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プロローグ:このクソみたいな世界

 柑橘類の爽やかな香りでも隠し切れない程に、鼻に突くような臭いが部屋に充満している。

 酷く身体が怠かった。それこそ指一歩動かす事すら気力を必要とするくらいに。

 頭も昨日無理に酒を呑まされたお陰か、鼓動が脈打つ度にガツンと響くような痛みに襲われ、吐き気すらある。喉の焼け付くような感覚もあるせいで、声すら出せない。


 しんどい。

 もう二度と『貸し出し』なんて許すものか――等と悪態を吐くも、俺みたいな搾取される側の人間が大金を得るには、何かを犠牲にしなければならない。


 不意に窓を覆っていた厚い布が捲られ、朝日が差し込んで来る。

 暗い部屋の中で一晩を過ごしたのだ。突然差し込んで来た朝日は強烈に見え、一瞬視界全体が白くなるような眩さがあった。


「ああ、ごめんね。眩しかったかな」

「……いや、大丈夫」


 この部屋に彼女と入ったのが、昨日の夕刻頃だ。

 朝日が昇っているあたり、半日ほど俺は目の前の彼女と文字通り"繋がっていた"のか。気力を振り絞り視線を変えると、床や机に転がる酒瓶、ベッドの上に散らばる錠剤と――綺麗に整った顔立ちの、彼女が見えた。


「おはよう。良い朝だねアイン」

「はぁ、まあ。おはようございますカフ」


 名前を呼ばれた彼女は下着姿であり、惜しげもなくその白い肌を晒していた。

 スタイルの良い体躯に白い肌、銀色の長髪も相まって一見すれば何処か儚げな印象を抱かせるが、実際の所は人の生き血を啜り続けるような狂人だ。


 人間離れした赤い瞳が彼女の異常性を物語っているし、特級冒険者としての資格を持つものの手に掛けた相手は魔族よりも人間の方が多いのだろう。

 

「いやぁ、でも助かったよ。発情期で本当に辛かったんだ」

「そりゃどうも。ただ今度からはもう少しお手柔らかにお願いしますね。身の危険を感じたんで」


 余程上機嫌なのだろう。皮肉気に口にした言葉を彼女は気に留める様子もなく、上機嫌に長髪と同じ銀色の尻尾をぶんぶんと振り回している。

 この通り彼女は人間ではなく、人狼(ウェアウルフ)と言われる獣人族に部類する存在。


 気力を振り絞り、自分の腕を持ち上げれば歯形やら引っ掻き傷が見えた。この分だと首や胸なんかにも行為中に彼女に傷付けられた痕があるだろう。実際に痛いし。

 彼女は獣人である。故に周期的に発情期が訪れる事もあるし、この頃になると血の気が多くなる事も知っていた。


「ごめんね、痛いだろうに」

「それじゃあ、今度から歯やら爪やら立てないようにして下さいよ」

「いやぁ、無理かなぁ。これやると、ボクが君に消えない印を付けたんだって凄い興奮するんだ」

「重い……」


 独占欲が刺激されるのだろうか。

 正直に言うと文字通り身体を売って生計を立てているこちらにとっては、痕を残されるのは迷惑である。


 しかし止めろと言って止めてくれる相手ではないし、寧ろ拒否すればする程にエスカレートするのは目に見えていた。抵抗される方が興奮するような破綻者なのだから。

 乱れたベッドの上で脱力している俺を他所に、彼女は身を整えると何時も着ている黒のロングコートを羽織る。


「それじゃあボクはもう行くよ、こう見えて多忙なんだ。お疲れ、また宜しくね」


 懐から取り出された札束を、カフは無造作に投げ捨てた。

 重力に従い、ひらりと数十枚の紙幣が舞い落ちる中、彼女は一度だけ踵を返しこちらを向く。


 人狼(ウェアウルフ)特有の血のように赤い瞳には、並みならぬ感情が込められてあるように見えた。

 

 それは執着と、支配欲。

 何も彼女とは一朝一夕の付き合いではない。目に込められてある感情を読み取れる程度には、この人狼の事を理解しているつもりだった。


「言っておくけど、ボクから逃げられるとは思わない事だ。もしも自由を求めようものなら、何処までも追い掛けてまた捕まえてやる」


 まるで呪詛のようにその言葉を吐き捨てると、彼女は扉を閉め部屋を後にするのだった。

 一人残される。怠い身体を起こし散らかった紙幣を集める中、自分の頭の中は酷く冷たかった。


 彼女と身体を重ねる度に、こちらの胸中を見透かされるように口にされるその言葉。

 この街から離れられる金は、一応それなりには溜まって来た。


 しかし、反対に思う事もあるのだ。

 この街から離れたその後、何をするべきなのか……自分に、何が出来るのか。

 札束を握り締めながら、窓の外にある灰色の空を見上げた。


 女尊男卑であるこの世界を生き残るのは、そう楽じゃない。



※※※※※※※※※


 一昔前までは、男は女に跪くべきと言うのがセオリーであった。

 尤もこの世界における魔王が討伐され、平和が齎された際にはそんな思想も改善されつつあるが、それでも未だこの世界における男性の価値は低い。


 今に至るまでに多くの功績を残した女傑らの活躍、女王による統治、魔女による文明開化等多くあるが、その中でも女尊男卑の大きな原因として挙げられるのは『祝福』の存在だ。

 生れ付き人が持ち得る神からの恩恵であり、有り体に言うのであれば一種の才能のようなものか。


 剣技の祝福を持って生まれた者は、努力せずとも良い騎士になる。

 魔術の祝福を持つ者は腕の良い魔術師或いは魔女に育つと。

 

 ただこの祝福、やけに女性が贔屓されているのだ。

 最早偶然の一言で済まして良いものか、女性と比べ男性の祝福は実用性に欠けるようなものばかりで、そもそも祝福がなく生まれる存在も中には居る。


 そうなると男性の価値が下がるのも仕方ないし、神秘を重んじる宗教国家辺りは未だに男性を蔑ろに扱っているのが多い。

 と言うより宗教国家となると男性に人権があるのかどうかすら疑わしい。連中は神秘を重んじるが故に、良い祝福を全く受けられない男性を邪険に扱うのだから。


 そう考えると自分の住むこの王国は男にとって住み心地が良いのではなかろうか。尤も、俺の住む町は王国の中でもトップクラスに治安が悪いが。


 故に現時点においては、この街を離れ王国のもっと良い所に住む事が最終目標になっている。


 ただカフの執着を考慮すると、それもきっと難しいのだろう。

 それにこの街を離れた所で、金を稼ぐ為にきっと今と同じ事を繰り返すに違いない。

 逡巡の末に結局は、現状維持の言葉が頭の中に浮かび上がる。

 

 既に周りには夜の帳が下りていて、カフと別れた後は何をするでもなくゴロゴロと宿で自堕落に過ごしていた。

 

 正直言うと、それでも未だに疲労感は残る。

 そもそもの話、半日丸ごと相手に身体を預ける『貸し出し』自体が疲労の溜まるものだ。その相手が発情期中の人狼であれば、当然疲労も倍増しである。


 それでも半日あの狂人に付き合ったお陰で、懐はこの街を離れる為の資金を差し置いても贅沢出来るくらいには潤っていた。

 

 久し振りにちゃんとした酒を呑みたい。無理矢理に呑まされるのじゃなくて。

 なんて疲れた身体に鞭打ち歩いていれば、知人の顔が見えて思わず足を止めてしまう。


「あ……奇遇だね、アイン。久し振り」

「誰かと思えば、何で()()様がこんな路地裏なんかに」

「……余所余所しいなぁ。勇者である以前に、幼馴染でしょうに。ここに居るのはまあ、野暮用で寄ったと言うか。ついでにアインにも会っておこうって」

「そう。まあこんな所で立ち話もなんだし、家寄ってく?」

「こんな時間に軽々しく……まあ、行くけどさ」


 王国の治安の悪い、それも裏路地には似付かわしくない白銀の甲冑を身に纏った乙女――それが昔、同じ村で育ったラメドと言う幼馴染であり。この世の魔王を殺したとされる勇者であった。

 肩口にまで伸びた金色の髪も白い肌も汚れを知らず、まさに純潔との言葉が彼女には相応しいのだろう。

 

 住処である裏路地のぼろ宿の一室にラメドを招き入れる。

 歩くと軋む音が聞こえる程に床板は傷んでおり、部屋の中も散らかっていないものの必要最低限の家具しかなく、その廃墟のような光景に彼女も僅かに顔を顰めていた。


「それで、何か言いたい事があるんだろ」

「あは、バレた?」


 幾ら魔王が死んだからと言って、勇者は未だ多忙の身である。魔族の残党狩りに加え貴族との付き合い、最近では魔族の被害に遭った国々の復興にも手助けしていた。

 その多忙の中、野暮用で近くに来たとは言えこんな夜中に尋ねて来たのだ。何かあるのかと疑問に思うのが自然だろう。


 互いに部屋の中央にある椅子に座り、テーブルを挟んで対面する。

 彼女の表情は、いつになく真剣だった。


「じゃあ本題に入るね。アイン、ちゃんとした仕事に就こう」


 片や勇者、片や男娼まがいの男。

 最早前のように気軽に言葉を交わせるような間柄ではなく、故にこちらから一方的に距離を取ったものの彼女は未だ幼馴染として俺の事を案じてくれているのだろう。


 まるで宝石のような碧眼に見据えられ、思わず言葉を詰まらせる。

 正直、彼女の言い分もわかる。お互いの立場が逆だったら、きっと俺も同じ事を言うから。


「辞めて、どうするんだ。生きていくには金が要る」

「今知り合いの貴族が執事を探してるって。いい子だし、きっと変な事もされないと思う」

「その人は俺が今、何で生計を立てているのか知ってるのか?」

「知らないけど……多分、理解してくれるかもだし」


 何度も言う通り、この世界における男性の立場は低い。

 先進国である王国と言えど、未だ女尊男卑の概念は完全に拭えていないのだ。そんな中、身売りで生計を立てていた男を執事に迎え入れるなんて貴族にとって恥でしかないだろう。


 仮に身分を隠そうとしても、バレた際には良くてクビ。

 悪くて牢獄行き……場合によっては秘密裏に処刑される事だってあり得る。


 新しい働き口が見付かる分には万々歳だが、それでもなるべくデメリットが高いような事は避けたいと言うのが本音だ。

 尤もこう言った保守的な言動が、このような落ちぶれた結果を齎したのだろう。


 前はこうじゃなかった、なんて免罪符にすらならない。ただの言い訳だ。


「……それじゃあさ、一緒に住まない? アイン。君くらい養えるお金あるし」


 ラメドのその言葉に、思考が止まった。

 半ば反射的に顔を上げると、白い肌のせいかやけに大げさに赤く映る彼女の顔が見える。


 ――今までに、自分の生き方の事で彼女に突っ込まれた事は幾つかあった。

 しかしこのような幼馴染の顔は見た事がない。魔物と戦う際の凛とした表情、好きな食べ物を口にした時の腑抜けた顔、死者を悼む悲哀に満ちた瞳。


 これら全てはかつて村で共に育ち、共に彼女と()()()()大事な記憶だ。


「どうして、そこまでするんだ」

「それは……幼馴染、だから」


 逡巡した後に絞り出された声は、酷く震えていた。

 魔王を打倒した勇者にしては、酷く弱々しい声。


 彼女の言葉に隠された、本当の意味も理解している。

 しかしそれでも、彼女は世界を救った勇者だ。一時期、共に旅をした事があろうとも――彼女と俺との間には、埋める事の出来ない溝がある。


「そうか。気持ちは嬉しいよ、でも、勇者だろう。世界を救った英雄だ。一緒にはなれない」

「……そっか」


 俺の返答に対し、ラメドは薄い笑みを浮かべると立ち上がった。


 碧眼の瞳は俺の事を見下ろしており、気のせいだろうか。

 普段透き通っている筈のその瞳に、カフが向けるような執着心にも似た感情が宿っている気がするのは。


「まだ、囚われているんだね。ごめんね」

「……え?」

「いや、何でもないよ。聞きたかったこと聞けたし、今日はもう帰るよ。おやすみ」

「もう帰るのか。お茶くらい出させてくれ」

「大丈夫。と言うより、こんな時間に女の子を家に上がらせる方が問題でしょ。全く、昔からこんなんだから心配なんだ」


 彼女は身を翻し、最後にひらひらと手を振ると外に出て行った。

 一人残され、椅子に座ったまま天井を仰ぎ見る。


 思い浮かべるのは過去の記憶。

 おそらく自分の人生の中で、一番輝いていた時期だ。想起し、記憶が新しいものになって行くにつれ徐々に血と暗闇の色に染まっていく。


 腐臭漂う牢獄の中、押し倒される俺を愉快気に見下ろす蜂蜜を溶かしたような琥珀色の瞳。

 そこまで思い出した辺りで、吐き気を覚えた。未だあの時の記憶は拭う事が出来ていない。


「昔の俺が、今の俺を見たら泣くのかね」


 そう言えば酒も買ってないと。 

 殺風景な部屋の中一人、思わずため息を零した。


 

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― 新着の感想 ―
[一言] お見事です。 被虐嗜好の人間には垂涎のお話ですね。 続き、楽しみにしております。
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