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銀龍の寵姫③



「函館というのは蝦夷の地名か」

「えぇ。星型のお城があるんですよ」

「星型?」

「えっと、五芒星と言えばいいんでしょうか」

「何だそれは、城郭の形がか? 安倍晴明の系譜の者でも流れ着いたのか?」


シロガネが國江に軽く口を挟む。星型の城というと……とやや間を置いて颯馬は五稜郭の事かと思い至る。

どうやらシロガネは五稜郭の事は知らないらしい。確か江戸時代の城だったと思うが、その時代でもシロガネが知らない事もあるらしい。

確かに五稜郭は空から眺めると城の形が五芒星になっている。が、それは小銃や火砲が発展した近代の戦争の戦術上有利な形であったのが理由のはずなので、平安時代に発展した印占術のモチーフとしての五芒星とは関係がないはずだ。

また話が逸れそうな気配があったので慌てて颯馬が話題を引き戻しにかかる。

 

「それで、函館で熊の怪異に逢った、と」

「うん」

「何かあったんですか?」


何かあった、と言う颯馬の問いは要するに熊に狙われるような何かをしたのか、という問いだ。

そして、話の流れ上、改めて言われなくともその熊の怪異とは、この霊域に颯馬が足を踏み入れる前に遭遇した奴の事だろう、と思い至る。

巨大な熊だった。本州には生息するツキノワグマではない確信はあったが、函館由来であれば、あれはエゾヒグマだろう。本州では既に絶滅しているが、津軽海峡を挟んだ北海道では普通に生息してて、そこそこ数は多いと聞いたことがあった。近年は寧ろ数を増やして住宅街にも進出している、と言うのをテレビで報道されていた。必ずしも山奥でしか出会わない存在ではないらしい。

颯馬に問われた國江は軽く首を振る。


「ううん、直接は逢ってないよ。ただ……」

「ただ?」

「遠くで、銃声を聴いた、かな」

「銃声ですか」


銃社会ではない日本においては縁のない音……と思われがちだが、実はそうでもない。

颯馬からすると、銃声を聴いたことがない日本人というのは、つまりある程度都市化した、山間部ではない場所で育った人間だと予想する。

山に近い場所で育った人間にとっては、遠くから響く銃声というのは意外と耳慣れたものだ。田畑を荒らす野生動物を撃つ猟師は現代でも農村社会的に必要とされる職業の一つだ。そして、静かな山の中では猟銃の音は遠くまでよく響く。逆に日本で聴く銃声はそのほとんどは猟銃の射撃音だろう。

山に近い田舎の生まれである颯馬にとっては銃声は聞き馴染みがある――もっとも、職業柄猟銃以外の銃声もよく耳にはするが――音だ。そして、北海道は日本の地方の中でも牧畜が一つの主産業である分、家畜の天敵を狩るという意味で猟師の必要性の高い地域の一つだろう。


「これは後で知ったんだけど」


國江が前置きをする。


「その近くで、熊に襲われて人が亡くなったんだって」

「……そうですか」

「熊はすぐに猟師の人が駆除したって」


低く沈んだ声だ。自分とは無関係であっても、普通の感性を持った人間であれば、気分が沈む話だろう。

颯馬にとっては事の顛末として当然の帰結であるし、予想通りの結果であった。例えどんな野生動物であろうと、人を襲って殺した動物は同じ結末を辿るはずだ。人を襲った熊に対して、駆除以外の選択肢は現代日本においては存在しないだろう。熊が人を襲い、命を奪う事件は過去に幾つか例があるのは颯馬自身も知っているが、その全てで襲った側の個体は駆除されているはずだ。

一度人を襲った熊は人の味を覚える。というのは有名な話だが、それ以上にその地域の住民が生かして置くことを許さない。警察も地元猟友会も威信をかけてどこまででもその個体を追い詰めて殺すはずだ。

しかし、最近は人を恐れない個体が餌を求めて積極的に人里に降りてくるのが問題になっていたはずである。確かテレビでは都市化した熊(アーバンベア)と呼んでいたか。なんで横文字にしたがるのかと颯馬は思う。


「その時に怪異化した熊が、アレですか」

「アレって……知ってる風だね」

「ここに来るまでに一回逢ってます」


「えっ」と國江が驚いた表情をした。「大丈夫だったの?」とすぐに聞いてくるが、今はその話はいい。「この通り」と颯馬は適当に答える。

生き物としての熊の話は終わりである。日本の北国で一匹の熊が、飢えに駆られたか何かの理由で人を襲い、喰った。國江の話からすると熊が人里に侵入した上での襲撃だったのだろう。しかし、その猟奇的な事件を人間社会は許すはずもなく、地元の猟友会はすぐさま襲った熊を駆除した。

本来であれば、そこで終わったはずだが、しかし熊の魂魄は喰った人間の魂魄と混ざり合って怪異化した。


「そう」


國江が、颯馬の思考を肯定する。


「あの子は、ずっと私の後を追いかけてきてるみたいで、ね」


あの子、と國江は表現し、また困ったように微笑んだ。

特殊条件(イレギュラー)だったのは、國江自身の存在だろう。飢えた熊と喰われた人の魂魄が混ざり合った呪力の残滓の近くに、偶然怪異を惹き付け、その力を増幅する特殊な存在が居た。その存在に人喰い熊(あのこ)は誘引された、という事か。

熊と人間の魂魄が混ざった呪力の残滓だけなら、時間の経過とともに自然消滅していくはずだっただろう。しかし……


「最初はおぼろげな影みたいだったんだけど……私が南に行く内にだんだんと大きく……」

「……成長した?」

「そう」


颯馬の相槌に國江が神妙に頷く。

朧げな残滓は國江の後を尾けるように、本州に侵入した。國江の言う「怪異の力を増幅させる能力」とやらが本当であれば、その力の影響を受けて幽幻のような魂魄が次第に怪異としての存在を構築していったと考えられる。

怪異にも存在としての強度の段階がある。呪力が弱い段階であれば現実の物理法則への強い干渉はできない。せいぜい霊が見える存在を驚かせるか、僅かに物を動かす程度だろう。だが、怪異化の段階が進み、存在としての固定化が進むにつれて、現実世界への干渉力は強力になっていく。


颯馬と対峙した熊は、ほぼ生来の姿を再生し、生々しい息遣いすら感じられる存在だった。

怪異化の進行度合で言えばかなりのステージに達している。國江が北海道から日本海側を回っていく間に、怪異としての存在の固定化が進んだのだろう。

あの人喰い熊は既に素人の手に負える存在ではない。純粋にエゾヒグマの持っている身体能力同等の動きが出る上に、怪異である以上霊力を持った攻撃でなければ効果は薄いだろう。もはや生前の熊を駆除した猟銃でも通常の弾であれば効果はないはずだ。霊力を込められる特殊な対魔弾頭の弾薬を使う必要がある。


「気付いたらもう私では対処できないくらいになってたから。どこか逃げ込める場所を探してたの」

「なるほど」

「で、丁度いい感じな場所があったから」

「我のところに訪れたと言うワケだな」


シロガネが言葉を継ぐ。

國江の説明は道中がザックリと省かれているが、颯馬にもなんとなく概要は伝わった。それにしても霊域の主を前にして丁度いい場所呼ばわりするのは側で聞いている颯馬にしてみるとシロガネの気に触らないかヒヤヒヤするものだが、シロガネは気にした様子もない。

ゴロゴロと、シロガネの喉の奥が鳴る。面白がっている声色だ。もしかすると笑っているのかもしれない。


「久々に我の門を見つけて戸を叩く者がおると思うたら、奇妙な成りの若い娘でな。見れば妙な力も持っておる。面白くなって招き入れてしまったわ」


またゴロゴロと喉が鳴る。シロガネに対してはどう接すればいいのか図りかねるので黙礼することで相槌を打った。

久々というあたり、やはり人と会うのは稀なのだろう。会話の噛み合わなさから見て、颯馬と國江とはおそらく何百年と時代感が離れていると予想される。シロガネが久々と言っているのもひょっとすると100年単位の時間感覚なのかもしれない。


そして、颯馬はシロガネとの会話の中から勝手に状況を察する。

門を見つけて、戸を叩くという表現は、本来この霊域は閉ざされていると言う意味だろう。

周辺地域の生まれの颯馬もこの霊域の存在は認識していない。銀山の龍神信仰はあくまでも民間伝説の一種で、実際に霊的な場所は無いと考えられてきた。少なくともこの地域一体の祓魔師と霊的な現象を管理している九浅寺家は把握していないはずだ。

何故存在しないと考えられてきたのかというと、実態として存在を確認できなかったという単純な理由だが、シロガネ自らが霊域を閉じて外界との接触を絶っていたというのが真相か。

銀山の龍。かつてこの地が日本における有数の銀の産地として栄えていた頃の土着の神。銀鉱脈の化身。古から続いた鉱山が閉山されたことで霊域を閉じて隠れた神という事か。



しかし、結果として國江は地元の組織である九浅寺家でも把握していなかった閉じた霊域を見つけ出してその主と接触したという事だが、どのような方法で見つけ出したのか。颯馬の中で疑問は残るが今は一先ず思考の端に追いやった。


「逢ってみたら「化け熊に追われている」と助けを求められてのう。まぁ招いた手前、追い返すのも忍びない。どうせ化け熊なんぞ、我の領域には入ることすら叶わぬからな。話し相手になって貰っていた」

「ほんと、助かりました。追い返されたらどうしようかと思ってました」

「気にせずとも良い。色々と面白い話も聞けたしな。我の知らぬ間に人の子はずいぶんと変わっておるのだのう」


朗らかに國江とシロガネは会話する。

國江にとってはここは熊の怪異が襲ってこない安全地帯という事か。時系列的に颯馬がここに訪れる前に國江はこの霊域に逃げ込んでシロガネに匿って貰っていたという事らしい。


「光るぶ厚い札は未だによくわからぬがな。最近の人の子は面妖なものを持っておる」

「スマートフォンですよシロガネ様」


数百年の時を超えた交流が為されていたらしい。






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