幕間 侯爵、王妃のお茶会に招かれる
幕間……とか言いつつ、今回の幕間は長めです。
エムリーヌの一人称視点で進む回ではないので、これまでどおり幕間と打ってありますが、かなり重要な会話が続きますのでご注目くださいね。
クレルフォンの王都、トリング。
その王宮は街の中央にありながら、広大な庭園を有していた。トリング一の大通りからつながる大門を潜り敷地内に入ると、壮麗な彫刻群が左右から来訪者を出迎え、正面に大きな円形の池が見えてくる。池の中央には女神像が立ち、その周囲を神話の動物たちが囲む噴水も設置されていた。観る者の目を奪う精巧な作りの彫像には、いくつかの水射口が仕掛けられており、馬車式ポンプで汲み上げられた地下水を絶えず噴き出している。
噴水の奥にはシンメトリーに設計された庭園と並木道が続き、その先で白亜の壁面と、計算された幾何学的な美しさを輝かせているのが王宮である。
ヨラ侯爵は正面玄関の馬車寄せで馬車から降りると、宮殿の使用人たちに出迎えられ、玄関の扉をくぐるとエントランスホールへと歩を進める。トリング王宮はコの字型をした三階建ての建物で、中央のオピネル1世広場を三方から囲むように建っていた。
正面玄関はコの字の最奥にあり、ヨラ侯爵はいつもならばそこから正面の大階段を上がり、右翼棟2階にあるヨラ侯爵家に与えられた居住スペースへと進むことになる。
クレルフォンの王族や上級貴族には、宮殿に住居スペースをあたえられ、そこで寝起きをしつつ王族に奉仕する義務があった。しかし王宮に与えられた部屋は彼ら貴族にとっては冗談のように狭く、使い勝手の悪いものであったから、ほとんどの貴族はトリング市内に私邸を持ち、公務を済ませるとそこへと帰る者が多かった。
口うるさいガランダッシュ宰相が目を光らせているとあれば、そうも自由は効かないのだが、やかまし屋は現在王の名代として南ターレンヌまで出かけていて不在である。そのため、良し悪しは別として、王宮内は緩やかで和やかな空気が溢れていた。
階段を上り始めた時、王妃付きの女官がそろそろと左翼の1階の廊下から現れ、侯爵に声を掛けた。
「ヨラ侯爵、王妃様がポンポワーヌの庭園でお待ちでございます」
王妃の呼び出しとあれば、参内しないわけにはいかない。召し替えてから参上すると告げて、侯爵は急ぎ階段を上っていった。
自室へ戻ると、急ぎ着替えの支度を使用人に言いつけ、最近トリング市内で評判になっている菓子があったのを思い出し、王妃への手土産に準備させる。3歳でルーブルーエ国から輿入れした王妃は、幼女の域を脱したものの、まだまだ子供であった。甘い菓子やかわいらしい玩具などに目が無く、ヨラ侯爵はそれらを持参して、せっせと王妃のご機嫌を取っていた。
王妃を待たせ過ぎてはいけないと、いつもより足早にポンポワーヌの庭園へと歩いていった。子供は待つことを嫌うことくらいは、侯爵も知っていたからだ。
王宮の南側に続くオレンジの道を進んだ先に、他とは少し趣の違う庭園がある。
ポンポワーヌの庭園と呼ばれるそれは、結婚10周年の祝いに国王が王妃にプレゼントした小さな離宮と、その周りに広がる庭園一帯を差す。辺りは王妃の故国ルーブルーエ国から持ち込まれた植物が植えられていて、荘厳な王宮とは違ったのどかな雰囲気にあふれていた。
この庭園は、王妃のお気に入りの場所なのである。14歳の王妃が宮廷生活に息が詰まると、この庭園へとやって来て、親しい友人を招いては、お茶会と称して他愛のないおしゃべりにつき合わせるのだった。
オレンジの道をしばらく進むと、右手に見えてくるのは人工的に作られた小川で、そこに架かる橋を渡るとポンポワーヌの庭園だ。その小川に架かる石橋の親柱の上には、合計4体の天使の石像が立っているのだが、それはヨラ侯爵が贈ったものだった。王妃は天使像を大層気に入り、それから侯爵をお茶会へと招くようになったのであった。
庭の中ほどの四阿に、王妃ニネット・オドレが座っていた。その後ろには3名の女官たち。うちひとりは先刻侯爵へと言伝を運んだ女で、そして王妃の女官長、もうひとりは輿入れの際にルーブルーエ国から共にやって来た王妃の乳母でもあり、現在はヨラ侯爵の恋人のひとりでもあるミレジーム伯爵夫人。
「遅かったわね、侯爵」
ニネット王妃がにこやかに声を掛けてきた。
王妃はヨラ侯爵が持参した菓子に目を輝かせ、さっそくテーブルに並べさせると、女官の毒見が終わるや否や菓子を口に運んでいた。彼女はヨラ侯爵を信頼していたので、毒見の必要性を感じてはいなかったが、ミレジーム夫人以外はそれを良しとはしないので、形式的なものとして行っていた。
「市街に出ていたのです。王妃様はレスキン女子修道院をご存知ですか?」
「確か、王都の外れにある由緒ある修道院でしたわよね」
「ええ。ご存じとはさすがですな。その修道院に前のカステ領主ミロリー伯爵の後妻が身を寄せておりましてな。現在は俗世を離れ、修道女として、神に祈りをささげる日々なのですよ」
「まあ。ミロリー伯爵には3人の息子がいたのに、流行り病や事故、戦争などで次々と鬼籍に入り、その後老伯爵も病であっけなく亡くなってしまったのだとか。それでお家は断絶してしまったのだ、と聞いております。
ああ、そうだわ。それで領地が王家に返還されて、その領地をセルテ戦役で功績のあったレンブラント伯爵に下賜したのでしたのよね」
無論王妃に他意は無いのだが、侯爵にとって痛いところを突いてきた。クオバティス沿海に開けた良港のあるカステ地方を欲しかったのだ、と声に出す訳にはいかないが、侯爵の本心は喉から手が出るほど望んでいた。
カステの港が侯爵の支配下に治れば、極秘に支援する組織の活動がスムーズになるし、余計な手間が省けて、これまで以上の利益が上がるのは目に見えている。
総大将の大役を務めた侯爵である自分を差し置いて、レンブラント伯爵にポンと下賜した国王の差配も気に入らない。
「それは陛下がお決めになったことですから」
王妃はやんわりと矛先をかわした。
「その元ミロリー伯爵夫人……現在は尼僧アイリスと云う名ですが、この尼はジョリイ伯爵家の出身なのです。ジョリイ伯爵家はわがヨラ侯爵家の寄り子で、結婚前は行儀見習いとして我が家へ奉公に上がっていたので、よく存じている娘でしてな。まだ若い身空で出家する羽目になってしまい、彼女とミロリー伯爵との結婚を勧めた私としては、不憫に思えてなりません。そんな縁もありまして、時折様子を見に行っているのですよ」
この時代、高貴な生まれの娘はより上位の貴族の屋敷や良家で、礼儀作法や家事を学ぶために住み込みで奉公する慣習があった。これは行儀見習いを通じて、侍女や家事の役割を学び、将来の結婚や社会生活に備えるのが目的であった。無論彼女らは単なる使用人ではなく、将来の良縁や地位に必要な「たしなみ」を身につけるための、重要な通過儀礼として奉仕しているのである。
ミロリー夫人も、慣習にならって寄り親の侯爵家へ上がったのだろうことは想像に難く無い。が、結婚後もさらに世捨て人になった現在でも、縁が深いとは奇妙な話である。
「あら、若い尼僧の元にただの様子伺い?」
腑に落ちない王妃の眉が持ち上がり、乳母の方へと視線を移した。
王妃は侯爵と乳母の関係を知っているので、尼僧の存在が気になったとみえる。その尼僧とただならぬ関係を結んでいるのでは、と疑っているのだ。侯爵には、ミレジーム夫人の他にも、何人か恋人がいるという噂も耳に届いている。
幼い頃に両親から引き離されているので、この乳母こそが母親代わりで、世界で最も信頼できる人物でもある。そんな大事な乳母をないがしろにされたとあっては、王妃としては面白くないのは当然だ。
当のミレジーム夫人はにこやな笑みを浮かべたまま首を振っただけであるが、顔色だけで、訪問が色恋沙汰ではないということは王妃に伝わったらしい。
「もちろん、お布施も収めて参りましたよ」
「まあ、いいわ。美味しいお菓子をありがとう。あなたもお食べになったら」
「いえ、わたしは甘い菓子はあまり好みませんので。それにこれは王妃様へとお持ちしたもの。あとで侍女の方々にお裾分けなさるとよろしいでしょう」
「いつもありがとう。皆が喜ぶわ」
侯爵の貢ぎ品に、王妃は素直に礼を述べた。
侯爵が特別女官や侍女たちに優しいのではない。王妃の周りにいる女官や侍女たちの機嫌を取っておけば、あとで私的な小さな用事を頼みやすいからだった。それは恋人ミレジーム夫人とのやり取りやら、王や王妃の周りでの出来事、王宮内での些細な動向など公表されない情報、俗に言う噂話の収集に役立つからでもあった。
「エムこん」にご来訪、ありがとうございます。
また政治パートで面白くなーい!というご意見も聞こえてきそうですが、お付き合いください。モリスの政治的ライバルでもあるヨラ侯爵、ご本人登場です。
これまでずっと名前のみの登場でしたが、ちゃんと実在したのですよ。「誰だ、それ?」と言われそうですが、第17次セルテ戦役のあまり役に立たない総大将を務めた方で、ホルベイン家の寄り親(ジョリィ伯爵家)のそのまた上の寄り親に当たり、激励の酒宴で大怪我を負ったエムの父ホルベイン卿に大激怒した(当たり前だけど)方です。先王に養子に出された被害者……とか言っていますので、王家とも強いつながりがあるのでしょう。モリスことレンブラント伯爵のことを、良く思っていないみたいですし。
クレルフォンのトリング王宮劇場の始まり、始まり。
さて、この方がどう物語に絡んでくるのか?乞うご期待!!





