銀龍の寵姫④
「それで、九浅の倅。化け熊と逢ったとか」
「はっ。ここに来る道中に」
「やり合ったのか?」
「はい」
シロガネが颯馬に問いかける。
「ほぅ。討ったのか?」
「いえ、取り逃しました。申し訳ざいません」
颯馬は平伏したまま再度頭を下げた。本当はあのまま祓う事もできたが、落としたおにぎりを拾うのを優先して見逃したとはとても言えない。
気まずさを誤魔化すために颯馬は顔を伏せるが、それに気付いた様子もなくシロガネは興が乗ったように話し続ける。
「そうか、取り逃したという事は討ち取る間際まではいったか。大したものだ。かなり巨大な熊なのだろう?お國」
「そうですねぇ、私も間近でみたわけではないんですけど……8尺から10尺はあるんじゃないですか」
「ほぉ。やはり北方の熊は大きいというのは本当なのだな」
シロガネが國江とやりとりする。まるで孫と会話する好々爺のようだ。
シロガネの雌雄がどちらなのかはわからない、というかおそらく雌雄の概念はないのだと思うが。
「うぬの髪色に、化け熊を相手取る武勇。それに九浅の血統という事は、うぬが当代の『鬼子』か?」
シロガネが興味深げに颯馬に問いかける。
どうやら九浅寺の家に関してもある程度知っているようだ。そして、颯馬の特性についても看破している。
最初、九浅寺の姓と颯馬の暗い赤銅の髪色を見て、「防人の一族か」と言っていた。そしてすぐ後に「いつぞやに流れ着いた人の子が同じ髪色をしていた」とも言っていた。ということは、颯馬の先祖の誰かに会っているという事か。
九浅寺の家が正確に何代目になるのかは颯馬は把握していなかったが、確か鎌倉後期あたりに源流があると聞いたことがあった。その頃から九浅寺を名乗っていたか、そしてその頃からこのあたりの地域に既に根ざしていたかは知らないが、源流から現代までの系譜の中の誰かと面識があったということらしい。
顔立ち風貌がわからなくとも、赤銅色の髪と言われると、あぁ先祖の誰かか、と思う程度には颯馬も自身の出自を理解している。
「鬼子?」
國江が疑問の声を上げる。
当然の疑問だろう。とはいえ颯馬からどう説明したものか逡巡しているとシロガネが口を開いた。
「人の子の一族にはその血胤に由来する力を持った者共が居る。この者の家もそれだろう。たまに鬼のように強い子が生まれるらしい。その者らは皆赤銅の髪色をしているそうな。うぬは正にそれだろうの。熊を手玉に取る人の子か」
「……はっ。恐れ入ります」
「へぇ〜」
國江が気の抜けた返事をしている。ピンと来ていないという所か。
対してシロガネはよく知っている。九浅寺の家にも同様の口伝が伝わっているが、シロガネの口からもほぼ同じ説明が聞けるという事は口伝は一族に箔をつける与太話ではなかったという事らしい。
九浅寺家には先天的に強力な霊的能力を持った子が定期的に産まれる。大体が1世代か2世代ごとに一人程度の間隔らしい。颯馬の先代といえばいいのか、前の鬼子は昭和初期に存在したらしい。颯馬から見れば曽祖父の代に当たる。
鬼子は先天的な霊力による身体強化に突出的な適性がある子の事を指している。一族の歴史の中で生まれた子によって力の差はまちまちだが、その能力はいわゆる身体能力が優れた人を『才能がある』『天才』という人の尺度で評価する範囲を大きく凌駕しているのが常だそうだ。一族に度々出現する鬼子に対し、口伝で伝わっている周りの評価は「比べるのが馬鹿らしい」「人がいくら早く走れようが馬には勝てないのと似ている」とかが多いらしい。
当代の鬼子の颯馬に対する評価も概ねそのような感じだ。颯馬にしてみれば、褒められているのか呆れられているのかで言うと呆れられている評価の方が多い名前が山神にも知られているというのは少々居心地が悪い。
國江がキャリーバックの上から腰を上げた。
そのままコツコツと颯馬の右側に回り込むように歩いてきた。
「颯馬君も祓魔師なの?」
「……はい」
「17歳でもなれるの?」
「免許も持っています」
「その髪地毛なんだね」
「染めてません」
颯馬の右側面まで回り込んできて、そこでしゃがみ込む。
太刀を右側に置いた状態で右手に回られると微妙に居心地が悪いのでやめてほしいが、國江はそのあたりの剣士の機微はわからないだろう。地面に置かれた太刀を不思議そうに見ている。とはいえ、最低限祓魔師という存在は知っているらしい。
現代における祓魔師は国家資格である。一応、資格を持っていないと祓魔師と名乗れないことになっている。
一応、というのは長い日本という国の歴史の裏側で細々と続いてきた裏家業的な職業であるのと、そもそも資格を取れる対象も、資格そのものの知名度も圧倒的に少ないため、他の国家資格とは微妙に資格の必然性が有耶無耶な所にある。資格自体が胡散臭いとでもいうのか。
颯馬はちゃんと資格証を持っている。年齢制限は15歳以上ということになっているが、これもあまり厳密ではない。颯馬の九浅寺家や、あるいは東北地方のイタコというような血統や遺伝的な適性の差異が大きいのだ。適性がある者は5歳だろうが合格するし、無いものは何歳でどんな肉体や知性を誇ろうが合格しない。要は他の国家資格と違い、資格が能力を証明し特定の職業に就ける類の資格ではなく、能力がある人は取得できるというだけの資格だ。
現に資格の存在そのものを知らない野良祓魔師のような存在は居る。そのため資格制度自体を鼻で笑う祓魔師も居る。
両膝をついたまま横目で國江を見るような形で会話が続く。
「これって本物?」
「真剣です」
「触ってもいい?」
「危険ですので」
國江がそっと右手の指を伸ばして太刀に触れようとするのを颯馬は首を振って制する。
太刀を腰から外し、自らの右側に置いているのは敵意は無いという意思を示す所作だ。太刀も打刀も左の腰に携帯する。通常、抜刀する時は左腰の刀を右手で持って抜くため、右側に刀を鞘ごと置くという事は刀を抜く気がない、という意思を示している。
とは言っても右側に刀を置いたまま座位(座った状態)で刀を抜く技術は日本の剣術には存在し、颯馬も当然その技能を修めているが、その技能は別として颯馬はシロガネに対して敵意が無い旨の意思表示として太刀を右側の地面に置いている。
その意思表示は古くからのものであるためシロガネには伝わっている事だろう。國江には伝わっていないだろうが。
「鬼子を引くとは、やはりうぬはツキを持っているようだなお國。いや、我もうぬに引かれた身か」
「そうなんでしょうか」
ゴロゴロと、シロガネは面白そうに喉を鳴らす。
鬼子を引く、という表現にやや理解が追いつかずにいる颯馬と、とぼけた雰囲気の國江が同時にシロガネの方を向く。
おそらくサイコロ遊びの時のような表現だろうか。ピンゾロを引いた、というような運の良さの事を言っている。
怪訝な顔をする颯馬に対してシロガネが言葉を続けた。
「我の庇護の下のこの場であれば、化け熊も避けることができよう。しかし、人の子のお國がここに居続ける訳にもいくまい。ここには人の子が食うものは無いのでな」
「そう、だから私はあの子を掻い潜って何とかここを脱出しないといけなくて」
國江は立ち上がって、颯馬の目を見つめる。強い意思を感じる目だ。
若い女性には珍しいという印象は現代では男女差別と言われるだろうが、強さを持った目だと感じた。颯馬からすれば触れれば折れてしまいそうな華奢な体にも関わらず、余裕すら感じる微笑みすら浮かべている。
この領域は國江にとっては安全地帯だろう。呪力の集合体の怪異にとっては干渉できない領域である。
ただし、それはただこの場に留まり続けるが最善であることを意味する訳ではない。シロガネと違い、食料を必要とする國江は安全地帯に逃れ続けることにもいつか限界がくる。孤立無援の場所からはいつか脱出しなければいけないのだ。
「そこに君が来てくれたんだよ、颯馬君。君は何をしていたの?」
見透かしたような、確信のある目だ。
「……一族の長の命で、この山に出た化け物を調査しに来ました」
「それ、多分私が連れてきたあの子だね」
今までの会話からすると、そうとしか考えられないが……國江は抜け抜けと芝居がかった風に話す。
「それで、私がここから出るのを助けて欲しいんだけど、いいかな?」
「ま、そういうことだ」
國江とシロガネが口を揃える。
随分と回りくどい言い方をするものだ。と颯馬は思った。
「九浅の倅よ。この娘を警護して麓まで連れて行ってやれ」