57. これって、マリッジブルーとかいう感情ですの?
でも……。
でも、不安で仕方ない。
こうしてあなたの腕の中にいると、幸せよ。いつまでも、こうしていて居たい。モリスに守られているって思えて安心するんですもの。
でも、同じくらい不安で切なくなるの。本当にこれでいいのかしら?――って。
これは現実なのかしら、って。
閣下も言っていた。貴族の娘の結婚に、感情は反映されないって。家同士の契約ですもの。ホルベイン村の粉屋の娘の結婚とはわけが違う。
たぶん……ううん絶対、私の結婚ガチャは身分不相応くらい良い良人を引いたんだ――って、そのくらいはわかっている。だから不安になるのかしら?
泣きそうだわ。
肌をすべる彼の指先が、こんなにも熱を呼び覚ますのに。
なにかが揺れて、不穏な音色を聞かせるの。
どうすればいいの?このまま闇に堕ちていけばいいのかしら。
あなたの吐息の導きのままに。
欲の支配する世界に。
唇が離れると、ぴったりと寄り添っていたモリスの胸板をそっと押し返す。
「あなたのことを愛していますわ。でも、この結婚少し考えさせてくださいませ」
モリスは静かに私のわがままを受け入れてくれたのですが、のちにイサゴから得た情報によれば、しばらく誰にも悟られぬように、こっそり落ち込んでいたという話でした。
ごめんなさいませね。
意識が戻ったからといってすぐにベッドを抜け出せる状態ではなく、体力が回復するまでは、とにかく絶対安静を医師から託りました。
落馬の際に頭から落ちなかったのと、デヴィがすぐに騎乗者の落馬に気づいたので、蹴られるだとか手足を踏まれるなどの事故にも巻き込まれなかったので、あの世行きにならずに済んだようです。ですが全身に負った強度の打撲は時間が経つにつれ痛みが増してきますし、身体中に腫れやら内出血の青あざやらと、とても初夜をむかえる花嫁なんてお役を果たせる状態ではなくなりました。
同時に、将来の侯爵夫人にこれ以上なにかあったらといけないという絶対安静策が取られ、ほぼベッドに縛り付け状態。動きたくても、動けないってば!
それでも私がじっとしているのが苦手な性分なのを熟知しているモリスは、マルゴやペラジィ、ロラ、さらにドニまで動員して、常に誰かが私を見張っているという、完全監視体制を敷いたのです。ご自身まで、多忙の中あれこれ見舞いの品を持って部屋を訪れてくださるので、それはそれで楽しみにしていたのですが。
「お仕事は大丈夫なんですの?」
「エムはわたしの顔を見るのは不快ですか?」
そんなことあるわけないでしょ!本人も解っていて訊いてくるんだから。宮廷育ちの色男は、これだから。ああ、もう!
(宰相閣下がモリスにミレジーム夫人を口説けと言った意味がわかったわ!)
悔しいから、ぷぅっと頬を膨らませる。こら、嬉しそうな顔をして私を抱き寄せるのは反則ですよ。レンブラント侯爵。
あのガランダッシュ宰相閣下も、王都へ戻る前に、見舞いに来てくださりました。表情は、例の基本形です。でもその手に持ってきたのが、赤いコクリコの花とレモンクリームをいっぱい詰めた甘酸っぱいタルトだったのが妙にツボっちゃって、笑いが止まらなくなってしまいました。
「養女や。順調に回復に向かっているようで結構。ほれ、見舞いの品じゃ。早う良くなれ。そなたはレンブラントの花嫁じゃぞ」
「養父上さま、いい加減養女の名前を憶えてくださいませ」
「知っとるわい、エムリーヌじゃろう」
承知しているのならば、そう呼んでくださればいいのに。養父が言ったとおり、国王陛下ががんばってくださったおかげで、私がガランダッシュ侯爵令嬢になる許可はあっさり下りました。もちろんモリスとの結婚許可も、貴族院議会の承認はセットで通過。
こんなにすんなり申請が通るのは、陛下のがんばりだけではなく、養父のゴリ押しという圧力があったに違いないと踏んでおりますのよ。
――と。
そこまでは宰相閣下の思惑通り順調に事が運んだのに、土壇場で肝心の花嫁がゴネ出したので、狡獪な策略家も頭を抱えているという次第。ざまあ。世の中そんなに思い通りにはいかないものなのよ、養父上。我が旦那様。
心の中でほくそ笑みながら、マルゴに取り分けてもらったタルトをさっそくパクつく私。
「そなたは健啖家じゃのう」
「ええ。せっかくの養父上の差し入れですもの、美味しくいただかねば。それに食べねば、治りませんもの」
こんな無愛嬌な顔でも(失礼!)養女の容態の心配はしていらっしゃるらしく、この前はいちごをたくさん持って来てくださいましたの。
「次は果物入りの焼き菓子にでもしようかのう」
親子の縁を結んでから知ったのですが、閣下は存外世話焼きな性分らしいのです。モリスと私を結婚させたいのも、ご自分の打ち立てた政治劇のシナリオ遂行目的だけではないような気がしてきました。
それでも宰相として国家を守るというお仕事は放棄するつもりもない様子で、王妃様の元への出仕は予定どうり準備を進めているのだそうです。譲れないところは、とことん譲らないのは養父の気性なのでしょうね。
どんな方なのでしょう、ニネット・オドレ王妃様。そういえば出仕話も、例のミレジーム夫人への牽制もあるのですが、王妃様に年齢の近い友人がいないことを心配していた節もございましたわよね。話し相手になれば……とか、ぽろっと洩らしていましたもの。
「そなたにも知らせておかねばならないの。ジョリイ伯爵の逮捕状が取れそうじゃ。そなたとキャンデルの証言が有力な決め手となったわ。まずは勝手にこの爺の名を騙った偽証罪で拘留して、そののち彼奴の裏にいる指令役の名を引き出してくれようぞ!」
「お役に立てたのでしたら、幸いですわ」
「まだよ! そなたがレンブラントと結婚してたくさん子を産んで、儂は面倒臭い政務を全部そなたの良人に押し付けて政界を円満引退。その後、孫に囲まれて幸せなお爺さま生活をするまでだ!」
う~ん、それは。
ちょっと、わからないですわよ。辺境騎士団なんて雑居なところに居ましたから、どうすれば子供ができるかは聴き知っています(余計なことを教えてくれる先輩が多すぎて!)が、青あざだらけの身体では、ねぇ。
しかし。冷血宰相とまで言われたボドワン・ガランダッシュが、こんな人生設計を立てていたとは!
誰も想像していないでしょうねぇ。
「この爺には、家族が無いのでな。まだ子供の頃に、領地が海賊の襲撃に遭うての。両親は殺されてしまったよ。弟がひとり居ったのじゃが、人攫いにさらわれて、海賊に海の向こうへ連れていかれてしまった。生きているやら、何処にいるやらもわからん。それから儂はずっとひとり、天涯孤独の身となった。気が付けば、60余年時間が過ぎていての。
――けれど。そなたを養女にしたときに少しだけ夢を見たのよ、かわいい赤子を抱けるかもしれんとな」
やだ。こういう話、弱いのよぉぉぉ。
翌日、宰相閣下は予定どおり王都トリングへの帰路につきました。これ以上王都を留守にするのは心配でならない、と申しまして。決済しなければならない書類も、だいぶ溜まってしまったようですし。
なにより人身売買組織殲滅のため、まだやらねばならない仕事が残っていると鼻息を荒くしていましたし。がんばれ、養父上!
私はまだベッドから動けませんからお見送りは遠慮させていただいたのですが、回復したらすぐに王都へ来るように、と固く約束させられました。はいはい。宮廷デビュー、次いで王妃様の元へ出仕せよ、っていうんでしょ。わかっていますってば!
パワフル宰相閣下ご一行の出立を見送ったモリスが、私の部屋へ顔を見せてくださいました。手には養父から預かったという、お菓子の包み。中には、果物入りの焼き菓子が。
養父上は、有言実行の人でした。
「エムこん」にご来訪、ありがとうございます。
すみません、また一波乱。ガランダッシュ宰相タイフーンは去ったようですが、あと3回くらいでエンドマークつけられるかなぁ。(超不安!)





