1-3 ウィズの危機、手を伸ばすヒイロ
「諦めるな! 俺が必ず君を助ける!」
俺は、見ず知らずの女魔術師の手を取った。もはや彼女は自力で立つことさえできない。このままダンジョンに置いていけば、間違いなく死んでしまうだろう。
しかし、彼女は俺の手を振り払った。
「だめです……私を……助けないで……」
「ど、どうして?!」
「お金……ないんです……。貴方に、お金……払えないから……」
彼女は涙をにじませながらそう言った。死ぬのは誰だって嫌だ。でも、ダンジョンで生き残れるのは強者だけなのだ。腕力、魔力、財力……、それらを持たない弱者は、救助すらしてもらえない。
……でも、俺はそんなの嫌だ!
「金なんていい、一緒にダンジョンを出よう!」
正直、俺1人で帰還するのも難しい状態だ。聖職者である俺は、戦闘において支援以外では何の役にも立たない。
それでも俺は、もう一度彼女の手をとった。俺の手は、自分の傷口を押さえていたせいで血だらけだった。
「言うんだ、『助けて』と! 君は、誰かに助けを求めていいんだ!」
俺の言葉に、彼女はついに涙をこぼした。それは、諦めの涙ではない。生きようとする者の希望の涙だ。
「たす……助けて……。私、死にたくない……!」
「もちろんだ。必ず君を助ける!」
「助けて……! 助けて……!」
心のダムが決壊したかのように、彼女は繰り返し俺に助けを求め、か弱い力ですがりつく。俺はその願いに応えるべく、彼女の体を抱きしめるように支えた。
「生きて帰るまでが、ダンジョン探索だ」
俺は彼女に、そして自分自身に言い聞かせるよう呟いた。絶対にこの子を連れて帰る……、俺は強く決意した。
「君、名前は?」
「ウィズ……。魔術師ウィズです」
「ウィズ、急いで君に回復魔法をかける。この魔力回復薬があれば、あと3回だけ使えるぞ」
俺は、フィリスに感謝しながら回復薬を使った。本当は俺のためにくれたものだが、こんな状況ならウィズのために使っても許してくれるだろう。
「体力回復・小!」
まずは最も深い胸の傷に。俺の手が傷口に触れると、聖なる光が生じる。回復魔法の効果で、通常の手当では治療不可能な致命傷が、奇跡の力で塞がっていく。聖職者である俺が、ダンジョンで唯一使える特殊技術だ。
「う、ごぼっ」
「だめだ、1回じゃ治らない! 体力回復・小!」
2度目の回復魔法で胸の傷を再び回復する。光が収まると、なんとか止血程度の治療を施すことができていた。完治までには程遠いし、運が悪ければ傷跡も残ってしまうだろう。しかし、魔法は無制限に使えるわけではないのだ。
「今はこれが限界か。立てるか?」
「だめです、足が……」
ウィズの足を見ると、術士服の裂け目から青く変色した右足が見えた。彼女が動くまで気づかなかったが、明らかに歩けないほどの大怪我だ。
「分かった。最後の回復魔法を使う」
「いけません! あなただって目の怪我をしてるじゃないですか! このまま失明してしまったら……」
「俺の言うことを聞くんだ! 君の命には代えられないよ。体力回復・小!」
俺は弱々しく抵抗するウィズに、半ば無理やり回復魔法をかけた。彼女の怪我はすぐに治り、スラリとした太ももは本来の色を取り戻した。
「ありがとうございます。おかげで何とか歩けそうです。でも……」
「気にするな。それより、今は身の安全の確保を優先しよう」
「広い道と狭い道、どちらに逃げ込みましょう?」
「狭い道だ。ケイブバットは翼が広げられないところまでは追ってこない」
「……はい!」
俺の言葉にウィズは力を振り絞る。彼女は俺の肩を借りながら、反対の手で魔術杖を突いてバランスを取る。ダメージは残っているが、なんとか歩けるまでには回復したようだ。
しかしその時、後方から甲高い鳴き声が聞こえた。
ギィ……ギィ……ッ。
「まずいです、モンスターがまたこっちを狙っています!」
「立ち止まるな! 大丈夫だ、俺がついてる!」
「……! はいっ!」
咄嗟に俺の口から出た言葉が、ウィズに勇気を与えた。彼女は俺の失った右目を補うように、後方のケイブバットを観察しつつ逃げ道に誘導してくれる。前が見えない俺は、言うことを聞かない彼女の肩葦を補うように体を支えてやる。歩くような速さをもどかしく思いながら、着実に……じりじりと……前へと進んでいく。
しかし、モンスターの執念は凄まじく、あと少しで逃げ切れそうな俺達にあっという間に追いついてきた。
だめだ、捕まる!
そのとき、最後の手段が思い浮かんだ。そうだ、そもそも俺は勇者パーティーの囮役として洞窟で死ぬはずだった人間だ。……だったら、今ここでウィズのために囮になって死んでも同じことじゃないか?
「……ウィズ、君だけでも逃げ切るんだ」
「絶対に嫌です! 命の恩人を見捨てるなんて、私にはできません!」
「帰ったら仲間に伝えてくれ。聖職者ヒイロは最後まで仲間を恨んでいなかった、と」
「そんな!」
俺が遺言じみた事をいうと、ウィズが絶望の表情を浮かべた。ああ、俺は彼女の感情を知っている。仲間を見捨てる時の、罪の意識の感情だ。俺をパーティーから追放する時、仲間が浮かべた表情だ。
「……私は、あいつらとは違います。誰かを犠牲に生き延びるなんて、しません」
「ウィズ?」
しかし、ウィズは諦めなかった。あいつら? 一体誰のことだ? 彼女はブレイブ達を知らないはずなのに。
「私、ヒイロ様の役に立ちたい」
ウィズが杖をぎゅっと握りしめる。彼女の顔から、少しずつ絶望が晴れていく。
「あなたとともに生きて帰りたい」
ウィズは決意とともにケイブバットと対峙した。その巨体はすぐそこまで迫っている。しかし、彼女は怯むことなく杖を構えて、敵を真っ直ぐ睨み返す。
「わたしだって、やればできるんですっ! ……小火球っ!」
詠唱とともに火の玉が出現し、射出される。魔法だ。ウィズが放ったのは、俺には使えない攻撃魔法だった。突進するケイブバットは、その勢いを急には止められず、火の玉をかわすことは出来ない!
ポンッ!!!
ケイブバットの鼻先で、火の玉が弾けた。ダメージは全く無いようだが、熱と光と音が至近距離からやつを襲う。絶好の目くらましで、一瞬の隙が生まれる。
「ヒイロ様、私、やりました!」
「……あ、ああ! ナイスだ、ウィズ!」
俺とウィズは、何とか狭い通路に逃げ込んだ。通路の幅はすれ違うのも難しいくらい狭い。ここまで来れば、もうケイブバットは襲ってないだろう。俺達は荒く息をしながら岩壁に倒れ込んだ。
「はあ、はあ……。た、助かりました……」
「ああ。やつの様子は?」
「ヒイロ様の言う通り、ここには入れないようです。……ん?」
「どうした、ウィズ?」
外の様子を見ていたウィズが怪訝そうな顔をする。しばらく様子をうかがっていたようだが、急に血相を変えてこちらに駆け寄ってきた。
「ヒイロ様、ケイブバットがこちらに来ます!」
「なんだって?! やつのサイズでは物理的に進入できないはずなのに!」
「そ、それが、様子が変で……きゃぁっ!」
ウィズの言葉を遮るように、すごい衝撃が俺達を襲った。猛スピードで通路に駆け込もうとしたケイブバットが、壁の狭さに翼を阻まれたのだ。それでも侵入を諦めず、よだれを撒き散らしながら自らの身体をねじ込もうとし続ける。
「ウィズ、奥に逃げるんだ!」
「ひっ、……っ!」
「ウィズ!」
「……! は、はいっ!」
俺は再びウィズの手を取り歩き出そうとする。しかし、もはやその必要はなかった。なぜなら、謎の力によってケイブバットは通路から引きずり出され絶命したからだ。
「ケイブワームだ」
先程までケイブバットがいた小部屋には、その何倍も巨大な芋虫がとぐろを巻いていた。先端の口と思わしき器官からは無数の触手が伸び、そのうちの数本がケイブバットを八つ裂きにしていた。
「おそらく、広い通路から来たんだろう。もし俺達が広い通路に逃げ込んでいたら……」
「広い通路……あいつらが逃げていった先……もしかして……」
やがて食事を終えたケイブワームは、音もなくその場を立ち去る。その時、やつの触手に人間が捕らえられているのを見つけてしまった。まさか、ブレイブ達だろうか。いや、顔がはっきり見えたが、別人だった。
「たす、けて、ウィズ……」
「……!」
ウィズが俺の腕の中で凍りつく。
「見捨て、て、悪かっ、た。許し、て……」
「わた、し、は……」
見ず知らずの人物は、そう言い残して絶命した。ケイブワームは俺達には目もくれず、さっき俺がやってきた道に入っていった。あとに残されたのは、事情を知らない俺と、犠牲者の正体に顔を青くするウィズだけだった。
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