第8話
──牛伏寺 ムラサキ。
私がまだ刑事駆け出しだった頃から最近まで監察医をしていた男である。
やめた今でも助言を聞きに来るのは彼以上の医者を知らないから、というよりも昔から医者という職種に苦手意識があり、唯一気兼ねなく話せるのがムラサキだった。
ただし変態である。
痴漢事件も何度か経験したが、今だにこの男以上の変態を知らない。
変態界のハンニバル・レクターとでも呼称しようか。
と言っても外に実害があるわけではない。
この変態が痴情を燃やすのは現実的には存在しない、または本当に稀な存在であるから。
〝男の娘〟──漫画・アニメなどで2010年代から流行した『少女のような見た目をした男の子』の意(ウィキペディア参照)。
「狭い部屋ではござるが、入るなり。大丈夫、安心安全。JKの教育上悪いものは棚から出さない限り目に入らないようにしているゆえに」
「JK言うな、じじ臭い」
「なんと! 拙僧まだ28歳であるゆえ」
「どっちにしろJKを凝視して良い歳ではないな」
本棚がずらっと並んだ部屋、その真ん中に丸形のテーブルが置かれている。
先ほどまでなにかの作業していたようで紙のくずのようなものが散らばっていた。
いや自分でも言っていたように『いかがわしい本の解体』をしていた形跡だ。
廊下にあったのも同じ物だろう、足とかにくっついて家中にあるに違いない。
フィギアケースもあり、美少女フィギュアが沢山……これも全部男の娘なのだろう。
違いが分からん。
もう女の子キャラで良くないだろうか?
「キャストオフすれば性別が分かりますぞ」
「脱がせんでいい!」
小説家と思わせるものは紙の原稿用紙と万年筆のみである。
「碧依、あまりじろじろ見るな」
「本棚にはなにを入れているんですか? OPP袋がこんなにぎっしり。監察医だった頃の事件資料とかなら拝見させていただきたいんですが」
「やめときたまえ未成年。本棚にあるのは拙僧の叡智なお宝。雑誌の切り抜き・同人誌・DVD、その他もろもろ。もちろん男の娘のみですぞ。──なに? DVDをケースから出してOPP袋に入れとくのは円盤が傷付くって。安心してくだされ。100円均一ショップのちょうどいい大きさの厚紙を入れ強度を増してるのでござる。実家から母親が急に来てもこれなら怪しまれませんな」
「聞いてない聞いてない」
そもそもこんなにビニール袋(?)を本棚に入れてたらママさん興味津々で見るだろ。
「して、拙僧に聞きたいこととは?」
「ああ、勘違いかもしれないが碧依が言うにお前が書いてくれた事件資料に引っかかる点があるそうだ」
「なるほど。たしか姐さんの姪御さんは探偵でしたな。これまた失敬。試すような文章を書いてしまって。しかし読みやすいように出来るだけ確証のない情報を省いたまで。……これを見てくださいますかな」
そういってムラサキはいくつかの資料をテーブルに置いた。
目を通す碧依。
「数年前に起きた交通事故の資料ですか」
「交通事故なんて珍しい事でもない、しかも事件日時もばらばらだ。この3件の関連性は」
「その事故を起こした運転手はその後、車に轢かれて亡くなっているでござるよ。しかも事件を起こしたときの車種と色が同じだったとか」
「──……私は知らないが」
「ひき逃げは交通課などに回るゆえ、姐さんは刑事課でしょう」
「車種と被害者が人身事故を起こしていたという共通点があるのなら、故意に轢かれたと考えるべきだろう。刑事課で捜査を──」
「監視カメラも目撃者もいなかった、ひき逃げ犯の善意による自首にゆだねるしかない。捜査は打ち止め。しかもそれぞれの事件にだいぶ空きがあるため、偶然で片付けられたでござるよ」
思わずため息が出てしまう。
一縷の望みに時間を割きたくないのは分かるが、ろくに可能性も調べないでひき逃げ犯を取り逃がすだなんて。
しかし疑問が頭をよぎる。
「なぜ、この3件のひき逃げ事件の話をした。もしや今回の被害者も……」
「そう、──あれは拙僧が女装の似合いそうな美少年医師の病院に通っていた7年程前。事件の被害者倉科 ジンパチが入院していたでござる。ただ階段から落ちて足の骨にひびが入った程度だったけれども……」
「同じ車種、色だった」
「ご名答ですぞ」
まさに机上の空論だったが、ムラサキの推理には説得力があった。
しかしジンパチさんには前科がない、人身事故を起こしたというのが狙われる理由ならば説明が付かない。
そしてこの事件すべてが繋がっているというのなら、犯人は連続殺人鬼ということだ。