第3話
──私はこんなにも尽くす女だったろうか。
松本市で一番偏差値の高い学校の駐車場で兄貴の子供の帰りを待っている。
これでも刑事第一課の警部であるから暇ではない。
冷房ガンガン、サングラスつけてラジオを聞き浸っている時間なんてもったいないとまで思ってしまう。
「やっとか」
デカいグランドの先に校舎があって、ようやく碧依の姿を確認する。
転校生がもの珍しいのか他生徒は道を開け、興味深々な視線を送っていた。
私が乗ってる日産レパードのゴールドツートンカラーに気が付くと小走りでこちらに向かってくる。
なんだか小動物のような可愛さがある。
華奢で、清楚で、そりゃあ男子生徒は頬を赤らめるのも不思議ではない。
──だが甥だ。
制服のスカートをたなびかせ。
いろいろとツッコミどころはあるが紛れもない美少女が車に乗ってくる。
「あ、叔母さん。どうしましたか? わざわざ迎えに来なくたって良かったのに。大糸線ですよね。覚えてます。ひとりで帰れますよ」
だから甘やかさなくても良いと胸の前でガッツポーズを作る。
「青葉さんと呼べ」
言っておくが私は碧依を甘やかす気など微塵もない。
出来る事なら少しのお金と着替えだけ渡して、早めの自立宣言をさせたいところである。
「殺人事件だ。兄貴が警察機関のトップを買収したせいで碧依も連れて行けって上がうるさいわけ。だからシートベルトを締めて」
「なるほど。探偵の出番ですね」
名探偵の知恵を借りたいというよりも、協力して誰よりも早く兄貴のミステリー小説を読む権利が欲しいというのが警視総監の腹の内だろう。
文章で国家権力を動かしてしまうなんて我が兄貴ながら末恐ろしい。
「事件の資料が後部座席の私のバックの中に入ってるから確認しておいて」
「はい。それと、途中でコンビニに寄ってください。バニラアイスと生卵、醤油を買いたいです」
時間を確認すると15時半過ぎ。
おやつの時間だ。
「コンビニでって高いでしょうが。それに昨日買ったのがまだ冷蔵庫にあるから帰ってからにしなさい」
「ダメです。ルーティン、言ってしまえば儀式なんです。お金を気にするよりも今日のバイブスです」
「これだから都会育ちの奴は金の扱いが荒いんだから」
スーパーマーケットで買えるものはスーパーマーケットで済ませる。
え? コンビ二の方が歩いて行けるから楽だって。
いやいや、基本こっちではコンビニ行くにも車出すんだよ。
ほぼ距離変わんないんだよ。
「都会育ちって言っても、松本市だって田舎と言うには意外に発展してますけどね」
「まあ、私が子供の頃に比べたらだいぶ発展したよ」
「安曇野市は山と田んぼでしたけど」
東京から来た碧依にはさぞかし住みにくい事だろう。
観光地だって大王わさび農場や八面大王の足湯くらいではなかろうか。
弱音を吐いて家族の元に帰ることを希望する。
「口よりも頭を動かせ。資料に集中」
「事件のあらましは理解しました。被害者は倉科 ジンパチ、82歳。自転車でスーパーマーケットに行った帰りに路地裏にて車と衝突、逃走した犯人を現在捜索中。現場が車一台ギリギリの小道であり、被害者の自転車状態から後ろから衝突されている。またとどめでも刺すかのように細い糸状の物で首を絞めていることから明確な殺意が見られます」
「ああ、絞殺だ。怒りのようなものを感じる。それで、探偵殿の見立てはどうかな?」
「随分と手慣れていますが、犯行時焦っていたんですかね。逃げづらい路地裏に入ったのは計画的犯行とは思えない。新米の殺し屋みたいな?」
「殺し屋ね。この日本にそんな物騒な奴らがいるとは思いたくないけど、依頼された殺人であるなら最初に疑わなければいけない人物がいる」
「『夫殺人の事件は基本その妻が犯人』」
「おお、分かってるじゃないか」
「海外ドラマのお決まりのセリフじゃないですか」
その通り、実際の事件は容疑者複数のドラマチックな物は極めて少ない。
犯行は大抵、家庭内で行われる。
どこの家庭にだってひとつやふたつ、問題があるものなのだ。