08. 先にアクションを起こすのは反則なのですか?
細かく収支が記載された内容には、ざっと目を通したところ、不自然な箇所は見当たりませんでした。最近はドレスや宝飾品への支払いが増えていますが、それって、私のせいですわよね。きっと。
なにせ伯爵様の花嫁は、晴れ着のドレスも持っていないような貧乏男爵の娘ですので。
伯爵さまはホルベイン家の内情にもお詳しくていらっしゃる。だから持参金は要らないっておっしゃたのだし、反対に結納品だとドレスやら馬車を用意してくださり、ホルベイン家の家族にも贈り物をくださった。手厚い援助、温情をありがとうございます。どれだけ助かったことか。
だからワケアリの縁談で、夫となる伯爵様もワケアリな人物でもいいわって思ったわよ。どーせ当世、貴族の娘にとって、結婚なんて伸るか反るかの、人生を掛けた賭けみたいなものですもの。
花婿ガチャ、当たれば3食昼寝付きの贅沢三昧の花道。ハズレたらダンナの浮気の後始末に、家の体裁整えつつ、領地経営の切り盛りワンオペ、借金返済と育児に追われる日々が待っているのよ。そこは割り切っているから、夢見ていないもの。
ん。真珠のネックレス……あら、これって、私のために伯爵様があつらえた――ってマルゴが言っていた、アレかしらね。
ヒッ! 噓でしょ、家が建つような金額じゃん!
見なかったことにしておこう……。私は、勢いよく帳簿を閉じました。
う~ん。
こう見えても私、実家では母の手伝いで帳簿も付けていたので、収益とか費用とかのお金の流れはわかるのです。わからないフリしてごめんなさいね、リヨン。なので不正収支があればピンときましてよ。帳簿に記載されている金額は、ホルベイン家とは桁が断然違います(当然!)が、これだけ大きなお屋敷を運営するともなれば妥当なものでしょう。大きなイベント(私たちの結婚の儀です!)もありますから、動く金額の桁が跳ね上がるのも当然だろうし。不自然なところは、これといって見当たりません。
まあ、そうですわよね。嫁に来たばかりの女に、いきなり不正な取引を記載した裏帳簿をみせる訳ありませんわよね。
でもレンブラント伯爵にまつわるあの噂が本当ならば、もっと、かなりの金額が動いているはずなのです。
やはり、それらはこの帳簿には抜けているとみたい。ならば、もうひとつ、表に出せない取引を記載した帳簿があるはずですわよね。
できれば署名入りの契約書や領収書、小切手控、などの動かぬ証拠になりそうな書類が見つかるのが一番なのですが。
あるとすれば伯爵様の執務室、もしくは寝室。鍵のかかる机の引き出しの中とか、本棚の裏の隠し扉の奥とか。人目につかないところよね。
執務室とか寝室に忍び込む手立てを考えなければならないかしら? 伯爵様不在は都合が良いけれど、私の側には常に侍女やら、専属の護衛騎士やら、小間使いのマルゴがくっついていて、おまけに教育係の家令リヨンにもそれとなく監視されている気がします。
婚儀まで「奥方様教育プログラム」がびっしりと組まれていて、単独行動がとれないのです。
あのお方の使者殿は、お式までは「お茶しているだけ」で暇を持て余すはず――とか申しておりましたが、とんでもございません。めっちゃ、ハードでしてよ。
大ウソつき――っ!!
なんとか手立てを考えなくては……。
なんて。
私、他のことに気を取られ過ぎておりました。リヨンが戻ってきていたことにも、すぐ後ろに立った気配さえ気付けなかったのです。
このエムリーヌ・ホルベインがですわよ!
「エムリーヌ様。早速帳簿をご覧になるなど、お勉強熱心で大変よろしいことではありますが……」
背後から伸びた手が、スッと、私の手から帳簿を取り上げたのです。驚いてバランスを崩した私の身体は、後方へと倒れ込み、素早く差し出されたリヨンの腕に支えられる格好となりました。
「許しも得ず、先にアクションを起こすのはいかがなものかと。相手の出方を見てから動くようにと、昨日お教えしたばかりですよ」
筋骨隆々と言った体型ではないのですが、精悍な身体付きの彼に抱え込まれてしまったら、腕の中から抜け出せません。こんな態勢で耳元で咎められても、カッと熱を上げた身体は、情けなくもフルフルと震えるだけ。
体術では横四方固めで抑え込まれたって、抜け出す方法は習得しているのに。
どうして動けないの。抜け出さないの。スカートが邪魔だから?
なんなの、なんなの、これっ! 身体が動かない。腰に回されたリヨンの指先がわずかに動いたのでさえ感知できるのに。
私の腰に回されたしなやかな腕を振り解くことができないのは、どうして?
心臓は鼓動を早めるばかりだし、じんわりと涙まであふれてきた。
泣きたい理由はなに?
やだ、こんなの……。
「は、放しなさい。家令が無礼でしょう」
「失礼いたしました」
そう言い終わったときには、リヨンの身体はするりと風のように離れていたのです。なにごともなかったように。
そこへ扉をノックする音が。おそらくマルゴでしょう。
まだ熱に染まったままの赤い頬をみられたくなくて、私はしばらく窓の方向を向いたままでおりました。
「エムこん」へご来訪、ありがとうございます。
大貴族の奥方様、実際にはかなりハードワークだったらしいです。これらの日常業務をこなしながら、子供を産み続けなければなりませんからね。育てるのは乳母や教育係いるので、ほぼ放置だったらしいですが。
昔は子供や乳幼児の死亡率が恐ろしく高かったので、後継ぎもひとりで良し、ということもなかったようです。悪い言い方ですが、スペアはいくつかあった方が安全。その辺の事情も、乳母システムの導入に関係があったかもしれない。母乳をあげている間は、妊娠しにくいという話を聞いたことがありますから。女性が後継ぎ生産マシンみたいで、悲しくなりますね。





