第17話 十字路の聖母
早朝、事件の詳細がニュースによって公になる。
警察官が起こした事件であるため、地方放送だけでなく全国的に知らしめられた。
SNS ではやはり『#警察の不祥事』がトレンド入りしている。
『法では裁けない悪の執行人』なんて祭り上げる新聞記事すらあった。
風化するまで数ヶ月はかかりそうである。
警察署ではずっと抗議の電話が鳴り響いていた。
事件は終わりを告げて、ほくそ笑むのは探偵のみ──かに思えた。
「捜査は終わった。だから貴女は何食わぬ顔でここに来れたわけです」
「──────っ!?」
場所はあの十字路。
花束を持って現れた人物は碧依の姿を見ると走り出そうとするが、私が逃げ道を塞いだ。
髪は茶髪。年齢は30代半ば。唇の下にホクロ。
芦永クンが殺害した老人ジンパチが雇っていた家政婦。
──朝日 まりあである。
「なんですか、貴方たち。……あの時の電話と同じ声」
私は警察手帳を彼女に見せる。
まりあはこくりと喉を鳴らした。
「貴女とここで亡くなった〝カサネさん〟は【ここのか児童養護施設】で育った孤児だった。違いますか?」
「なんのことですか」
「ふたりが仲良く手を繋いでる写真があります。見てください」
「知りません。他人の空似でしょう。もう良いですか?」
「孤児が独立する時、苗字は大体そこの地名などから付ける。しかし育った施設に関係したものにすることもあるのでしょう。「ここのか」は漢字の「九日」に置き換えて組み合わせると「旭」と読むことが出来ます」
調べたら分かることだからか、まりあは小さく頷いた。
だからなんなのだ、とその目は言いたげだった。
「事件日、カサネさんはなぜ街灯もない夜道を歩いていたのか。それは結婚する前に誰かと思い出の地で語らいたかったからではないでしょうか? しかしあの施設は経営難で職員が総入れ替えになっているらしいので、職員に会いに行ったわけではない」
その夜、カサネとまりあは会っていた。
遅くまで思い出を語らい、近所を歩いていたのかもしれない。
「そして貴方はこの十字路でカサネさんを押し倒した」
「──違う! ……言いがかりです。やめてください」
「貴女の事情聴取のときにいた婦警に連絡先を聞いてアプローチをしたそうですね。──彼女、カサネさんによく似ているとは思いませんか?」
碧依は婦警の写真と、芦永クンの警察手帳に入っていたカサネさんの写真を取り出す。
確かに瓜二つ、というには些細な違いはあったけど確かに似ていた。
罪の告白の際に、部屋から追い出したいおきたいほどには。
「カサネさんが好きだった。友情ではなく、異性と営むような性的接触を求める好意をカサネさんに抱いていた。だから誰かの物になるのは我慢ならなかった。他人の物になるくらいならいっそ、──だから、押した」
「ち、違う。私はなにも悪くない! 押してない。ただ、ヒールが折れて転びそうになった彼女の手を取らなかっただけ……押してない。ええ、そうよ」
まるで、自分に言い聞かせているような。
洗脳、みたく。
もはや尋問ではあの日の真実は分からないだろう。
けれど確かにまりあは揺らいでいる。
「その場にいたのは間違いないんですね。事件を目撃していた。彼女を轢いたのは倉科 ジンパチさん──間違いはありませんか?」
「知りません。覚えていません」
「知り合いの医師に調べてもらったんですが、その日にジンパチさんは自宅の階段から落ちて足の骨にひびが入り入院していた記録が残っています。だから犯行は不可能なんです。車を運転していたのは夫を病院に送った帰りの──倉科 トメさんだったのではないですか?」
私がなにか言いたげに碧依を眺めると口元に人差し指を置き「しー」と可愛い子ぶってくる。
まりあに視線を移す。
──もうすぐだ。
──全てを吐き出す。
──濁り切った水を溜め込んだダムが決壊するように。
「……ええ、そうです。トメさんがカサネを轢いた。車を止めて、被害状況を確認して、また車に戻って、自分のケータイを手に取って。動作を止めた。それから周囲を確認して。外にいる私に目が合って、彼女はにこやかに会釈した。──そのまま車は走っていった」
罪悪感に耐えられず逃亡。
──普通ならそう考える。
「急激なストレスでアルツハイマー型認知症が悪化、ですか」
「彼女、笑っていました。あんな状況で。もう意味が分からなくて。「全てを見ていたぞ」と言わんばかりに私に向けて笑っていたんです」
震えた声。
髪をかきむしる。
「だから誰かに言いふらさないように倉科夫婦の家政婦になったんですね」
「たまに彼女、正気に戻るんですよ。やっぱり私の事を覚えてて「一緒に警察に行こう。全部話そう」って言うんですよ。殺したのは彼女なのにおかしいですよね? 目を離したら交番に駆け込んでた事があって──ふふ、そのくせ着いた途端に忘れちゃって」
唇を噛みしめる。
いっそその時、楽になれていれば。
ここまで精神的に追い詰められることはなかっただろうに。
「カサネの命日に十字路でカサネの恋人だった芦永 メグルに出会って。それからはLAINとかでカサネの思い出話をするようになりました」
まりあは枯れた微笑みで空を見上げる。
「──そんなある日、寝ているトメさんを眺めているジンパチさんがロープを持ったまま立っていました。限界なんだなぁ、って」
「芦永さんは捕まる前にスマホを処分していました。誰かとのやりとりを隠す為。──それは貴女からのトメさん殺人依頼ですね。だから決行日にアリバイを作れた」
「「家政婦をしている家の人から、ひき逃げをしたことがあるって話を聞いた。カサネの事件だと思う」って教えてあげたんです。なのにあの男、勘違いでジンパチさんを殺すなんて──とてもいい人だったのに。こんな人が父親だったらなって何度思ったか」
その言葉を聞いて、碧依はまりあの胸倉を掴んだ。
「なにずっと他人事みたいに言ってるんですか。幸せになるべきだったふたつの家族を滅茶苦茶にしたのは貴女じゃないですか」
「……ちがう、わたしは、わるくない」
碧依が右手を振り上げる。
グーではなくパーではあったけど、私はその手を掴んだ。
やめておけ、手が痛くなるだけだ。
気持ちはきっと晴れない。
「朝日 まりあ。殺人教唆の容疑で身柄を拘束する」
手錠をかける。
──かしゃりっ。
今度こそ本当の、事件の終わりを告げる音。
兄貴ならこの事件になんとタイトルをつけるかな。
『十字路の聖母』──そんなところだろうか。
「それにしても探偵め」
「なんのことですか?」
「入院記録は法的期間が過ぎてるから病院にも残っていない」
「自供したから良いじゃないですか。それにムラサキさんの趣味写真のおかげでジンパチさんが事件日付近入院していたことは間違いないんですから」
「……ほんと、探偵達ときたら」
やはり私、松本 青葉は探偵という生き物が──嫌いだ。
犯人との知恵比べに勝つためなら平気で真実をねじ曲げる。
そして血縁に姪(♂)探偵がいるのだから迷惑以外のなにものでもない。