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高校デビューに成功した世界線

作者: 紡人 ツグミ




 放課後の訪れを告げるチャイムが鳴る。




 放課後――甘美な響きだ。




 学生達は勉強という苦痛から解放され、束の間の安穏と自由を得る。




 友人と遊びに行くも良し。

 仲間達と部活に励むも良し。

 恋人とイチャつくも良し。




 何をしたって自由なのである。




 きっとそれを世の高校生は青春と呼ぶのだろう。




 だが、輝かしい青春を謳歌する者がいる一方で、特に何をするでもなく自堕落に過ごす者が――青春を味わうことのできない者がいる。






 そう、俺こと陰宮(かげみや) 結莉(ゆうり)は高校デビューに失敗したのである。






   ▼




 組織が変われば人間関係はリセットされる。

 それは俺が16年の人生で得た結論だ。


 例えば、小学校では仲が良かった奴が中学校に上がった途端疎遠になったという経験はないだろうか。

 新たな組織では今までの関係は壊され、新たな関係が構築される。そして、一度再構築された関係はその組織から出るまで持続するのだ。


 つまり、高校1年目からぼっちな奴は、何か特別なきっかけでも無い限り卒業までずっとぼっちということである。

 もうすぐ高校2年の冬をぼっちのまま迎える俺が言うのだから間違いない。


 なんなら今年の冬もさしてやることがなく、持て余した膨大な時間をうっかり受験勉強に費やしちゃう所まで見えてるまである。

 すわ、俺には予言者の才能が!?


「――近頃、夜間に不審者が徘徊しているという情報もある。気をつけて下校するように。以上だ、帰ってよし」


 気づけばホームルームが終わっていた。

 静寂を保っていた教室がにわかに騒めき立つ。


「――星バックスの新作今日からだって!」

「――おっし! 一緒に部活行かね?」

「――早くコクっちまえよ。絶対(ぜってー)両想いだから」


 雑多に混じり合う会話が聞こえてくる。

 連中はまるで特権でも振るうかのように忙しなく、酷くもどかしげに、だが実に楽しそうに何かを共有しようとしていた。


 それはきっと将来には思い出と呼ばれるものに昇華するのだろう。そして、いつか過ぎた日々を振り返っては懐かしみ、再会しては笑い語り合うのである。

 高校生の3年間はそれ程までに大きい。


「……だからといって、現状を打破しようする気概はないわけだが」


 何度となく繰り返した思考だ。

 そして、その度に諦めるという結論を下してきた。


「帰るか」


「待ちたまえ、陰宮」


 席を立とうと鞄を持ち上げた所で、担任である女教師に呼び止められた。


「なんすか」


「……まったく、お前って奴は」


 先生は呆れたようにため息をつく。


「図書委員は放課後、図書室の清掃があるとさっき伝えただろう。なにしれっと帰ろうとしてるんだ、この大馬鹿者め」


「はぁ、図書委員……誰が?」


「お前だ。お、ま、え」


 そんな馬鹿な。ありえない。

 委員会なんて面倒この上ないものに俺が立候補するはずがない。例え記憶喪失になっていたとしても、それだけは自信を持って断言できる。


「そんなものになった覚えはありませんよ」


「それはそうだろう。なにせ役員決めのホームルームの時、お前は一人眠りこけていたからな。誰も立候補する様子がなかったので私の独断で決めた」


「それって要するに、意識を失っている相手に面倒ごとを押し付けたってことっすよね」


「ホームルーム中に寝る奴があるか。文句があるならその時に言え」


「くっ……!」


 どうにもならないらしい。

 すでに決定しているというのなら、ここで食い下がったとしても徒労に終わるだろう。俺は省エネ思考なのだ。今回は素直に引き下がっておく。


 だが、下に見られたままというのはどうにも気に入らない。ここは一つ釘を刺しておくとしよう。精々今日のことを悔いながら恐怖に打ち震えるといい。

 俺は目を細め、死肉を狙うハイエナのような心持ちで鋭く睨みつける。


「先生、夜道には気をつけた方が――」


「あ゛ぁ?」


「――いえっ、さっき、不審者が出ると、ひってましたのれ……」


 こっわ。

 こえぇよ、こぁい。

 恐怖のあまりつい思わず反射的に負けを認めてしまった。しかも、おもいっきり舌を噛んだ上に声が上擦った。恥ずかしい……。


「本当に仕方のない奴だな、お前は」


 先生は叱るように握り拳を俺の頭頂部に乗せると、何かを探すように教室を見回し始める。

 その探しものはすぐに見つかったようだった。


「浅田、こいつを頼むぞ」


 視線の先には一人の女子生徒が、静かに座って本を読んでいた。黒髪のおさげに眼鏡といった、いかにも本が好きそうな少女である。

 浅田と呼ばれた少女が先生の呼びかけに軽く首肯することで応えると、先生は満足そうに頷き返して教室を出て行ってしまう。


 どういう状況か皆目さっぱり検討つかないが、とりあえず場の空気を読んでおくとしよう。

 悲しいかな。よく分からないまま周囲の状況に流されるのは、ぼっちに定められし宿命なのである。

 俺は読書を続ける浅田さんに近づいた。


「うす」


 真のぼっちは気取った挨拶をしない。

 発声は必要最低限に留めるのがポイントだ。


 そうすることで明確な距離を作り『お情けでカラオケに誘われた挙句置物に徹し一曲も歌うことなく帰ってくる』なんて悲劇的な事件を起こさずにすむ。


 ……いやマジで何しに行ったんだろうなアレ。

 自分でさえ今でもって謎である(喀血)。


 浅田さんは本から視線を上げてこくりと頷くと、鞄を手に取って立ち上がった。

 初めて会話した気がするが、感情の起伏が乏しいタイプなのだろう。


「……来て」


 そう小さく呟くと、悠然とした足取りで歩き出す。

 ついて来いということだろう。できれば何をするつもりかまで説明して欲しかったが、これ以上のコミュニケーションを取るのは難しそうだった。


 渡り廊下を通り、文化棟へ移り、やがて喧騒は遠ざかる。歩いている方向と先ほどの件を加味するに、恐らく図書室へ向かっているのだろう。


 陽はゆっくりと傾き始め、秋特有の乾燥した空気を風が運んでくる。放課後直後とあってまだ人気(ひとけ)のない文化棟の廊下に、二人分の足音だけが静かに響いていた。


「……ねぇ」


 ともすれば聞き逃してしまいそうな程微かな声で、浅田さんは歩みを止めることなく呼びかける。

 それも、さして興味もなさそうに。


「なんだ」


「入学式……覚えてる?」


「さぁ? 生憎と入学式には出席してないからな」


 ふと、あの日のことを思い出す。


 4月1日。入学式の朝。

 運の悪い事故だった、と警察からは聞いている。

 見通しの悪い交差点で少女と自転車がぶつかりそうになり、驚いて慌てた少女が躱そうと翻った先にトラックが来た。

 それを側で見ていた俺は、咄嗟に少女を庇ってしまい足の筋肉やら背骨やら色々と損傷し、3ヶ月間入院することになったのだ。


 3ヶ月もあれば人間関係はある程度形成される。そこに新参者の入り込む余地などほとんど皆無と言っていいだろう。実際そうだった。

 入学式の日の事故は、俺が高校デビューに失敗した最たる要因なのである。


 とはいえ、それは俺個人の話であり、浅田さんの聞きたいこととは関係ないはずだ。微妙な空気になる前に、こちらから問い返すとしよう。


「入学式で何かあったのか?」


「違う」


 ……違うらしい。いや違うのかよ。

 だが、この口数の少ない少女がわざわざ口にするということは、何か特別な意味があるのだろう。


 人の記憶は一度忘れてしまったとしても、情報自体は脳に残り続けると聞いたことがある。ならば、まだ遡及可能なはずだ。


 思い出せ。昨年の4月1日に起こったできごとを。


 灰色の脳細胞を総動員し、記憶を辿り、過去を想起し、情報を局限し、答えを手繰り寄せる。


「(あぁ、そういえば)」


 祝日にはなっていないものの、世界的に有名な文化の存在を思い出す。

 明確な起源を持たず、意味も定かでは無いにも拘らず、毎年4月1日にそれは行われる。


 そう、エイプリールフールである。


「誰かに嘘でもつかれたのか?」


「違う」


 浅田さんはさっきと同じ口調で、しかし心なしかムッとしながら否定する。


「……嘘つきは私、だから」


「……さ、さいですか」


 もしや地雷を踏んでしまっただろうか。

 どうもこれ以上踏み込むのは、より事態を悪化させる結果に終わりそうだ。もう考えるのも面倒くさくなってきたし、早い内に白旗を振っておこう。


「分からん、降参だ」


 浅田さんは歩みを止め、振り向き、語る。


「去年の4月1日。桜華(おうか)市内のとある交差点で、トラックと一人の高校生が接触事故を起こした」


 心臓が跳ね上がる。


 もしや、と思った。


 まさか、と驚愕した。


 俺はあの日轢かれそうになった少女の顔をはっきりとは見ていない。あれから一年以上経っていることもあり、記憶に残る少女の顔は随分と朧げだ。

 ただ、意識が途切れる間際に見た、逃げるように遠ざかる少女の背中だけは妙にはっきりと覚えていた。


 その少女が浅田さんなのだろうか。


 だが、事故のことは地方新聞の隅っこに小さくとはいえ掲載されていた。誰が知っていてもおかしくはない。ここで断定するのは早計もいい所だろう。


 勘違いして自分語りなんてキモいだけだ。


 俺は動揺を悟られぬよう努めて平静を保つ。

 そして歩調を乱さず、表情を変えず、間を開けることなく、かつ自然体で返答する。


「あぁ。そういえばそんな間抜けがいたみたいだな」


 我ながら上手く感情抑制できたと思う。

 実際、本当に間抜けだったと思っているしな。

 だが、浅田さんはフルフルと首を横に振った。


「……マヌケは私」


「はぁ。何を言って……?」


「ずっと、心苦しく思ってた。あの日、逃げてしまったこと。血だらけで倒れてたから、死んでしまったと思ってた。だから、学校であなたを見つけた時、すごく驚いた」


 浅田さんは独白する。


「……ごめんなさい。私が、私のせいで」


 それは初めて見せた人間らしい感情の発露。


「あなたを独りにしたのは私」


 悲痛に悲哀に歪んだ瞳で、浅田さんは懺悔でもするかのようにたどたどしく告げる。


「……ごめん、なさい」


 表情は相変わらず愛想の欠片もない。だが、漏れ出る言葉には確かに後悔が含まれていた。




 ――もう終わったことだ。




 そう紡ごうとして、すんでのところでやめる。


 謝罪の言葉を口にされた。

 申し訳なさそうに頭を下げられた。

 悪いのは全部自分なのだと、そう言われた。


 果たして、自分は怒っているのだろうか。

 俺は――陰宮(かげみや) 結莉(ゆうり)は自らに問いかける。


 高校デビューに失敗した最たる要因は間違いなくあの事故だ。

 だが、あの日事故に遭わず恙なく入学式を迎えられたとして、今頃は友達たくさん青春謳歌のリア充ライフを送ることができていたのだろうか。


 答えはきっと否である。なんだかんだと孤立して今と同じような結末を辿っていたに違いない。そう、どちらにせよ所詮そんなものは仮定に過ぎない。


 時は過ぎ去り、全ては後の祭り。


 残されたのは俺と浅田さんが会話をしているという現在、そしてこれから訪れるだろう未来のみである。


「事故があろうとなかろうと、どのみち俺は孤立していた。それは俺自身の問題だし、遅いか早いかの問題だ。だから、浅田さんが気にするようなことは何もない。そういうのは――もうやめろ」


「でも――」


 でも、何なのか。


 ふと、浅田さんの姿が脳裏にチラつく。

 まるで他人からの関わりを拒絶するように、一人静かに本を読み耽る。いつも隅で主張することなく佇み、誰かと楽しそうに談笑している様子は見たことがない。


 それはもしかすると孤立することで自らを罰しているつもりなのかもしれなかった。だとしたら勘違いも甚だしい。そんな自罰はどこまでいっても独り善がりの自己満足でしかないのだ。


 だから、『でも』の続きを言わせるつもりはない。


「――それでも気が治らないって言うんなら、俺と友達になってくれないか」


 時計の針は巻き戻せど、失せた時までは戻らない。


 だが、俺達にはまだ現在と未来がある。

 未来はあまりに遠く不明瞭で考えただけでも鬱になるが、手始めに現状を変える努力をするのは悪くないだろう。


 浅田さんは理解しかねるように凝然と立ち尽くしていた。僅かに見開いた目蓋から察するに驚いているらしい。


「……許して、くれるの?」


「許すもなにも、初めから恨んでないし怒ってもいない。こうして話す機会がなければ忘れたままだっただろうな。だから気にしてないってのは本当だ」


「……分かった。それであなたが救われるなら」


 あくまでも償いというスタンスらしい。


「……まぁ、それでもいいか。初めの内は」


「初め?」


「なんでもない。これからよろしく頼む」


「……うん。こちらこそ、よろしく」


 浅田さんは相変わらずの仏頂面で、だが不器用にほんのりと微笑んでみせる。


 ――窓辺から差し込む斜陽に照らされて柔らかにはにかむ姿は一枚の絵画のようで。


 今この瞬間を切り取って永遠に飾っておけたならと、不覚にもそんなことを思ってしまう。




 思えば、目が合ったのはこれが初めてだ。




 いつも俯きがちで本ばかりを見つめている浅田さんの瞳が、今ばかりは眼鏡のレンズの向こうから見上げるようにして俺を見つめている。


 その時、何かが噛み合った。


 ひとつ孤独に空転する歯車が、別の歯車と隣り合って動き出すような、そんな感覚。なにかが動き出す予感がする。


 このままずっと変わらないままだと諦めていた。今更変えることはできないのだと受け入れていた。

 だが、終わってしまったはずの物語は懲りもせずプロローグを描き始めたようだった。


 俺達は図書室へ向かい、どちらともなく歩み出す。


 相変わらず会話らしい会話はなく、歩調もてんでバラバラだったが、半歩だけ縮まった距離感が俺と彼女の新たな関係性を表している。


 廊下を吹き抜ける秋風は、日も落ちようとしているにもかかわらず、まだほんの少し暖かさを残しているような気がした。








   ▽






 高校二年の秋。


 出会いの季節と呼ぶには似合わないこの時期、俺と無愛想なクラスメイトの間にはささやかな友情が成立したのである。






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