが、それはあくまで『止まった時間』だ。人生は、そして世界は、常に動いている。喜びも悲しみも、一瞬ではない。流れの中で変化していくものだ」


(黒澤、ゆっくりと続ける)


黒澤:「例えば、侍の決闘の場面を想像してほしい。絵画なら、剣を振り上げた瞬間を描けるだろう。彫刻なら、その力強い姿を永遠に留められるかもしれん。だが、そこに至るまでの緊張感、風の音、土埃、刃と刃がぶつかる音、決着がついた後の静寂…そうした時間の流れと、それに伴う感情の起伏、五感を刺激する全ての要素を描き出すことは、静止した芸術には不可能だ。映画は、それを可能にする。だからこそ、より深く、より強く、人間の『生』そのものに迫ることができる」


あすか:「時間の流れと感情の起伏、五感を刺激する要素…なるほど、映画ならではの強みですね。しかし、黒澤監督、逆に映画の『限界』というものはないのでしょうか?例えば…ピカソさん、何か映画に対して言いたいことは?」


ピカソ:「(少し考える素振りを見せ)映画ねぇ…たしかに面白いとは思うよ。だが、あれは一人で作るもんじゃないだろう?カメラマンだの、役者だの、なんだのかんだの…大勢の人間が関わって、結局、監督一人の純粋な表現とは言えなくなるんじゃないか?俺たち画家や彫刻家は、たった一人で、自分の魂と向き合って作品を生み出す。その純粋さ、凝縮度において、映画は劣るんじゃないかね?」


黒澤:「(即座に)…集団制作であることは事実だ。だが、それは弱点ではない。むしろ強みだ。様々な才能が集結し、互いに刺激し合うことで、一人では到底到達できない高みにまで作品を高めることができる。監督の役割は、その才能をまとめ上げ、一つの明確なビジョンに向かわせることだ。オーケストラの指揮者のようなものだと思えばいい」


ダ・ヴィンチ:「ふむ、集団での創造か…それも一つの形かもしれぬな。しかし、黒澤殿、あなたの映画は、時に『大衆的すぎる』という批判はないかね?芸術は、必ずしも万人に理解される必要はないと私は思うが」


黒澤:「…大衆的であることと、芸術性が低いことはイコールではない。私は、多くの人々に感動を与え、何かを考えさせる力を持つことこそ、現代における芸術の重要な役割だと考えている。自己満足な表現に閉じこもるつもりはない」


ミケランジェロ:「しかし、フィルムに焼き付けた映像は、我々の石像のように永遠ではあるまい。劣化し、失われる可能性もあるのではないか?」


黒澤:「…物質的な永遠性はないかもしれん。だが、優れた映画は、人々の心の中で生き続ける。語り継がれ、繰り返し上映され、新たな世代に影響を与えていく。それもまた、別の形の『永遠性』だと私は思う」


あすか:「集団制作、大衆性、そして永遠性…映画に対する鋭い指摘と、それに対する黒澤監督の確固たる信念!いやー、皆さん、それぞれの芸術の強みと弱み、可能性と限界について、本当に深く、そして熱く語っていただきました!」


(あすか、スタジオ全体を見回し、満足そうに頷く)


あすか:「絵画、彫刻、そして映画…それぞれの至高性を主張し、互いの限界を突き合うことで、かえってそれぞれの芸術が持つ独自の輝き、そして、芸術そのものの奥深さが見えてきたような気がします!本当に素晴らしい議論でした!」


(あすか、一呼吸置いて)


あすか:「さて、ラウンド1『我が芸術こそ至高!』は、ここまでとさせていただきます!この白熱した議論を受けて、次のラウンドでは、さらに根源的な問いに迫っていきたいと思います!次回のテーマは…『美の基準とは何か?』写実か、感情か、コンセプトか…皆さんの考える『美』の核心に、さらに深く切り込んでいきます!どうぞ、お楽しみに!」


(ラウンド1終了のファンファーレが鳴り響く。対談者たちは、まだ言い足りないといった表情を見せつつも、一旦議論を終える)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ