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ずぶ濡れテディ⑤



戦闘があった場所からしばらくの間移動が続いた。


その間颯馬が人喰い熊の背景へ巡らせている思考は、感じ取った違和感によって寸断された。

ヒクヒクと鼻を鳴らすように、颯馬は改めて周囲の呪力をより能動的に感じ取った。

熊の呪力の残滓が薄くなっている。いや、より正確に言うと呪力の残滓がかき消されるように、相対的に周囲の霊力が濃くなっていた。


「……何だ?」


場所は古鉱山の採掘場の跡地に近づいていた。この辺りになると観光客も通るためか、先ほどの傾斜地よりもやや森に手が加えられ、倒木や草木も整えられていた。とはいえ、山と山の間の谷のようになっている隙間の地形だ。集落よりもだいぶと離れている事もあって人の領域の雰囲気はない。

昔は鉱石の搬出のために道が整備されていたのだろう、他の箇所よりは歩きやすく道のようになっている部分が奥へと続いていた。

雑草や若木が侵食してきているとは言え、まだ人の営みがあった頃の面影が感じられるような地形になっている。


次第に呪力の残滓がより細くなっていく。まるで、足跡が雨に流されるように、追っていた人喰い熊の呪力を追うのが難しくなっていた。

代わりに、周囲の霊力が次第に濃くなっていた。それは朝靄のように清廉な雰囲気を持っている。凛と張り詰めた空気が満月の小道の奥に続いている。

満月の夜は霊力も呪力も活性化する。そのため怪異の活動が活発化するのも相対的には満月の夜が多かった。ただ、それは大気の中の霊力も呪力も等しく増幅させるものだ。

今この場で起こっているような霊気が領域を支配するような現象は、基本的に起こり得ない。


しかし、霊力が濃く存在する場所は、濃淡の差はあれ存在する。主に有力な神社や寺、そして地脈など自然発生的な霊力の噴出口となっている特定のエリアの周囲である。霊力が濃くなっているエリアは自然と呪力が押し流され、穢れが清められた静謐な空間となる。

弓を引き絞った時に似た、静寂と緊張感が支配する空間の中を颯馬は歩いていた。


恐らく、この奥に追っている人喰い熊は居ないだろう。呪力そのもの集合体である怪異にとって霊気に満ちたこの空間は存在するだけでも力を削がれるような場所だ。

相当な拒絶反応を示し、別方向に移動した事だろう。その先は現状の颯馬では想定がつかない。

今の颯馬にとって、その行方を確かめるよりも、今目の前で起きている現象に思考は移っていた。

ふと、颯馬は足を止めて、小道の両脇に目をやった。小道の両脇の奥、木々に守られるように颯馬の身長ほどの高さを持つ巨石が小道の左右に並んで控えるように鎮座していた。


盤玉垣(いわたまがき)……領域結界か」


颯馬が緊張の色を濃くする。左右の奥にある岩は何の飾り気のない苔むした岩だ。何ら主張するでもなく控えめに鎮座しているそれらは、一見すると何の変哲もない岩だが、それが道に対して左右にほぼ等しい大きさで鎮座している事には霊的に大きな意味があることを颯馬は知っている。

玉垣とは領域を分ける境界線の鋲のようなものである。寺社における境内を分ける境界。更に神体とその外側を分ける境界。そして道の左右に鎮座する岩は門としての存在も示唆していた。鳥居、狛犬、阿吽像。霊域の内と外の玄関口を示し、それを守護する存在。

颯馬はゆっくりと歩みを進め、左右の巨石を横目に奥に踏み込んだ。より一層、霊気が濃くなった。何かの内側に入った感覚があった。


玉垣は様々な種類がある。神社の境内を囲う石の柵もそうであるし、木で作られた塀などもそうだ。簡易的かつ仮設的なものであれば藁で作られた縄を張り巡らせる注連縄(しめなわ)も領域を作り出す結界の一種だ。

その霊的な空間形成自体に疑問はない。問題はなぜ今ここにそれが存在するかという点である。

颯馬はこの場所に盤玉垣があることを知らない。というよりも、この場所にそのようなものは存在しないはずである。この辺りは集落から外れた場所とは言え、颯馬にとっては土地勘のある場所である。霊的なエリアであれば当然存在を把握しているはずだ。そこに、あたかも古代から存在しているかのように、霊域が形成されている。


「何だ……? 空間に干渉する術式? こんな広域でこの霊力で、か?」


颯馬は額に汗を滲ませながら、ゆっくりと歩を進める。

同時に不可解な現象の渦中で務めて冷静さを意識して思考を巡らせていた。腰の太刀に意識がいくが、柄に手をかけるのは意識して避けていた。空間支配系の術式であれば敵対的な行動によって何が起こるか想像できない。

ただ、このような山の一体を覆うような領域を形成する術式が、人間のような矮小な存在によって作り出せるとは到底思えない。だとすれば、


「神隠しか」


どれだけ歩いたかは定かではない。ただ自身が強力な術式の渦中にあることだけは自覚していた。

あるいは距離感覚にも干渉されているのかもしれないが、体感的にはしばらく歩いた後に、颯馬はやや開けた崖池に辿り着いた。見上げるような高さの岩肌が目の前に広がって、壁のようになっている。森に囲まれた道としては行き止まりのようだ。

しかし、目の前の岩肌の壁には、あからさまとも言えるように、ポッカリと人一人分が通れそうなほどの横穴が空いていた。岩を切り崩したかのような洞窟だ。とは言え、自然にできた穴とも思えない。まるで人が何らかの目的で切り拓いたかのような穴だ。


「導かれている……のか?」


颯馬は洞窟の前で一度止まり、逡巡した。

何かしらの存在に、颯馬は導かれている。あるいは、この領域の主に招かれている、と言う表現の方が適切かもしれない。

その存在は、少なくとも人間の一個体では起こし得ない霊力を持って、この一帯に霊域を形成している存在だ。仮に一個体でそれが起こし得るのであれば、それは怪異というにはおこがましい、精霊に近い存在のようだった。

颯馬がこの山に訪れた要因である人喰い熊との関連は不明だ。しかし、現に今は颯馬だけがこの領域に足を踏み入れることが許されている。恐らく、先ほど通った盤玉垣以降の領域は誰でも通れる道ではないはずだ。


しかし、進むか立ち去るかの選択肢が颯馬にある訳ではない。

ここまで来て、立ち去るという事はこの領域の主の不興を買う行為にも繋がりかねない。颯馬はため息をついた。

是非もないとはこの事だろう。どちらにせよ、この先に進むしか現状選択肢がないと言えるのだ。


颯馬はゆっくりと、歩を進める。月明かりしか頼りのない闇夜から、更に深い闇が続くであろう洞窟に足を踏み入れた。

人一人がようやく通れるであろう狭い洞窟は、やや下に傾斜しながら真っ直ぐに奥に続いていた。

地面は硬く、岩肌を削り出したかのようなゴツゴツした床だった。ただ、外から見た印象よりもずっと歩きやすい。

それに、完全なる闇ではなかった、闇順応した颯馬の目には寧ろ見えやすいぐらい、薄く光が反射している。


颯馬は更に奥へと進む。霊気は更に濃くなっていた。

濃密な霊気は奥から湧き出るように颯馬の頬を撫でていく。そして同時に、奥に行くにつれて、洞窟は薄ぼんやりとした光の反射によって、次第に明るくなっていく。


「何の光だ……?」


蛍光灯やLEDのような人工的な青白い光ではない。同時に、炎のようなオレンジがかった光でもない。

どこまでも白く、そして冷たさを感じるように冷えた輝きを持っている。いつの間にか、洞窟の壁や天井は小さな光の粒が光を反射しキラキラと輝いている。

それは美しい回廊となっていた。まるで月のように薄く荘厳に輝く回廊が真っ直ぐと降っていく。

そして、最初は人一人分の幅しかなかった洞窟は、いつの間にか広々とした一本道へと変化していた。


颯馬は喉を鳴らす。圧倒的な霊力と、時空を歪める霊域に畏れをなしていた。

鈍く銀色に輝く回廊は、この山が銀の地脈そのものである事を悠然と物語っているようだった。

それはすなわち、この霊域を形成している存在は、この山そのものと同義と颯馬は悟っていた。


開けた場所に出た。

そこは、ここが地中である事に対してのあらゆる矛盾を無視したような空間だった。

奥ゆきも横幅も20mを超えるような、悠々とした広さに、10mを超えるほどのもはや無意味さを感じるような空間の高さがあった。

自然光など入り込むはずもない地中深くの空間にも関わらず、その空間は月明かりを何倍にも濃縮したような光が反射し、確かな明るさを感じる。

壁や天井、床に至るまで全てが削り出された岩肌で構成されているにも関わらず、その空間は言葉にできない神秘性と荘厳さを内包していた。

そして、颯馬は時を忘れたかのように目の前の光景に目を奪われ、ヒタヒタと無防備に歩を進める。



それは美しい龍だった。

光をどこまでも吸い込むような。決して逃さぬという意思を感じるような、冷徹な銀の輝きを持った龍だった。


龍はその頭を人の頭上はるか上に置き、美しい銀の鱗に覆われた首とも胴体とも取れる身体が、水の流れのように流線を描いて地面に続いている。

それは蛇のようだと表現するのは不遜なほど神秘的で、滝のようだと表現するにはどこまでも生き物のそれだった。

龍の頭に小さく光る瞳は紅く、静かにこちらを見据えていた。

息をするのを忘れるほどに美しく、そして同時にそれは絶対的な存在としての重厚さを持って、息を吐くことを許さなかった。





「控えよ。下郎」



颯馬の意識は、現実へと引き戻される。

そして、場面は冒頭へと繋がった。




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