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① 魔女


 固いベッドの上からもぞもぞと起き上がり、寝ぼけ眼を擦る。

 お世辞にも目覚めが良いとは言えなかった。昨日の疲れがまだ残っているし、久々に話した勇者の言葉が胸の内に圧し掛かっているような気がした。


 正直、俺も焦ってはいる。

 この世界で生を授けてから既に十九年が過ぎた。身売りをして金を稼ぐにしても、言わば俺は自身の若さを糧に稼いでいる訳で。


 あと十年も経てば若さもなくなり、買い手も減るのだろう。

 と言うより前世の年齢を加算するともう五十代である。


 将来的な不安を感じていないかと言われたら頷くしかなく、それでも行動的に何かをする気力も起こらず目が覚めたと言うのに俺は、再び布団を被り寝床に就くのだった。

 

 身売りで稼いでいる身だが、俺は何も娼館で働いている訳ではない。

 確かに元々働いてはいたが、冒険者の中でも一際異質で煙たがられていたカフによる問題行動や意地の悪い魔女による裏工作によってクビを言い渡されていた。


 それに追い打ちを掛けるように魔王が勇者に殺された事で、今では何処の労働力も飽和状態だ。

 魔族狩りや国々の防衛に精を出していた兵士、また冒険者や傭兵の多くが雇い先より解雇を言い渡され、多くの者が路頭に迷っている。


 魔王が死んで世界が平和になったと言うのに、それでも一定数の人間は勇者の事を恨んでいると言うのが現状だ。


 兎にも角にも何が言いたいかというと、俺がこうして仕事に炙れ身売りで銭を稼いでいるのも仕方のない事だろうと。

 そう自分の事を納得させようと躍起になるも、今の俺が無気力で怠惰なのは事実である。


 初めから可能性を否定しに掛かっているから、自分は何も出来ないのだと布団に入りながら自己否定の数々。

 軽く鬱状態に入り気分も沈んでいると、ふと頭上から視線を感じた。


 この部屋には俺一人しか居ない筈だ。

 ただの気のせいだろうと、それでも何気なく顔を上げるとまず初めに濃い青色の長い髪が目に入って。


「もう昼時だよ。そろそろ起きた方が良い、アイン」

「……あ? ベート?」


 頭上には、先程まで影すら見えなかった知り合いの端正な顔があった。

 髪の色と同じような群青色の瞳で真っ直ぐと見据えられる。フード付きの何の柄もない、無地の白い外套を身に纏い温和な笑みを浮かべる様は聖職者のように見えなくもない。


 実際に世間は彼女の事を、古くから世界を支えて来た救世主であると崇めていた。

 勇者が生まれる以前、魔王による侵略が最も酷かった六十年前から人々にそれに対抗し得る英知を授けた偉大なる魔女。


 彼女が居なければ勇者が生まれる前に世界は滅んでいたと、それこそ魔術学院の教科書にも載るような人物である。

 しかしその実態は、血に酔うカフと同程度には悪質であった。


「全く、こんなにぐうたらと……仕事くらい見付けると良い。君に合う仕事が見付かるかもよ? 例えばそう、私のお婿さんとか」

「永久就職は嫌だ。あんたと一緒になるくらいなら別の仕事頑張って探す」

「はは、面白い事言うね。君のような楽しいオモチャ――じゃなくて、素敵な男の子逃がす訳ないじゃないか」


 悪意のない、好奇心に満ち溢れたその笑みにげんなりとする。

 外見からものを言えば年齢も俺とそう大差ないように見えるものの、彼女は何百年と生きて来た不老の魔女だ。


 とは言えそう何百年と生きていると刺激に飢え、故にベートと言うこの魔女は自身を愉しませてくれるものこそを好む。

 そんな好奇心の赴くままに生きる彼女の興味は今、何故か俺に向けられていた。


 ベート曰く「昔は希望に溢れていたのに世界の厳しさを知って全てを諦めた男の子って可愛いよね」とのこと。

 本人が言うには当時授けた英知というのも、新種の属性魔術に危険性がないか試すべく人に教授して、たまたま人を救う結果に繋がったと言うだけらしい。


 この何百年もの間に魔術の試験体、或いは実験体に用いられた人間の多くが彼女の手に掛けられており。

 言ってしまえば世間から英雄の一人として崇められているベートの正体は、好奇心の怪物である。


「それで、何しに来たんだよ」

「どうせ君、日中は暇しているだろう? デートでもどうかなって」

「嫌だね。今日は何もしないって決めたんだ。それに付いて行ったら最後、何をされるか――」

「これでどうかな」


 そう口にする彼女の手には、昨日カフに支払われた数に及ぶ紙幣が握られていた。


 

※※※※※※※※※


「こうして君と一緒に居ると、勇者と一緒に旅をしていた頃を思い出すよ」

「そりゃどうも」


 昼時の街中は労働者と落伍者の多くで溢れ返っていた。

 幾らこの街が王国の一部であるとは言え、王都のような華やかさはなく煙の滲む灰色の空と崩れそうな建造物の数々で構成されており、少し歩けば路地裏から怒号が聞こえる始末である。


 魔王討伐に伴い組合の需要が激減した結果、栄光の象徴である王国も最近では治安が良くない。

 王都は比較的平和であるが、国の中心から外れたような街では盗みや暴行が横行しつつある。


 夜に男が出歩けば攫って下さいと言っているようなもので、実際に俺も何回か攫われそうになった経験があった。

 娼館と違い、護衛なんて居ない。故に夜、客探しに出歩く際はかなり気を使っている。


 と言っても、最近では買い手の殆どがカフだ。

 やけに執着して来る彼女は幸い金払いが良く、行為中に暴力的な事に目を瞑れば上客と口にしても構わない。


「それで。本当にデートだけで良いのか」

「そうだね。気が向けば、これだけで済むかもね」


 そう言うベートの群青色の瞳には、理知的でない獣欲が滲んでいた。

 彼女とは何度か肌を重ね合わせた事がある。最近では部屋に訪問する機会も少なくなっていたが、一昔前は一週間に三回のペースで部屋の扉をノックされていたのだ。


 その点で言えば彼女も上客の一人ではある。

 カフと違い暴力を振るわれる事は滅多にないが、それでも時に何処ぞの人狼のように印を付けて来る事があった。


 そう言えば、彼女が印を付けて来たのは大体別の相手と行為に及んだ後の事だったか――。

 

 そこまで考えた辺りで不意に、首にひんやりと冷たい感触が伝わった。

 ぎょっとして隣に顔を向けると、足を止めたベートが能面のような無表情でこちらを見据えているのが視界に映る。


 先程までの温和な笑みは消え、異質な雰囲気を纏うこれこそが彼女の本当の顔なのだろう。

 その冷たい手の平も相まって、目の前に居る彼女は死人なのではないかと錯覚させられる。


 周りの音も何処か遠い所にあり、危機的本能からだろうか。

 俺の意識の全てが、瞳孔を窄める彼女一人に集中するようになった。


「へぇ、君はキスマークを付けながら別の女と歩く趣味があるんだね」

「……仕事の内だ。生きる為には稼ぐ必要がある、お前だって俺が何をしているか判っているだろう」

「ああ。それでも我慢ならないんだ。だから、もう我慢しない事にするよ」


 グイ、と強引に腕を引き寄せられる。

 こちらの制止する声も聞かず人混みを掻き分け、その足は人気がなく薄汚れた路地裏に辿り着くと同時に止まった。


 本性を露わにした彼女がこれから何をするのか、大体想像が付く。

 瞳に込められた仄暗い感情。何故、周りの人間は俺にこのような目を向けるのか。


 執着や束縛の込められた視線を向けられると、俺を見下ろす琥珀色の瞳を思い出して仕方がない。


「待って、俺が悪かった。ほら、何もこんな所でする必要ないじゃないか。するなら宿に戻って――」


 必死に紡ぐその言葉は、俺の首に掛けられた彼女の冷たい手によって遮られた。

 首を絞められている、と気付いたのは息苦しさを覚えた後だった。


「君は執着されたり束縛される事を厭う。その原因にも私は理解を示しているけどね、何も理解しているからと言って我慢が効く訳ではないんだ」

「一刻も早く君の身体を、意識を、その全てを諦めた瞳を私のものにしたい衝動に駆られるんだよ。何故だろうね、本当に気になるこの思いが何なのか。憎しみでもなく、きっと恋慕ともまた異なるものなんだろう。数百年と生きて来たがこんな思いは初めてだ。ああ、気になって仕方がない――!」


 興奮気味に捲し立てる彼女の目に、最早理性と呼べるものはない。


 ――怖い。恐ろしい。

 そのような感情のみが胸中を覆い尽くす。これ以上は本当に殺されかねない。


 必死に抵抗するも彼女の力が緩む事はなく、寧ろ強まって行くばかりだった。

 生きたい、と言う自身の生存本能に従うように、半ば無意識の内に俺は自身の手の平に”一本の短刀”を顕現させた。


 そうして彼女目掛け振るう直前だった。

 ベートが、不意に横へと吹き飛んだのは。


「いや、危なかったね。大丈夫かい? アレン」


 息も絶え絶えに、酸素不足と涙で滲んだ己の視界に映ったのは。

 こちらに紅い瞳を向ける、黒いロングコートを身に纏ったカフの存在だった。

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[一言] 遅れましたが更新お疲れ様です! どれだけ遅くてもかまいません!我々は待ち続けますので自分のペースで投稿してください!応援してます!
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