55. 結婚は白紙に戻してくださいませ!
声がします。驚きと喜びが入り混じった、興奮した声。
この声は、マルゴ。そう、私付きの小間使いマルゴの声です。
ずいぶん慌てた声を出していますが、どうしたことでしょう。
「……リーヌ様、エムリーヌ様!お気が付かれましたか!よかった。
ああ、伯爵様にお知らせして参りますわ」
あの子にしては珍しく、スカートをひるがえして部屋を出ていきました。まだ若いとはいえ、れっきとした伯爵家の召し使いですから、礼儀作法はしっかり身についているはずなのに、今日は随分慌ただしいこと。
ん、今日は……って?
次第にはっきりしてくる視界に入ったのはベッドのワインの澱色の天蓋のカーテン、見覚えのあるマホガニー材の天井の梁、そのまま下へと視線を落とせばリーフモチーフの入ったグロゼイユ色の壁紙。
ああ、そうだわ。ここはレンブラント伯爵家の私の部屋、それもベッドの上だけど。
――そうよ! 決闘、あの後どうなったの?
私、不覚にも気を失ってしまったみたいで、途中までしか覚えてないっ!!
どちらも一歩も引かない互角の剣裁きで手に汗を握る大接戦だったのですが、ボンド港沖で海賊船2隻とその乗組員を全員捕まえたと言っておりましたから、欲目抜きにしてもモリスの方が優勢でしたわね。
それにあの場にはナムーラ隊長率いる傭兵連隊がおりましたし、国王正規軍にタビロ辺境騎士団の精鋭も駆けつけておりましたから、肩で息をしていた海賊の首領ハマフが逃げおおせたとは思えませんわ。ええ、そんなことモリスが絶対させないはずですわ!
そうこうしているうちに、部屋の外からざわざわとした空気が伝わって参りました。足音が聞こえて参ります。大股で、勇ましい足音はマルゴではありません。あれは、モリスね!
身体を起こすより先に、ドアが開けられました。
「エム! エムリーヌ!」
ふわりと金髪をなびかせて、モリスがこちらへ歩いて参ります。こんなに慌てているあなたを観るのは、初めてです。無事再会の喜びを伝える前に、私の身体はモリスに抱きしめられてしまいました。
え、早っ!
ドアからベッドまでの数メートルを、どうやって短縮して来たのよ!?――という私の戸惑いなど、モリスは全く無視するようです。ますます私を抱きしめる腕に力が籠って来たんですけど~~。
「3日も意識が戻らなくて、心配で私の方が死にそうでしたよ」
後ろでマルゴが激しく首を縦に振っているので、本当なのでしょう。
え、え、3日!?
私、そんなに意識不明でいたの。そりゃ、心配するわよね。落馬しているし、打ち所が悪ければ、そのままあの世行きってパターンも考えられるものね。
「ああ。もう大丈夫ですわ、モリス。私、死の淵から戻って参りましたもの」
「縁起でもないことを言わないでください」
そっとモリスの背に腕を回し抱きしめたら、黒い仮面の奥の彼の青い瞳が優しく揺れました。彼の長い指が、私の乱れたままの後れ毛をそっと整えて、そのまま口づけをしようとしたら、
「エム~! 目が覚めたんだってぇぇ~!」
パタパタという走る足音と、元気なドニの声が。急ぎ入室を阻もうとしたマルゴの手をすり抜けて、ドニは私のベッドまで走り抜けてきました。
「ずっと目が覚めなかったんだもん。みんなして心配していたんだよぉ。ね、伯爵様」
かわいい闖入者に困ったまま、モリスもうなずいています。ドニの元気な声を聞けるのはうれしいのですが、タ、タイミングぅぅ~。
ドニはそのままモリスと私の間に入り込み、交互に私たちの顔を見ては天真爛漫な笑顔を振りまき続け、空気を察したマルゴが呼んでも動こうとはしません。そこへベテラン侍女のペラジィがやってきて、
「まあ、ドニ。奥方様はまだ目覚めたばかりなのです。伯爵様と積もるお話もありますし、あなたがそこにいては休むこともできませんよ。さあ、あなたは階下で皆とおやつにいたしましょう。美味しいお菓子がありますよ」
そう言いながらむずがるドニを抱き上げると、私にだけわかるように小さなウィンクをして退出していきました。そのあとを追うように、マルゴも。
ふたりきりになった部屋は、急にシンと静まり返って、かえって気まずいんですけれど。
「小さなドニには、海賊たちに捕まったのがよほどショックで恐ろしい出来事だったのでしょう。さらにあなたが大ケガをして、目が覚めないまま。この3日間はずっと夜泣きが止まらなくて、食事も喉を通らない日々だったのです。マルゴも泣き通しで、私は彼らに責められ続けていましたよ」
「でも、モリスは悪くないでしょ。海賊退治はお役目なのですし、私たちを救いに来てくださったのですし……」
「ええ、まあ……。そうなのですが……」
なんとも歯切れの悪いお返事。不思議に思って問い詰めてみたら――。
自分の婚儀と館を、賊たちをおびき寄せる囮にしたんですってぇぇぇぇ!!
「おかげで作戦どおり、一網打尽にできましたよ」
「よ、ではありません!そのせいで、どれだけの方々が危ない目に合ったのか、おわかりになっていらっしゃるの?」
「これ以上、子供や若い女性たちが奴隷として売られないために、どうしても人身売買組織を壊滅させたかったのです」
「そのお心がけは立派です。でもだからって、非戦闘員である使用人や館の子供たち、招いたお客様方まで巻き込まなくたってよろしいのでは!?」
彼に意見するうちに、身体の内側から憤りを感じる気持ちが湧いてきました。
「ドニやマルゴを危険にさらすつもりも、あなたを矢面に立たせるつもりもなかったのですが、まさか要塞然とした旧館の外に出てくるとは。あのふたりの行動は計算外でしたが、あなたの正義感と実行力を読み切れていなかった。許してください」
違うッ!そういう問題じゃないよ!
残っていた力を振り絞り――3日も意識不明で体力がすっかり落ちていたので思いのほか重労働でしたが、モリスの身体を突き放しました。
「モリスなんか、大っ嫌い!!
あなたと結婚なんか致しませんからねっ!!」
怒りの衝動に任せて、子供みたいに、あっかんべぇまでしてやりました。はしたない?上等よ。
やい、レンブラント伯爵。国王陛下の信頼厚い重臣で、上流貴族だからって、やっていいことと悪いことがあるでしょ!
彼らは、皆、ご自分の領民でしょ。作戦ボードのコマじゃないわ。その尊い命を囮にして、ご自分の手柄を立てようなんて酷すぎる。これだから、上流貴族なんて輩は信用できないんだわ。やっていることは、ハマフ達とそんなに違わないじゃない!最ッ低!!
身分が違うと、感覚も感情も違うのね。やってられないわ!
「私、ホルベイン家へ帰ります!建て替えていただいた税金分のお金は、一生かかってもお返しいたしますわ。だから、この結婚は白紙に戻してくださいませ」
モリスにとって、あたしって、なんなの?
使い勝手の良いただのコマ?あの眼差しも、熱いキスも、あたしを思い通りに操るための方便だったの?
「おぼこ娘を手玉に取るのは、楽しかった?」
「怒りに任せて感情を暴走させるのは、エムの悪い癖ですよ」
ム・カ・つ・く~~!!どうせあたしは田舎娘で、宮廷の貴婦人方のように気の利いた優雅な会話なんてできませんよーだ。
薄い唇の端を持ち上げるその笑い方は、大っ嫌い。冷静を失わない美しく整ったお顔は、もっと嫌い。あたしの名前を呼ぶ甘いお声なんて、もう聴きたくなんかないんだからっ!
上級貴族の伯爵様が、貧乏男爵家の跳ねっかえり娘を嫁にするなんて、やっぱりあり得ない話だったのよ。
もう、こんなところに居られない。作戦は成功して無事完了したんだから、あたしがここにいる必要もないわよね!
掛けられていた布団を、勢いよく足元に蹴り落とす。あたしの考えを読んで、制止しようとするモリス。
「エム、あなたはもう少し休養を取らなければいけない。まだ動くのは無理だ!おとなしく横になっていなさい」
「嫌よ!」
レイピアを軽々扱えるほど鍛えた腕を抜け出そうと、目一杯藻掻き暴れたものだから、髪はおろか着ていた夜着も肩が落ち、裾も膝のあたりまでまくれ上がり。かなり慎みのない格好になったあたしを、ぐちゃぐちゃに乱れた布団の上に、モリスがのしかかるように押さえつける。
――という誤解を招くには十分すぎるようなヤバい体制になったところに、ドアが静かに開いてひとりの老人が堂々と入ってきた。
わざとらしい咳払いをひとつ。
「悪いがこの結婚は遂行する。もう決定事項だ、そなたの感情など論外だ」
深緋の長衣を着た小柄な老人。苦虫を嚙み潰したような顔をしたこの人は、クレルフォンの冷徹宰相、その悪名も高きボドワン・ガランダッシュ。そなたってあたしのことよね、きっと。
足元に蹴り落とした掛け布団を素早く引き上げ、宰相の目から、目も当てられない恥ずかしい格好のあたしの姿を隠すモリス。
「それにそなたは、もうホルベイン家には戻れんぞ」
「どうして?」
怒鳴り付けたい気持ちはどうにか押さえつけたんだけど、怒りで声が震えてしまったのは仕方ないわよね。それと家族以外の男性に肌をみせるのは嫁入り前の娘としては最重要禁止事項(でしたわね、お母様!)だから、駆け布団を胸元まで引き上げるのは忘れない。
「もうホルベイン家には籍がないのだからな」
意味が解りませーん。なにを言いたいの、この爺さん!(うううっ、言葉遣いが〜)
「そなたはこの爺の養女、エムリーヌ・ジゼール・ガランダッシュ侯爵令嬢として、モリス・クリストフ・ジャン・マリー・レンブラント侯爵と結婚することになっておるのよ」
「はい??」
私とモリスは、同時に珍妙な声を上げてしまいました。
「エムこん」にご来訪、ありがとうございます。
とんでもないことになってしまいました。ここからおとなしく(!?)伏線回収して、あと2回くらいで終了に持ち込む予定だったのに。途中までは順調だったのに(涙)
なんで?どーしてこうなる?
「事の真相を知ったら……エムの性格じゃ怒るよな~」とか考えちゃったのが原因なんだけどね。はぁ。
冷血宰相閣下の手腕で、なんとか収めてくれないかしら。めざせ、3月末までの連載終了!
波乱と怒涛の次回をお楽しみに。





