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銀龍の寵姫①




それは美しい龍だった。

光をどこまでも吸い込むような。決して逃さぬという意思を感じるような、冷徹な銀の輝きを持った龍だった。


龍はその頭を人の頭上はるか上に置き、美しい銀の鱗に覆われた首とも胴体とも取れる身体が、水の流れのように流線を描いて地面に続いている。

それは蛇のようだと表現するのは不遜なほど神秘的で、滝のようだと表現するにはどこまでも生き物のそれだった。

龍の頭に小さく光る瞳は紅く、静かにこちらを見据えていた。

息をするのを忘れるほどに美しく、そして同時にそれは絶対的な存在としての重厚さを持って、息を吐くことを許さなかった。


「控えよ。下郎」


 低く重い声がした。頭に直接響くような、そして荘厳な讃美歌のような、威厳と慈しみを孕んだ声色だった。

 九浅寺颯馬(くぜんじそうま)は反射的に、膝を折って平伏していた。飛び退くようにその場から下がり、左の腰に佩いた太刀を鞘ごと引き抜く。

 日頃の修練で染みついた動きで、腰のベルトから鞘を下げる金具を外すと、太刀を右手に持ち替えて投げ捨てるように右の地面に置いていた。

 まるでそれが当然のように、流れるような所作で両の膝を地面につき、両手の拳を前方に突き出すように地面に置いた。そして、深々と頭を垂れた。

 敵意はない事を示すのに必死だった。土下座の形はそれを示すのに最も適した所作なのだと頭の片隅で確認する。


「招き入れたとはいえ、良い気分ではなかったが……殊勝である」


颯馬は平伏する。視線を地面に伏せ、額を擦り付けるように頭を垂れ続けた。

地面は硬い岩肌のようなゴツゴツした地面だった。学生服のズボンの上から膝の肉に痛みが走ったが、頭を垂れ続けた。

視線を交えるのは畏れ多い。生物の本能か、あるいはより人間としての社会的生物の持つ直感がそう思わせるのか、颯馬にはわからなかったが、不遜な態度がその後の自身の進退に深刻な影響を及ぼすことが連想できてしまうのだった。


「直答を許す。名を名乗れ」

「……はっ」


銀龍が続ける。威厳のある声だ。物事を命じるのに慣れた口調だった。

颯馬は背筋に汗が流れるのを感じながら、慎重に言葉を選びながら口を開いた。


「この山の神たるお方かとお見受けいたします。目通り叶いましたること、祝着至極にーー」

「口上はよい、名を」


龍は醒めた口調で、颯馬の挨拶を切り上げる。

銀山の龍。この山が古くは銀が採掘されていた頃からの民間信仰、山岳信仰の総本尊。銀の精霊にして、神に近しい存在が颯馬の前に降臨していた。古い信仰の一つとして、伝説としては聞いていた。ただ、存在を見たものはおろか、本当に信じていたものは居ないだろう。目の前の存在はそもそも人間や怪異などとは別格の存在だ。言葉に詰まりながらも、颯馬は続けて口を開く。


「……九浅寺颯馬と、申します。この地一体の怪異、物怪の類を制し、人々を守護する一族の末席に名を連ねております」

「ふむ、九浅か。聞いたことがある。……たしか、防人の一族か。その赤銅の髪色、いつぞやに流れ着いた人の子が同じ髪色をしていた」


龍がわずかに懐かしむような声を漏らした。


「うぬはその末裔か」

「はっ。左様に聞き及んでございます」

「歳は?幾つになる」

「はっ……17になります」


妙に気安い口調で、龍は颯馬に質問を繰り返す。

そこで龍は一瞬鼻を鳴らした。興が乗ったような、自身の予想が当たった時のような、得意げな声だ。嫌に人間味のあるものだと感じた。


「17か。元服は済ませておろう。…………歳の頃もお主に近いのではないか、お國」

「そうですね、シロガネ様」


 コツコツコツと、鈍く銀色に輝く空間に、硬い足音が響いた。人の足音だ。

 龍のすぐそばに人間がいる。巨体の奥に控えていた人間が歩いてくる音だった。同時に、鈴のような声が響いた。声色が高い、女の声だ。新手の足音に、思わず頭を上げてしまいそうになるのをグッと堪えて颯馬は頭を垂れ続けた。


「……良い。いつまでも頭を垂れる必要はない。表をあげよ」


シロガネ様と呼ばれた龍は、人外にしては意外なほど颯馬の機微を見抜き、そして驚くほど鷹揚に、答えてみせた。

それに対してやや躊躇しつつ、颯馬は龍を刺激しないようゆっくりと頭をあげ、再び正面に目を向けた。

 

「こんにちは」


そこには、人間の女がいた。若い女だ。

その女は奇妙な格好をしていた。いや、正確にはこの状況が伴わなければ特に奇妙ではないが、この場では少なくとも颯馬を困惑させた。

高い足音で地面を鳴らす女の足元は、山歩きなど始めから想定していないかのような、踵を持ち上げた黒い皮とベルトの靴を履いている。

下半身の装いもここが山間部であることを忘れさせるような体型を際立たせる細いシルエットのスカート。

上半身は同じく体型が際立つような中着の上に、申し訳程度に外歩き用のコートを羽織っている。

肩ほどまであるゆるく波打った黒髪は、何故かその首の周りの内側の髪色だけが藍色に輝いていた。

整った顔立ちの目元には、真鍮のような金属の光沢を放つ丸い縁の眼鏡をかけ、耳元には大きな耳飾りを吊るすようにあしらっている。


「年下なんだね。九浅寺颯馬くん」

「……あなたは?」


恐る恐る、そして相当に訝しむような声で、颯馬は女に応答した。

およそ山奥で出会うような格好の女ではなかった。まるで都会の街中を歩いているような現代的な装いの女が、巨大な銀の龍の側に立って、こちらに微笑みかけている。落ち着いた柔和な笑みだ。そして、どこか見透かしたような冷えた笑みでもあった。

  

藤市國江(ふじいちくにえ)。よろしくね」


女はニッコリと、音が出そうなほど社交的な表情を浮かべる。

國江と名乗った女はやたら簡潔に挨拶した後、すぐに横の銀龍の方に向き直った。

龍の頭は國江のはるか上部にあるため、天井を仰ぐかのように見上げている形になった。


「それで、シロガネ様。この子がさっき言っていた警護の人ですか?」

「そうだ。ちょうど良いのが来たようだな。そうしてしまおうか」


颯馬に応答するのとは対照的に、シロガネは気安い口調で國江の問いに答える。

颯馬は、ただ今起きている状況が理解できずにいる。が、それでもその会話の内容が不穏なことだけは理解できた。

待て、何の話だ。この子というのは、自分のことか。流石にこの空間に、他に人の気配は感じられない。颯馬と國江と、シロガネだけだ。しかし、だとしても何の話をしている。そうしてしまおうか、という投げやりな回答は何だ。まるで、颯馬の今後の進退を世間話のような気軽さで話している、かのようではないか。


「九浅の倅よ。この娘は、先ほど我の元に庇護を求めてきた所であってな。なんでも、旅の途中で化物に付き纏われて困っておるらしい」

「……は、はぁ」

「若い娘が化物如きにいいようにされるのも不憫だ。それに、中々見所のある娘でな、気に入ったゆえ我の加護を与え、養女にしようと思うておるのだ」

「……ヨ……左様に、ございますか」


ヨウジョ、という単語が脳内で漢字に変換できずに、やや遅れて『養女』という単語を当てはめる。

つまりは、養子か。神様というのは気に入ったぐらいの軽い気持ちで養子をとるものなのか。いや、待てその場合、養子とはいえ目の前の女が神の子になるのか。いやいや待て待て、その場合……どうなる? 人間社会においての國江の扱いはどうなるのか。

颯馬が思考を四方八方に飛ばしているのを尻目に、シロガネは勝手に話を進める。


「しかし、加護を与えるとしてもな、所詮は気休め。化物相手には、武官が必要であろう?」


ゆっくりと、シロガネは首を傾ける。龍の表情は読めないが、面白がっているのが伝わる。そして横に並ぶ國江は相変わらず胡散臭い笑みを浮かべていた。

必要であろう?と言われても、困る。武官というのは、戦闘要員のことを言っているのだろうが……つまりは、それを颯馬にやれと言っているのか。

「そこでだ」とシロガネはもったいぶったように、続ける。

 

「うぬに我が娘に仕える事、御所山の主の名において命じる。お國に降りかかる火の粉、悪鬼羅刹に至るまで悉くその太刀で祓い、掃き清めよ」

「は?」

「うぬの命は今よりうぬの物に非ず。我が娘の太刀として振る舞い、その心血を捧げよ」


おいおいおい待て待て待て待て。

まるで大河ドラマの決め台詞のような、壮大な口上をいきなり述べられても、颯馬はひたすらに困惑する以外の感想はない。

承知も不承知も答えられず、口を上下にパクパクと動かす事しかできないでいると、龍の横でニッコリと微笑んでいた女がゆらゆらと右手を揺らす。

 

「そういう訳だから、よろしくね颯馬くん」



なぜこうなったのか、颯馬は数時間前の出来事から思考を遡っていた。

 

 

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