1-5 『遭難事故』
ケイブバット戦の後、俺達は隠れていた狭い通路から出て、本来の帰還ルートである広い道を進んだ。
「このまま歩きやすい道が続くのでしょうか」
「いや、俺の記憶が正しければ、広い道は洞窟の奥に続いている。どこかで横道に入らなければ、出口にはたどり着けない」
そう言いながら俺が指さしたのは、土壁に走る小さな亀裂だ。自然の力で開いた穴からは、小さな虫がトカゲのような捕食者達に追い出されているところだった。奥に空間があるのだろう。
「人が通れそうな横穴を見つけたら、そこに入ろう。出口との距離は近い。穴を抜けたらすぐのはずだ」
やがて俺達は、高さ2メートル程の大きな亀裂に遭遇した。入り口の幅は50センチくらいだが、奥の広さは分からない。ただ、向こうから風が吹いてくることから、行き止まりでないことは確かだ。
「ヒイロ様、ここなら私達でも通れそうですよ!」
「そうだな。俺達は運が良いみたいだ」
「これで洞窟から脱出できますね!」
探索に進展があり、ウィズが分かりやすくはしゃぐ。待ち切れなくなった彼女は、俺の指示よりも先に亀裂に入っていった。彼女の体は小さな隙間をスルスルと抜けていく。しかし、2メートルほど進んだところで急に立ち止まってしまった。
「どうした、ウィズ?」
俺が亀裂を覗き込むと、壁に頬を押されながらウィズかこちらを振り向いた。
「胸が挟まって動けません」
「……」
「タチュケテ……」
俺がなんともいえない表情になるのを見て、ウィズが蚊が泣くような声で俺に助けを求めた。壁に挟まれながら小動物のように震える彼女の様子には、なんともいえない哀れさがある。俺はできるだけ彼女の胸を見ないようにしながら、隙間の中に入った。
「今助けに行くからな……あっ」
「どうしたんですか、ヒイロ様?」
「む、胸が挟まった」
「……胸?」
「男にも胸筋があるんだよ!」
ウィズを助けに亀裂に入ったが、あろうことか俺まで壁に挟まれてしまった。亀裂の中には無数の凹凸があって、狭い部分がいくつもあったのだ。ウィズの哀れみの視線が俺の胸元に注がれる。誰が貧乳……いや、貧筋だ。
「どうしましょう。このままだと、私達ここでミイラになっちゃいますよ……」
「大丈夫。息を吐きながら、滑るように隙間を抜けるんだ」
「わ、わかりました……」
俺の指示通り、ウィズが限界まで息を吐く。
「ふぅぅぅ……」
肩が下がり、体の力が抜け、胸の厚みがわずかに薄くなる。そのまま、時間をかけてジリジリと進むと、彼女の体は狭い通路を抜けることができた。
「ふう! なんとかなりました!」
「はじめてなのに、上手いじゃないか」
「むふ!」
俺が褒めると、得意げに胸を張るウィズ。もう胸はいいって、と思いつつ、俺も同じ方法で隙間を抜け出し、奥に進むことに成功する。
「一気に穴を抜けてしまおう。ウィズ、このまま先頭を頼めるか?」
「任せて下さい!」
「助かるよ」
俺の頼みを快く引き受けてくれるウィズ。実のところ、片方の視力を失っている俺は、遠近感をつかみづらくなっているのだ。今のように立体的な空間把握が要求される場面では、ウィズのガイドがどうしても必要になる。
俺から松明を受け取ったウィズは、小柄さを活かして着実に進んでいく。むしろ、体の大きな俺が彼女を待たせているくらいだ。
「やっぱり肩と腰がつっかえるな」
「肺と違って、骨は縮められませんからね」
そう言うと、ウィズは足元を照らしていた明かりを持ち上げて、俺が挟まっている部分を確認しやすくしてくれる。
「俺のことはいい。ちゃんと前を見ないと危ないぞ」
「そんな大げさですよ。もうすぐ出口に着きますし、モンスターだっていませんし……」
ゴールが見え始めたことで、安心しきっているウィズ。そんな彼女につられて、俺もつい気を抜いてしまった。極限の緊張が続いていたせいで、集中力を保つことができなくなっていたのかもしれない。長時間の探索で、体力も消耗していた。
事故とは、そういう時に起こるものである。
「きゃっ?!」
「……ウィズ?」
短い悲鳴とともに、俺の視界からウィズの姿が消えた。
俺が目を離したほんの一瞬のことだった。
「ウィズ? どこだ、ウィズ?!」
唯一視認できるのは、彼女の持っていた明かりが足元から見えることだけだ。俺は辺りを見回そうとするが、それすらできない。岩壁に挟まれて、うまく頭を動かせないのだ。
「んんっ! むぐっ! ここです!」
「俺からは見えない、どこにいるんだ?!」
「足元……穴が……!」
下から聞こえるウィズの声は切羽詰まっていた。しかも、なぜか息苦しそうだ。俺は無理やり頭を動かして足元を確認した。右目の傷が岩肌に抉られるが、気にしている場合ではない。
ウィズは、足元に開いた亀裂から落ちかかっていた。
正確には、精一杯息を吸い込んで胸を張ることで、かろうじて落下を免れていたのだった。
「足はつくか? 自力で登れるか?!」
「んん……」
ウィズは真っ青な顔で首を横に振った。状況は最悪だ。このままでは、彼女は広さも深さも分からない穴に落ちてしまうだろう。幸運にも生きて着地できたとして、こんな狭い通路からでは、落ちた彼女を救い出すことは不可能だ。
俺だけでも一度引き返して、救助の態勢を整えるか。たしか、荷物の中にはロープがあったはずだ。狭い空間で自由が利かない状態の俺でも、ウィズの上にロープを垂らすことくらいはできる。時間はかかるが、この方法なら救助の難易度はぐっと下がるだろう。
「ん……んぐ……ごぼっ!」
「どうした、ウィズ?!」
突然、暗闇の中で、ウィズが粘り気のあるものを吐き出した。それと同時に、彼女の体がわずかに沈む。咳き込んだせいで肺が縮んでしまったのだ。彼女が苦しそうに吐き出したものの正体は……。
「血……!」
松明の明かりが、ウィズの赤く染まった胸元を照らし出す。俺は焦った。そういえば、ウィズはケイブバットとの戦闘で、胸に深い傷を負っていたのだ。回復魔法で応急処置を施してはいるものの、その程度で致命傷が完治するわけがない。
ウィズが落ちまいと耐えるほど、胸の傷が圧迫される。態勢を整えに戻る時間などない。
「待ってろ、ウィズ! すぐに行く……!」
俺は岩壁に阻まれる体を、強引に亀裂にねじ込んだ。ウィズと俺との距離は、たったの1メートルほどだ。しかし、このわずかな距離が埋まらない。
下手に進めば、今度は俺自身が身動きがとれなくなる。そうなれば、めでたく二重遭難現場の完成だ。かといって、戻ればウィズの体が持たない。進むも戻るも、大きなリスクがあることには違いない。
お前は、助けなければならない。
今の俺には、誰かを見捨てることなど許されない。
「うっ……ぐ、おおお……っ!」
俺は自分の肋骨が軋む音を聞きながら、わずかに腰を落とした。そのまま左手を思い切りウィズに向かって伸ばす。彼女はこちらに手を伸ばすことはできないようだ。落ちないようにすることで精一杯なのか、それとも腕もどこかに挟まっているのか、俺にはわからない。
俺の指先が、あと10センチでウィズに届く……。……あと8センチ……4センチ……。指に服の端がかすかに触れる……。もう少しで……あともう少しで……!
俺の手は、彼女の襟首をしっかりつかんだ。
「引き上げるぞ! ゆっくり息を吐くんだ!」
俺は渾身の力でウィズを引き上げた。小柄な女の子とはいえ、片腕で人間を持ち上げるのは至難の業だ。そのうえ、俺の体は岩の隙間で不自然な体勢になっている。そんな状況で俺を支えているのは、皮肉にも体と岩の間に生じる摩擦だった。
ウィズの体が少しずつ浮く。
その分、俺の肉が擦れ、内臓が押し潰される。
「……足がっ! 足が出ましたっ……!」
ウィズの金切り声とともに、俺の腕が彼女の体重から解放された。どうやら、彼女は無事亀裂から這い出て、自分の足で立つことができたらしい。満足に息をすることもできない状態だが、俺は一息ついた。よかった。ウィズは助かったんだ……。
「けほっ、けほっ……。私はもう大丈夫です。それより、ヒイロ様が……!」
「ははっ……。悪いが、引っ張ってくれ。このままだと、俺の体が……ペラペラに……なりそうだ……」
血の混ざったタンを吐くウィズ。苦しそうだが、さっきまでの息もできない状態よりは、ずいぶん楽になったはずだ。けが人相手に悪いとは思いつつ、俺の救助を頼む。
「大丈夫です……私が、そばにいますから……!」
俺の手を引くウィズは、何かにおびえたように涙を流していた。傷が痛むのだろうか。それとも、つい先ほど死の瀬戸際に立たされたことへの恐怖だろうか。俺を見つめる彼女の目からは、どちらでもない感情があふれていた。
かなり長い時間がかかったが、俺の体は隙間を通り抜け、無事2人で亀裂を脱出することができた。広い空間に出た瞬間、俺達はあまりの安心感に膝から崩れ落ちてしまった。
満身創痍の俺達がふと振り返ると、そこには底の見えない闇がぽっかりと口を開けていた。
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