ずぶ濡れテディ④
熊は逃げ散っていた。山に再び静寂が訪れている。やや時間を置いて、颯馬はため息をついた。
『なんで?』という人の声を発した後、熊は踵を返して逃走を開始した。
睨み合っていた颯馬から視線を外して、山頂側の颯馬をぐるりと回り込むように、ゆるく尾根に続く方向へ猛烈な勢いで走り出した。
走る熊の最高時速は確かかなり速いはずだった。確か時速50kmほどになると聞いたことがある。その速さはこのような傾斜部でも制限は無いだろう。元々山地が生息地の熊にとってはここは庭のようなものだ。
颯馬も本気を出せば追跡・補足できないこともないが、それは辞めておいていた。深い理由は無いが……何というか、興が削がれたとでも言えばいいのか。
「なんで、と言われてもな」
右手の太刀に流した自らの霊気を鎮める。
そして、そのまま左の腰の鞘に納刀する。抜刀したまま一振りもすることなく相手の逃走を許したため、刀身は綺麗なままだ。露払いはする必要はない。
やや肩透かしを食らったというか、興が削がれたというか、何とも後味の悪い感じがしていた。
腰に太刀を納めて、熊の強襲を受けた際に傍に投げ飛ばしていたスポーツバックを回収する。
そして、おにぎりが転がり落ちていった斜面の下方へと滑り降りる。ちょうど先程まで熊が唸っていた場所だ。
かがみ込んでおにぎりを拾い上げる。当然のように腐葉土と落ち葉にまみれて一見すると土の塊のようだ。非常に残念だが、このおにぎりを回収した所でしょうがないだろう。スポーツバックの中に入れると他の内容物まで土まみれになってしまう。非常に残念で申し訳ないが、プラスチックのような土に還らないものではないためこの場に捨てていくことにした。足で土を掘り返し、中におにぎりだったものを埋葬して合掌する。
「さて、どうしようかな……」
颯馬は思考をおにぎりから、現在の討伐対象に切り替える。
先程交戦した熊――人喰い熊とでも呼ぶ――は、山の奥の方向に向かって逃走した。だが、僅かに呪力の残滓が尾を引くようにこの場に残っている。
その残滓を辿っていけば追うことはできるだろう。ただ、時間帯としてはすでに日が暮れ、辺りは夜に包まれている。ちょうど先程人喰い熊に逢った時間が逢魔時と呼ばれる時間だったのは、言い伝えの正しさと言えるかもしれない。
颯馬が迷っているのは、このまま追うか、一度引き揚げるか、だ。当初叔父から命じられた時に比べると、相手の姿形や戦闘能力は把握した。偵察としては十分な成果だろう。このまま一度調査した結果を持ち帰り、叔父に報告することにしても特に咎められはしないはずだ。
恐らく、怪異の姿を把握したことで改めて討伐隊が編成されるはずだ。相手は単体であるが、脅威度はそこそこある上に警戒区域の範囲が大きいため、大規模な山狩になるだろう。まぁ、姿形をこの目で見ているので確実に颯馬も討伐隊に編入される。
山狩とは、大人数の祓魔師を集めて山の麓を包囲し、徐々に山頂に向かって包囲を狭めていく掃討戦だ。どこかの段階で網に獲物が掛かれば、そこで狩る。その場の祓魔師で討伐が難しければ持久戦に持ち込んで他の箇所の包囲を担当していた祓魔師の合流を待って数で押し切って祓えばいい。仮に上手く逃げ延びたとしても、徐々に山頂側に追い詰められて、どこかで追われる側に限界がくる。狩る側にとっては大掛かりな仕事だが、難しい仕事ではない。
一度帰還した場合の未来予想をしつつも、しかし、颯馬は現場担当者の判断としてこの場で帰ることを否定していた。
「とりあえず追うしかないか」
呪力の残滓を嗅いで、颯馬は再び歩き始める。逃走を見逃したのは悪手だったかもしれない。すっかり太陽は沈み、辺りは闇に包まれている。が、構わず颯馬は闇の中を進む。スマートフォンを懐中電灯代わりにできることは家中の者から教えられていたが、あえて使わない。光源を頼りに進んだ場合、夜目に慣れずに進むことになる。
仮に再度人喰い熊と戦闘になった場合、暗順応できていない視界で戦うのは厄介だ。それを思えば光源に頼るべきではない。幸いなことに今夜は満月だ。霊力も呪力も等しく増幅される夜だが、月の光が辺りを薄く照らしてくれるのはありがたかった。
人喰い熊が向かった方向に人家は無いが、確か昔に閉山された銀山の採掘場の跡地がある。
すでに採掘自体はされていないが、一応、歴史遺産的な観光地として整備されて山奥の中でも人が訪れることができるようになっていたはずである。時間帯的にすでに人気は無いであろうし、そこまで連日人が集まるような人気のスポットでは無い片田舎の観光地もどきであるが、それでも偶発的に人と遭遇する可能性はゼロではない。そうなったら非常に危険だ。それこそひとたまりもないだろう。面倒ではあるが、少なくとも採掘場跡周辺から追い払うぐらいまでは見届けるのが、一応この道のプロとしての責任である。
颯馬の祓魔師としての経験は、年数としてはそこまで長い訳ではないが、それでもそれなりに場数は踏んでいる。
確証は無いが、先程交戦した熊は恐らく人間を喰ったか、何らかの方法で魂魄を取り込んだ熊の怪異だろう。
動物霊に分類される怪異にも、幾つか種類がある。その中で更に大きく分けると、依代となる、生きている若しくは生きていた動物の肉体、あるいはその魂魄をベースにしているか否かで分類される。
動物の体を使わないパターンは、術師が自らの想像力の産物として、あるいは結果的にそうなる形で怪異を発生させる。それはあくまでイメージモデルとして動物の姿形をしているだけだ。実際のモデルとなった動物と比べて似ている部分は人間が想像できる範囲でしか無い。そういった意味では動物霊もどき、と言った方が正確かもしれない。
それに対して、動物そのものを依代にするパターンは、その動物の性質を色濃く引き継いでいる。今回の場合は後者の依代となる存在がいる方だろう。
前者の術者が生み出した想像の産物にしては、交戦した人喰い熊は動きが洗練されすぎている。あの颯馬を襲った強襲や顔面への執拗な攻撃は生物としての熊が何世代にも渡って培った狩りのノウハウである。それを人間が簡単に模倣できるとは思えない。
そして、動物が依代になったタイプの怪異にも更に幾つか種類分けが可能だ。
例に挙げるとしたら、呪術的な術式が構築可能な者が、動物の肉体・魂魄を術式で縛り、使役する事で式神化させるパターン。あるいは、自力であるか他力であるかは問わず、怪異としての現象が発現した際に、その現象・術式の中に動物の存在が介入した状態で人に憑くパターン。怪異憑き・降霊呪法と呼ばれるものだ。そして、もう一つ、数としては少ないだろうが、動物と人間の魂魄が混ざり合った状態で怪異化するパターン。怪異堕ち・悪魔堕ちと呼ばれるもの。
熊を使役させるタイプの式神である可能性も捨てきれないが、その線は薄い、と颯馬は考える。
あの熊は戦闘の最中に不意に『なんで?』と言っていた。その発言に合理性や意図は感じられない。式神であるなら、もっと人間の意図を感じる動きをする。
颯馬があの熊に感じたのは、より動物的な狩猟としての攻撃性。そして、その中に異質な存在として人間の魂魄の介在だ。
恐らく、あの熊は特定の人間の意思によって生み出されたものでは無いだろう。颯馬の推測の域をでないが、仮説を挙げるとすると……
ある一頭の野生の熊が、食うに困って彷徨っていたのだろう。その熊は生存のために木の実などの採集、あるいは狩猟をして飢えを凌ごうとする。
そして、不幸にも、その狩猟の対象になった人間が居た。
熊は滅多に人を襲わないというが、それでも国内には熊の人的被害の例は颯馬にも聞こえてくる程度には多くある。極度に飢えた熊であればやるだろう。当たり前だがそこに人間的な感情や倫理観は存在しない。より生物として原初の生存本能と生存闘争の中での捕食者と被捕食者の関係だ。
そして、結果としてその熊と食われた人間の魂魄は熊の体内で一時的に混ざり合う。
被捕食者、食われた側の人間が一撃で即死していなければ、つまり動けない状態で生きたまま食われたとしたら、その瞬間のは壮絶なものだろう。
怨念としての呪力の上昇が起こっても不思議ではない。そして、その呪力が内包された状態の瞬間に怪異化が起きれば、怪異堕ちが起きる可能性がある。例えば、腹の中に人間が収められて数時間以内に、地元の猟友会のハンターに射殺された場合など、だ。混ざり合った熊と人間の魂魄が強い呪力を帯びて、怪異になるケースはありえないとは言えない。
怪異としてはやや不完全な感は否めない、そして、未だに本州に生息するツキノワグマよりも巨体な、恐らく北方のヒグマがこの場所で怪異化しているかは謎のままだが、颯馬は現状の情報からそう結論づけた。
「だからと言って、俺が何か出来るわけでもない、か」
闇夜の山道を歩きながら、颯馬は一人呟く。
そう、これは全て過去の話だ。もう全て終わった話だ。真実かどうかも定かではない。
颯馬は祓魔師であって探偵でも葬儀者でも評論家でも無い。熊の捕食行為には勿論、捕食された人に対しても、何かを詳かに証明するつもりはない。
そして、たとえ颯馬の予想が事実だとしても、それに対する意見も行動意義も、憤りを覚える筋合いすらないのだ。そこにはだた颯馬自身が祓魔師の仕事として処理すべき対象の背景の物語が横たわっているだけだ。
ただそれでも、己の祓魔師という責務上の推測でありつつも、自らの思考に僅かに苦虫を噛み潰したような表情を浮かべるのであった。