第7話
被害者宅に通っていた家政婦朝日 まりあさんは疑わしくはあるが、証拠もない以上留めておくことが出来なかったため事情聴取後に帰宅させた。
大糸線を使い、自宅は豊科。
電話で繋がっている赤石クンに「町から出ないように」と言っておくように冗談交じりに伝えてみたが、『あ、はい? わかりました』と何とも言えない反応が返って来た。
海外の刑事ドラマでは必ず出てくる文言なのに……。
「手掛かりなしに逆戻りだ。どうする? 私が通っているパスタ屋にでも──」
話しかけるが返事はない。
事情聴取が長引いて寝ていると思ったが、どうやら事件資料に読みふけっていたようだ。
「この資料、短時間で書いたんですよね?」
「ああ、もう部外者である元監察医を被害者のご遺体に合わせて書いてもらったやつだ」
「ご遺体情報だけじゃなくて、事故の内容も書いてありますが」
「それは私が口頭で」
なにを不思議がっているんだ。
碧依の手元にある資料に視線を飛ばす。
……詳しすぎる。
私が教えた事だけじゃない。
『目撃者がいないこと』『カメラが事件現場付近にないこと』、後者はここらじゃそう珍しい事でもないけど、それにしても詳しすぎる。
「以前にも同じ事件があったとかですか?」
「いや、人身事故やひき逃げはそう珍しい事でもないけど殺人となるとほとんどないぞ」
「これを書いた方に会ってみたいです」
「ダメだ!!」
自分でも驚くくらいに大きな声が出てしまった。
当然、碧依も肉食獣に睨まれた小動物みたいに目を丸めて固まる。
「いいかい、世の中には関わってはいけない人種というものが存在しているんだ。特に〝碧依だけは〟アイツに会っちゃいけない」
「危険人物、ということですか?」
「ああ。そりゃあもう、私はあの男以上のヤバい奴を知らない。柵の中にいないのが不思議なほどに」
「……それでも、話を聞きたいです。この人はなにかに気が付いている」
逆に興味を引いてしまったかな?
良くない、ほんと良くない。
その資料だってどうせ大雑把な着色をしてたまたま事件の内容と同じになってしまっただけなのだ。
だから会いに行っても徒労に終わる。
しかし碧依の真剣な眼差しを受けてしまっては、仕方ないという気持ちが勝る。
奴の家は広丘駅周辺だったな。
ハンドルを握り、アクセルを踏んだ。
──元監察医の売れない小説家、自宅前。──
「行くってこと伝えなくって良かったんですか?」
「スマホはおろか家電話すら持っていないような男なんだよ」
外見は普通の一軒家。
台風用の窓シャッターがされており、それ以外の窓は黒いガムテープで完全に家の中を見えないようにしている。
家の中は完全にジメジメとしており、カビの繁殖には最適な環境である。
碧依もそれを察したのかスカートのポケットの中に入れていたハンカチを取り出し鼻元に持って行く。
……これハンカチ? 黒いブリーフ……いやいや、そんなわけないか。
ドアノブに手をかける。
やはり鍵はされていない。
勝手にお邪魔する。
「怪しい。すごく怪しいですよ。青葉さん」
「だから言っただろう。ヤバい奴なんだって。今いるのはメドゥーサの巣だ。気合いを入れろペルセウス」
ジメジメと嫌な空気がまとわりつくがニオイは普通であり、意外に片付けられている。
強いて言うのであれば廊下の端っこに紙のくずのようなものが散らばっているくらいか。
「勝手に家に入ってくるなといつも言ってるでござろうに。姐さん」
「ふぁぎゃっ!?」
ぬっと現われた男に心臓が止まりそうなくらい飛び跳ねる碧依。
私は慣れたものだが、やや少し身体が力む。
長い髪く顔さえ隠した天然パーマに雑に剃った髭、タンクトップにジーンズ。
ダサいマリモ、そんな表現に限る。
「紹介しよう。こいつの名前は牛伏寺 ムラサキ。言った通り売れない小説家だ。そして私の後ろにいるのが宇留鷲 碧依、お──姪だ」
「はじめまして」
「うぃっす」
興味無さそうにぺこっとする。
「資料の件、ありがとう。一応差し入れを持ってきた」
「感謝。おー、エナドリとは姐さん、センスありすぎますぞ~」
「ちょっとムラサキに聞きたいことがあるんだが、忙しくないか?」
「忙しいと言えば忙しいと言えますな。只今、男の娘特集、幻のえろえろ漫画雑誌の解体中でござった故に。男の娘に関連する全てを収集することこそがこの牛伏寺 ムラサキの生きがいでしてな。──ツイていないヒロインなぞヒロインではないッ!」
確認しなくても碧依の顔が青ざめているのが分かった。
そう、このムラサキという男は男の娘専門の変態である。
うちの探偵の天敵はモリアーティ教授──などではなくてこの男なのかもしれない。