第4話
「……兄さんに会いたい」
被害者男性の家の前に車を横付けしたのと同時か、事件資料に顔をうずませる碧依。
熱中していたゲーム機を放り投げて「もう飽きた」と言い出す子供のような読めなさで、虚ろな目をしている。
「じゃあ、さっさと帰りな。どんなに泣き言を言っても大好きなお兄様はこの信州のどこにもいないんだからさ。コンクリートジャングルにお帰り」
口をリスみたく膨らませてこちらを睨む。
私が思春期の男児なら少しは可愛いと思って甘やかしてしまうような場面なのだろうが、身内にそんな感情は浮かばず、逆にイラっときて頬を鷲掴みにして空気を抜く。
ぷぅと息が吹きかかる。
バニラと卵と、かすかに醤油のにおいがした。
「兄さんと会えないのは寂しいですが、これも花嫁修業。叔母さんに気に入られて養子になれば思う存分ベットの上でパーリーナイトです」
「頭沸いてんのか。あと青葉さんだ、青葉さん。碧依だって甥って呼ばれるのはイヤだろう」
見た目は完全に姪だが。
「はい。そんな倦怠期の夫婦みたいな呼ばれ方イヤです。ごめんなさい青葉さん」
「分かればよろしい。ほら、仕事だ。探偵スイッチ入れときな」
君のはどこにあるんだろー、と。
おでこにデコピンをひとつ。
「いたぁ」
ぺしんっと結構いい音が鳴った。
「お疲れ様です。青葉警部」
「ご苦労、赤石クン」
「ご苦労様です。新人刑事さん」
碧依が赤石クンに敬礼する。
少し挑発しているのか、それともイケメン相手に可愛い子ぶっているのか。
赤石クンには私が唾をつけた、こんな小娘(?)にはやらん。
「あ、恐縮です。探偵さん」
赤石クンも敬礼で返す。
ほんとこの子、抜けてるっていうか可愛いなもう。
「やらんでいい」
「昨日、巡査部長に教えていただいて勉強しました。〝男の娘〟っていうんですよね。DVD借りたので見てまいりました。『俺の青春ホリックはもやし召喚獣の作り方』……でしたっけ?」
「混ざってる。よく知らんが。緑川巡査部長どこだ、説教が必要だな」
「中に。被害者の奥さんと話しておられます」
私の赤石クンにいらん情報教えやがって、緑川。
怒りの脚運びで家に入っていく。
失礼だが、押し入れのような、あるいは中国あたりのお香のようなにおいがした。
畳みの部屋、季節外れのこたつが置かれた部屋におばあさんと少し疲れた顔の緑川巡査部長がいた。
「……えーと……。それでなんでしたかな。お茶飲む? 淹れてくるけど。あ、これもおいしいから食べてって。お隣の佐藤さんからもらったお饅頭」
「先ほどいただきました。何度も言いますが貴女の旦那さんが事故にあってしまいましてね、その時間なにをしていたかを」
「え? ああ、ごめんね。耳が遠くて。時間て何時?」
「今から約2時間程前です」
「んー、なにしてたかな。多分寝てたんじゃないかしら。まあ、このお饅頭おいしい。どこで買ったかしら。貴方も食べた?」
「ええ、美味しかったです」
「そう。……ところで貴方だぁれ? なんでうちにいるの」
アルツハイマー、認知症。
これでは旦那の殺害計画はおろか、日常生活も難しいだろう。
耳が悪いと言っていたが補聴器などはつけていない。
テレビをつけてみると音量60。
いくらご近所と距離があると言えど文句を言われても仕方ない大音量だ。
耳が遠くなると脳の刺激が弱くなり認知症になりやすいとどこかで聞いたような気がする。
ちょうど今回の事件がニュースに流れていたからすぐさま切る。
「おばあちゃん、お名前は?」
「倉科 トメ」
「スマホを貸してもらってもいいですか?」
被害者の妻、トメさんに話しかける碧依。
しかし相手はキョトンとした顔を見せた。
「電話出来る機械もってます?」
「電話機ならおかってに」
「お家の電話機じゃなくてもっと小さくて持ち運べるやつです」
自分のスマホを見せて説明するがやはり伝わらない。
「そんなハイカラな物、持ってないね」
「碧依、ソファーの上」
部屋の端に置かれたソファー。
今日の新聞と一緒にピンク色のスマホが置かれていた。
「勝手に触っても良いですか?」
良くないぞ。
無実の市民のスマホの中身を見る行為はご法度である。
しかし止めた所で探偵という名のハイエナは獲物に食らい付くもので。
「どうぞ。それ、わしも持ってるんだけど全然さっぱり。若い人は簡単そうにするでしょ。羨ましい」
「ふたり揃って80代。誰かしら面倒見てるはず。だったら緊急時用に電話番号を──」
それはどうかな。
高齢の親、しかもトメさんの会話の安定性の無さをみるに、認知症はかなり進んでいるように思う。
そんな相手の介護は精神的にきつい。
老人ホームに入れたいと思っても、だいぶ金がかかる。
家族と言えど、知らんぷりを決め込むことだってそう少なくないだろう。
「あった」
電話帳を開くと登録された番号はふたつのみ。
夫であり、事件の被害者であるジンパチさん。
そして『お手伝いさん』。
すぐさま碧依はその番号に電話をかける。
そしてコールは3度鳴り、──繋がる。
相手からの言葉はない。
「もしもし。あなたがジンパチさんを殺害した犯人ですか?」
このブラコン甥っ娘もとい、図々しい探偵様は明日の天気を聞くかの様にあっさりとした口調でとんでもないことを言ったのである。