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ずぶ濡れテディ⑥


颯馬は深く、深くため息を吐いていた。

憂鬱そうな目をしながら、國江のキャリーバックを右の小脇に抱えて緩やかに上り坂になっている銀の回廊を歩いている。

先ほどまでの広い空間から出て、来た道を戻る形で外を目指していた。右の小脇のキャリーバックはそれなりに大きな体積だったが、中身は大した重さのものは入っていないようだ。颯馬からすれば羽のように軽いそれを持ち、しっかりとした足取りで登っていく。その左の腰には再び佩いた太刀が揺れいる。颯馬のスポーツバックは左手だ。えらく荷物が増えたものだ。

そして、その後ろには足取り軽く國江が続いていた。


「いやーお土産まで貰っちゃったね」

「それはお土産ではないと思いますが」


颯馬は本来であればより大きな歩幅でズンズンと登っていけるのだが、後ろを歩く國江の速度に合わせて本人からするとチマチマとした歩幅で進んでいた。

颯馬からすると女性の歩く速度というのは随分遅い、ただこういう時にさっさと先に進むのは御法度だと家の者からキツく言われているので歩幅を合わせていた。それに加えて國江は護衛対象だ。颯馬が勝手に進んでいい状況ではない。

そんな國江は颯馬を気にした様子もなく、手に持った物体を大事そうに眺めている。歩きながら眼前に掲げ、洞窟のわずかな反射光に照らすようにしげしげと眺めている。

國江が手に持っているのは銀だ。より正確に言えば鳥の羽毛のような、木の枝のような不思議な形をした銀鉱石である。


「自然銀だね」

「……シゼンギン?」


呟く國江の言葉を颯馬はそのまま返す。耳慣れない言葉だ。

手の中に持っている銀の事を言っているらしい。

 

「自然界で結晶化した銀だよ。普通は銀は色んな金属と石が混ざった銀鉱石から取れるけど、稀に純度の高い銀が採れるんだよ。学校の授業で塩の結晶とかが綺麗な正方形になるの見たことあるでしょ。アレと同じだよ。銀はこんな羽根みたいになるの」

「そうなんですか」

「銀樹とも呼ぶらしいよ」

「へぇ……」

「シロガネ様はやっぱり全身銀の結晶でできているのかな?」

「さぁ……銀山の龍ですから、そうなのではないですか」


博識だな、とやや投げやりな感想と共に颯馬は気のない返事を返す。

塩の結晶は確かに言われると授業でやったことがある気がする。金属でも似たような現象があるのと、自然界でも同じような現象が起きるのは颯馬にとって初耳だが、まぁそうなのだろう。特に颯馬が疑念を抱く余地のない話である。

そもそも國江の手の中にある自然銀の結晶は自然に結晶化したものとは正確には少し異なるだろう。


國江が手の中に持っている銀の結晶は、先ほどまでシロガネの一部だったものだ。

シロガネの首のあたりにあった全身を覆う銀の鱗の一部である。

全ての話が終わった後、シロガネは國江を呼び寄せて大きな顎で器用に自らの首元の鱗を剥がし、その鱗を國江の手の中に落とした。

つい先ほど広間を退出する間際の出来事は、國江とシロガネの何気ないやりとりのようでもあり、同時に颯馬にとっては一瞬の光景が目に焼き付くような荘厳な神秘性を持った光景だった。まるで西洋の宗教絵画のようにも感じられた。


『人の子には(あかし)が必要であろう。これはお國が我の養女である事を示す証であり、そちを守護する護符のようなものだ』

『護符ですか?』

『まぁ気休め程度だがな。力を込めれば化け熊の一撃でも何度かは受けれよう』

『わぉすごいですね』

『無論、そう何度も保たぬ。我の眷属の証として持つが良い』


シロガネはそう言って國江を送り出していた。

國江の手の中にあるのは銀龍の鱗であり、龍の護符である。そして、それは國江がこの地の山神に見初められ、加護を受けた特別な存在である事を証明するものであった。

自然銀の護符は爛々とシロガネの霊力を迸らせている。これを持った上で颯馬という同伴者が居れば、國江が麓の町に降りて九浅寺家に接触し時にその主張がどれだけ荒唐無稽であったとしても受け入れられるだろう。護符は物的証拠であり、颯馬は目撃者であり立会人である。


國江は銀鱗を大事そうに両手で包みながら歩いている。

そして当然のように國江の荷物は颯馬が担いで運んでいた。「颯馬君、これお願い」と出発前にキャリーバックを差し出してきたのだった。

颯馬がキャリーバックを抱えている分随分と身軽になった國江は軽い足取りで銀の回廊を登っている。荷物を運ばせといて優雅なものだなと颯馬は思わないではないが、荷物を自分で運ばせる分歩みが遅くなってしまっても良い事はない。山中よりも断然平滑で歩きやすいとはいえ、ごつごつとした上り坂をキャリーバックを転がしながら歩くのは若い女性では大きく体力を消耗する。体力も筋力もある颯馬が抱えるのが一番効率が良い。


「力を込めるって、どういう感じなんだろうね」

「……さぁわかりませんが、霊力のことではないですか」


シロガネは力と表現したが、おそらくは霊力のことだろう。他は考えにくい。

そこでふと、颯馬は國江が霊力と呪力の概念をどこまで理解しているのか疑問に思った。

熊の怪異を認識し、祓魔師や霊媒師の存在も認知しているという事はある程度はそういった霊的な現象の知識はあるのだろうが、国家資格としての祓魔師制度の知識が無いという事は専門の訓練を受けているわけではなさそうだ。霊力という力の概念を知っていてもその操作ができるのはまた別次元の話である。まるっきりの素人いうには中途半端に知識はあるが、専門家にしては素人っぽい。

颯馬は一度足を止めて、一旦キャリーバックを足元に下ろしながら國江の居る方向に振り返った。


「藤市さん、あなたは――」

「ストップ」


一体何者なんですか――と問う声は寸前で遮られた。

振り返った先に居る國江は微笑みながら右手の人差し指を突き出すようにこちらに向けている。数メートル先の颯馬の唇を、まるで指で塞ぐように人差し指の腹を颯馬の口元に向けていた。不覚にも虚を突かれた颯馬は言葉を止める。


「私のことは、姫様って呼ぶこと」

「――はい?」


ヒメサマ。やや時間を置いて颯馬は脳内で音を漢字に変換する。颯馬は聞き慣れない単語や脈絡の無い言葉は一旦脳内で翻訳するのに時間がかかる性質なのだ。

姫様。上級身分の若い女性を示す「姫」にそのまま敬称である「様」をつけた呼称である。昨今では日常生活で使う者はほとんど居ない。冗談や揶揄で使うことはあるだろうが、真面目な呼び方で「姫様」と呼ぶ者は皆無だろう。それこそ時代劇に登場する上級身分の娘に対して警護の侍がそのように呼ぶのが映像作品で表現されているぐらいだ。


「いきなりなんですか」

「呼び方だよ。藤市さんじゃ他人行儀でしょ」


他人行儀も何も、現状知り合ったばかりの赤の他人なのだ。

颯馬は眉をハの字に下げながら問いかけるが、國江は人差し指を颯馬に向けてくるくると回すばかりだ。

 

「……本気で言ってますか?」

「ちょうどいいでしょー。ちゃんとそういう関係なんだし」


そういう関係、というのはシロガネの命を介した主従関係のことだろうか。

山神の養女(証拠付き)と地元の集落を土石流という自然災害を盾に人質に取られて服従を迫られている祓魔師の図だ。颯馬からしてみると一応、一族の長に持ち帰るまで回答保留として棚上げしている事だが、國江はもう成立した気でいる。ノリノリである。

颯馬からしたら一旦棚上げでも、シロガネの命を反故にするのは無理筋な側面もあるため國江が成立した気でいるのも案外的外れではない。


「女の子を護る役目の人はそう呼ぶものでしょ?」

「いや、いつの時代の話ですか。藤市さんでいいでしょう」

「ダメダメ。せっかくなんだし」


せっかくという言葉はこういう状況で使っても良いものなのか。と颯馬は思うが、國江的には正しい用法らしい。

というか、どうやら冗談の類ではないようだ。「なんてね」と冗談めかした言葉がどこかで入るのを期待していたが、その様子は一向に無い。あっけらかんとした表情で國江は言葉を続けている。どうやら本気で自分の事を姫様と呼ばせたいらしい。


「え、いや……今後も含めた話ですか? 誰の前でも?」

「そう。私、姫様。私は颯馬君って呼ぶから」


別に颯馬のことはどう呼んでくれても構わないのだが、颯馬からの呼称が姫様はどうなのだろうか。

このまま行くと颯馬は叔父の前でも國江の事を姫様と呼ぶ事になる。

 

「いやいや。恥ずかしかったりしないんですか」

「私? しないよ」


強い。無敵だ。人並みの羞恥心があれば通用する問答が通じない。

國江がそう呼べと言っているのだから恥ずかしがるのは筋違いなのだが、しかし普通そうはならないだろうと、颯馬は頭を抱えていた。


「いや、私が恥ずかしんですが」

「颯馬君が慣れればいいんだよ」


だめだ無敵だ。話が通じない。

颯馬からしてみれば呼称ぐらい無難に苗字にさん付けで良いのになんで現代日本で時代劇の真似事みたいな呼び方を強要されているのかよくわからない。

 

「颯馬君」


不意に國江が右手を引き戻し、代わりに左手に持っていた銀鱗をゆっくりと颯馬に向けて差し出した。


「この紋所が目に入らぬか」


いやそれさっき貰った護符じゃねぇか。と颯馬は眉をハの字に曲げる。

國江はつまり、手に持った銀鱗がシロガネの眷属の証である。そしてシロガネの養女である自分の言う事を聞け。という事を言いたいらしい。

下手すると薬入れの箱に描かれている徳川の家紋などという誰でもホラが吹けそうな身分証で水戸の副将軍を名乗るよりも霊的な効果がしっかり付与されている分、身分を示す証拠能力は銀鱗の方が高いかもしれない。

とはいえ、國江自身の身分が尊いというよりも、シロガネの身分を嵩に着ているだけである。清々しいほどに虎の威を借る狐を体現している。しかもその姿勢に全く恥いる様子はない。堂々たる態度だ。


「……はいはい。わかりました」

「よろしい。さぁ私をなんて呼ぶの?」

「姫様」

「いいね。颯馬君」


一向に譲歩の姿勢を見せない國江に対して、颯馬は早々に折れた。

肩を落とさんばかりにため息まじりに返事をすると、國江は満足そうに微笑んで印籠のように掲げていた銀鱗を手元に戻すのであった。

まぁ颯馬からしたら呼び名程度であれば颯馬の気恥ずかしさを置いておけば実害はさほどないので、この場が収められるのであれば譲歩するのはやぶさかでもなかった。

とはいえ、変な所にこだわる國江の思考には一向に理解が追いついていないのも事実だった。颯馬のこの短時間の中での國江に対する評価は「何を考えているかわからない得体の知れない女」である。これまでの人生であまり会ったことのないタイプの女性に面食らって怯んでいる。

 

「これが本当の姫ムーブって奴だね」

「ヒメム……? なんですか?」

「気にしないでー」


國江がまた颯馬に理解しずらい単語を述べるが、あまり追及しても無駄そうだ。颯馬は再びため息をつく。

そしてようやく呼称問題が颯馬の譲歩によって決着がついた所で、銀の回廊に低い唸り声のような音が響いた。

グゥゥという低い獣の唸り声のような音だ。颯馬は自身の胃のあたりから響く音で、少し前から自覚していた空腹感を思い出した。

同時に少し前まで聞こうとしていた話題に関してはどうでも良くなっていた。颯馬は左手に持っていたスポーツバックに手を伸ばす。


「失礼」


國江に軽く告げると、そのまま右手でスポーツバックの口を開け、中に手を突っ込んだ。

ゴソゴソと手探りで中身を物色し、中からアルミホイルに包まれた握り拳より少し大きい程度の塊を取り出す。

その様子を不思議そうに見つめる國江の視線を横目に感じながら、スポーツバックを地面に置いて、両手でアルミ箔を解いていった。


「何それ?」

「おにぎりです」


当然の疑問に颯馬は答える。別に怪しい代物でもないだろうし問題ないだろう。

このまま帰るまでに補給するタイミングがあるかは微妙な所だ。つい数時間前の熊に襲われる時に食べたおにぎりは途中で食い損ねている。

銀の回廊の途中だが、ここを抜けると霊的な安全地帯からは抜ける事になってしまう。安全地帯のこの場で足を止めたタイミングで食べてしまった方が良いだろう。仕事中は補給できるタイミングは多少強引にでも食べるようにしていた。


そこでふと、颯馬は國江の前でガツガツと一人でおにぎりを頬張るのも奇妙だなと思い至る。

横目に伺うと、呆気に取られた表情を浮かべる國江がいた。そんな表情もするのだな、と思考の端で思いながら、颯馬はそういえば手持ちのおにぎりの残弾数は今手に持っている物も含めて2個である事を思い出していた。

手に持ったおにぎりを左手に持ち替え、屈んでもう一度自分のスポーツバックの中に右手を突っ込んだ。そしてもう一つのアルミホイルに包まれたおにぎりを掴み出してゆっくりと國江の方に差し出した。


「要りますか? 姫様」


一瞬の静寂。

呆気に取られた表情の國江は、そのまましばらくおにぎりを凝視していると、やや俯き加減で肩を揺らし始めた。


「ふ……ふふ……くく……くれるの?」


確実に笑っている。國江は微かに肩を揺らして、押し殺すように笑っていた。


「別に、要らないんならいいですが」


笑い始めた國江に颯馬は怪訝な表情を浮かべる。差し出した右手の居心地が悪い。

いきなりおにぎりを差し出されて困惑するのはわかる。それもよく知らない他人のバックから出てきた得体の知れない代物だ。

一応、包みを解いておにぎりらしき物であることは見えているはずだが、それ以前に衛生的な価値観で拒否感を覚えるのも無理はない。

颯馬からしたら一応建前上、一人で食べ始めるのもどうかと思ったために聞いただけなのだが、まじまじと凝視された挙句笑われる始末である。

適当に断ってくれればよかったのだが、颯馬にしても國江の反応は意外であり、むしろ颯馬が困惑する。とはいえ笑わなくとも良いだろうとは思う。

國江は要らないという態度だと判断した颯馬は、せっかく取り出したのでこの場でこのまま2個とも食べ切ってしまおうと差し出した右手を戻そうとした。


「ありがとう。お腹減ってたの」


と、颯馬が右手を戻そうとする前に、國江は手を伸ばし、おにぎりを受け取った。

いや要るのかよ。と颯馬は驚くが、それをよそに國江は颯馬の手から銀色の球体を受け取るとしげしげとそれを見つめ、ややあってもう片方の指先でチマチマとアルミホイルの包みを剥がしていっていた。

本当に受け取るとは思っていなかった颯馬が呆気に取られているうちに、國江は中から黒い海苔の物体を取り出していた。

左手には銀鱗。右手にはおにぎり、である。




「九浅寺颯馬君。私の、私だけの侍」



そう小さく独り言のように呟いた國江は、颯馬にゆっくりと微笑み、そして小さな口でおにぎりにかぶりついた。




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