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ずぶ濡れテディ①



「何やら山でデカい怪異が出たらしい。とりあえず様子を見てきてくれ。なんだったら討伐してきてくれても構わない」


 要約すればそういう連絡を、最近ようやく慣れてきたスマートフォンに一族の長にして実の叔父から直接連絡が来たのが、五限の授業も終わった頃であった。

 実の叔父とは言っても地元では非常に有力な一族を纏める当主なのだから、上司のような存在とそう変わらない。

 実質的な業務命令なようなものだったが、もはや颯馬にとっては日常の一幕であった。


 颯馬は慣れた足取りで山道を歩く。

 しばらくは古いとはいえアスファルトで舗装された道を進んでいたが、それもつい数分前に脇に逸れてからは申し訳程度に石やら丸太やらで形作られた獣道に毛の生えた程度の道に変わっている。涼しくなってきたとはいえ人の背丈ほどの草がわんさか生えている道だったが、颯馬は気にする事なく軽快な足取りで進んでいた。


 地名としては全国的にも知られている方とは言え、所詮古くは奈良の頃から採掘がされていたという鉱山があるというだけの辺境の地だ。

 それも日本各地にある鉱山の中の一つという程度であり、もう大正の頃には鉱山資源で富を得るには手間の方がかかってしまうほど地中の奥深くまで掘り進めてしまっていた。これ以上は崩落の危険性と洞窟の維持コストの方が高くつき、経済的な有効性はほぼなくなってしまったらしい。


最盛期をいつと呼ぶのかは議論があるものの、古くは日本の原初貨幣経済を支えた銀の一大生産地として栄えたこの地も、次第に人が減っていき今では人家もまばらにしか建っていないなんの変哲もない片田舎となっている。それも少し山奥の方に行けば傾斜地ばかりで家はおろか田畑にもし辛い土地ばかりになり、急速に人の領域から自然の領域に近くなっていく。


「もう区域には入っている頃か」


 スマートフォンを眺めて呟く。

 慣れてしまえば大変に便利なものだ。叔父から連絡があった後に、メッセージとして長々としたアルファベットの羅列が叔父から送られてきたのを指でなぞると、機械が勝手に地図を開いて大まかな位置を知らせてくれた。家中の者によると位置情報アプリというらしい。電波さえあればどこにいようが自分の位置を仮想の地図上に表示してくれる。こういった位置の指標がわかりづらい山岳地帯を歩くには重宝する存在だ。

 とはいえ、もう電波が入る領域はとっくに過ぎているらしい。しばらく前から地図上の矢印位置が更新されずにいる。颯馬にとっては初めから当てにしているものではないため、ここまで補助してくれただけありがたい限りではあったが。

 電池の残量はまだまだあるものの、使い物にならなくなったスマートフォンをスポーツバックの中に放り込む。


カチャリと、左の腰の太刀が鳴るのを手で押さえた。

意図せず太刀が鞘走るようなみっともない真似はしないが、動けばそれなりに金具同士が接触し、鳴き声を上げる。

江戸期の侍が帯びていたような刃筋を上向きに腰帯に刺す打刀の携帯方法は、腰にしっかりと固定され鯉口が上を向くためよほど上下にも動かない限り刀が飛び出る心配はないが、颯馬が装備している方法はそれより古の時代の太刀の佩き方である。刃筋を下向きにし、地面に対して平行に近い形で太刀を腰から吊り下げる形だ。

そのため太刀自体と鞘や鍔などの拵はゆらゆらと自由に揺れ、音が鳴りやすい。

武士の戦闘が騎乗戦闘だった頃は都合が良かったらしいが、戦国期から次第に歩兵戦闘に移行する過程で変わって行ったらしい。


多少音が鳴る分には特に問題はない。こんな山間の地で自分以外に人がいるはずもないのだから。

もっとも、颯馬の太刀と学生服のベルトをつなぐ部分は伝統的な太刀の金具と下緒ではなく、現代的な改造を施したポリマーフレームの専用アタッチメントに換装されており、先ほど鳴った音もわずかな金属部分の音だ。

技術屋に依頼してこしらえてもらった部分だが、素早い動作で太刀を腰に装備でき、且つカチリと音がするので固定されたかどうかがわかりやすい。この山に入る時点で人目を気にする必要がなくなったので、背負っていた太刀袋から取り出して腰に装備したのだった。


衣替えの時期にはまだ少し早く、上着は装備していない。

学校指定のワイシャツとズボンとスポーツバックというおよそ山歩きには適していない装備であったが、颯馬にとっては今更な問題でもあった。

叔父はよく颯馬の学校帰りにお使い感覚で仕事の指示を送ってくる。この地域に長らく根を下ろしている九浅寺の一族の家業、霊・怪異・化け物の類の調査と討伐の仕事だ。

どこの田舎も対して事情は変わらない。主だった産業のない地域では都市部と違って生業にできる仕事の種類が少ないのだ。

自治体の行政圏を維持する公務員の類か、医療や介護か、最低限維持しなければならないインフラ土木建築工事業か、あるいは古くから続く農業、林業。それに連なる河川や山林の管理なども地方には貴重な雇用だが、その中には人が人である限りは切っても切れない業が生み出す現象を管理する人々も含まれる。

古くは防人やら陰陽師などとも呼ばれていたが、最近は祓魔師という名称が一般的らしい。人の少ない田舎でもわずかだが一定の需要があり続ける、体が資本の肉体労働。それが九浅寺颯馬が生まれた一族の古くからの家業、祓魔師のお仕事であった。


『現状確かな情報はないのだがな、割と大きな呪力の塊らしい。反応を拾った場所を送るが当てにはするな……ある程度の速度で移動している。地縛霊の類ではないようだ。おそらく県外から侵入した奴なのだとは思うが、正直わからん』


太陽が今にも山の間に落ちようとしている。

焼け落ちるような日の光を山林の間から眺めながら、颯馬は電話口からの叔父の言葉を反芻する。

こんな田舎の地域でも、祓魔師の活動は主には人家のあるエリアに限られる。人家に近い人の手の入った里山・竹林などはよく怪異の溜まり場となるので祓魔師にとってはよくある仕事場になる。それでも霊や怪異は人の業を根元に発生するものだ。あまりに人の領域からかけ離れたエリアはそもそも仕事の対象となる存在があまり発生しない。一般的な祓魔師にとっては人の領域こそがホームであり、人里から離れた山岳地帯は基本アウェーであった。


『出現予想区域は広い。出現条件もわからん。どんな姿かも不明だ。空振りの可能性も高いだろうが、藪を突いて大蛇が出たとしたら、下手な奴を行かせても未帰還扱いになるだけだ。……このご時世、そんな理由で人は減らせん」


叔父の言葉は、まぁ理解できる。

日本社会の共通の問題、少子高齢化・人手不足・なり手不足。祓魔師の業界も例に漏れずその煽りを受けている。

他の業界よりも基本報酬は高いものの、それも仕事の危険性を考慮すれば当然の対価であり威張れるものではない。その上一般的な認知が低い上に、そもそも仕事に就ける人が限られているのだ。

主に能力的な側面で―――霊や怪異の類が視えなければ話にならないという――制約が大きい。


それを考えるとそもそも国内の祓魔師の人口あたりの就労人数は極々僅かだ。

貴重な人材はメインの仕事場である人の暮らすエリアに出現する怪異の対処に当てなければならない。

こんな田舎の中でも更に人の居ない秘境の地に出た怪異に貴重な人材を配置して、もし危険な怪異に不覚を取って死んでしまっては組織として大損なのだ。


それについて颯馬に不満はない。

叔父にとって動かしやすい人材を当てていることも、山岳地帯での活動に適していることも、そうそう死なない人材である事も颯馬自身が自覚していた。

学校終わりに現場に向かえるというのも丁度良い具合だったのだろう。それはいい。それぐらいに扱って貰った方が気楽というものだが――


――グゥゥ〜と颯馬の腹が鳴る。


「……今日の飯はなんだろうな」


左手で太刀の鍔を押さえながら、右手で胃のあたりをさする。

現状最大の仕事への不満といえば、必ず帰りが遅くなるという点だった。

帰りが遅くなれば、当然だが飯を食べる時間も遅くなる。

健啖家の颯馬にとっては、それが唯一にして最大の憂慮すべき問題なのだった。

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