幕間 誤算は修正するもの ☆
もう1回、伯爵様パートです。
北東の方向から、丘陵を駆けてくる一騎。力強く大地を蹴る走り、乗り手の安定した姿勢、風にひらめく葡萄茶色の外套はタビロ辺境騎士団の制服だ。
どうやらギャレル・ダルシュのようだった。
「伯爵ーっ!」
声に少し苛立ちが感じられた。
「なにごとでしょうな?」
異変を感じたナムーラ隊長が愛馬の腹を軽く蹴り、馬を歩かせ、レンブラント伯爵の前に出てダルシュを迎える。
「どうなされた、ダルシュ殿」
ナムーラの問いかけに、食いつき気味にダルシュが畳みかけた。
「どうなされたじゃない! これも作戦の内か、伯爵。お前のところの若い侍女と子供がひとり海賊どもの人質になっている! そんな作戦計画は聞いてねぇぞ!
冷酷な黒伯爵の通り名のごとく、目下の者には情けが無いのか? 作戦のためには、女や子供の命は駒として平気で使い捨てなのかよっ!」
「どういうことです? 突然の暴言、無礼でしょう」
ナムーラが諫めるが、ダルシュの怒りが収まらない。
「卿がなにを言いたいのかわからない。手短に説明をしてくれ」
伯爵がダルシュの前に馬を進め、静かに言い放ったのを見て、彼はその要求に応えることにする。
話を聞いた伯爵が、人質に捕られたのは、おそらくエム付きの小間使いマルゴと養い子のドニだろうと推測を述べた。そしてこれは作戦などではなく、不慮の事態だと断言するのだが、落ち着き払った態度を崩すことのない伯爵の反応に、ダルシュは不満を突き付けた。
「だとしても、これじゃあ、俺たちタビロ辺境騎士団が旧館に籠るエムたちの救援に出ていけない。それどころか、エムが館から出てきて、自ら人質交換を申し出たそうだ」
「どういうことだ、ダルシュ!?」
今度のレンブラント伯爵の声には、焦りが混じっていた。
伯爵の作戦では、旧館で昼宴を催すエムや招待客には、騒ぎが収まるまでそこに立て籠っていてもらう作戦だった。旧館は要塞のような頑丈な構造だから、扉を破られない限りは簡単に陥落するような造りではない。それは以前伯爵が家令リヨンとしてエムリーヌにダンスのレッスンを施した際に、さりげなく彼女に確認させている。
詳しく説明したわけではないが、女騎士としての経験を積んだエムリーヌなら、構造や造りを見ただけで、旧館がもしもの際の砦となることを察することなど容易だっただろう。
実際、彼女は当初旧館に籠城し、味方の到着を待つ計画を立てた。もし彼女がその手段を思い当たらなかったら、イサゴやペラジィら侍女たち、もしくはフラヴィがそうすべくエムリーヌの方策を誘導する役目も請け負っていたのである。
正面玄関の大扉の前には、強硬な傭兵連隊の居留守隊の傭兵が詰める。大扉は内から閂を掛けてしまえば破城槌か投石機でも持ってこなければ突破はできない、強固な扉なのだ。
開かない扉に業を煮やして館の裏手に回っても、コルワートの指揮で使用人たちが裏口を固め、賊たちの侵入を許さなかった。
ごく一部の者しか知らないことではあったが、昼餐が始まった時刻にはシュミンナ郊外の駐屯地からタビロ辺境騎士団の分隊が館の裏から200メートルほど離れた林に到着して、息をひそめて合図を待っていたのである。
裏口からの侵入を試みてのこのことやって来た賊たちは、後ろから音を立てずに忍び寄ったタビロ辺境騎士団の騎士たちの反撃にあい、残らず捕まっていた。
一方館ガランダッシュ宰相率いる国王正規軍は、分隊が川べりで軍旗を並べ、進軍ラッパを吹き鳴らし、騒音を立て、足止めされているように見せかけていたが、その間に本隊は上流の橋まで迂回してロディー川を渡り館のある中洲へと渡っていた。
居留守隊の働きやコルワートの花火攻撃など、注意を館の表側に集中させ、賊軍にこれらの動きを気づかせないようにさせる。
そして合流した国王正規軍とタビロ騎士団が賊軍を背後から襲い、南の森へと追い立て、森の入り口で待ち受ける伯爵率いるナムーラ傭兵連隊で囲い込んで一網打尽とするのが伯爵の立てた作戦である。
伯爵や国王軍が南の森付近で賊を捕まえている間に、タビロ辺境騎士団が館に立てこもった人々や奥方を救出する手筈でもあった。
ところがエムリーヌが館から出て来てしまったことや、人質を解放させるために身代わりを申し出たために計画が狂いだした。
エドメ・キャンデル団長以下団員たちは、「若い婦人が敵のただなかに飛び込んで交渉をする勇気はあっぱれ、さすが元タビロ辺境騎士団の女騎士」と褒め称えたくとも、迂闊に動くことが出来なくなってしまった。
せっかく人身売買組織の構成員として働いていた海賊、山賊、さらにはその頭目を追い詰めたのに、下手に動けば捕り逃がしてしまうことになる。逃がせば海賊山賊共に国外へと逃亡し、おそらく次の捕獲の機会はないだろう。さらには組織を牛耳る、影の首魁をも逃がすことになる。
この作戦の指揮を国王(実際は宰相)の勅命を受けたレンブラント伯爵が取っていることもあり、失敗するわけにはいかないのだ。
だからといってタビロ辺境騎士団としては、伯爵の夫人に危害を加えられることはどうしても避けたい。相手は王家とも深い繋がりのある高級貴族だから問題を起こしたくはない。夫人の身になにかあったともなれば、その責めは免れない。
そんな都合より、夫人はタビロ辺境騎士団に所属していた元仲間だ。作戦に参加していた選抜隊の騎士たちは、皆エムリーヌのことを知っていた。情に流されるのは危険ではあるが、16歳の少女を見殺しにはできなかった。
元仲間を救いたいのは当然のことだった。
作戦の狂いには動じなかったレンブラント伯爵も、エムの危険には即座に反応を示したのを見て、ダルシュは少しだけ留飲を下げ報告を続ける。
「そこでゼフラ小隊長が上手いこと機転を利かせてくれてな。エムを馬に乗せることにした。あいつの乗馬の腕前は一級品だから」
「それは知っているが、どうするつもりだ?」
伯爵がエムリーヌの特技を承知していることに、ダルシュは不思議そうな顔をした。ふたりは夫婦になるとはいえ、知り合ってまだ日も浅いはずなのだが。
仮面の下の伯爵の意図が掴みきれないダルシュは不服そうに顔を少しだけ歪ませたのち、鼻で笑ってとんでもないことを言った。
「あいつに得意の速駆けをしてもらって、賊どもをここまで連れてきてもらう」
「なんと! 奥方様をこれ以上危険に晒す気とは。万が一のことがあれば、どうなさるのですか!」
ナムーラ隊長が声を荒げる。
一方、伯爵はいきなり高笑いを始めた。周囲は皆ぎくりと身体を強張らせている。
「私の妻の腕前を見くびってもらっては困る、隊長。いや、あのひとの腕前を一番よく承知しているのは、あなたではなかったかな。
エムはやり遂げるさ。だが彼女の命が危険と聞いては、私の心情が落ち着いてなどいられないのでね。
ダルシュ、ついて来い! 隊長、傭兵連隊の諸君は、最初の指示どおりここで待機。連れてくる賊どもを一網打尽に捕まえよ!」
そう言い放つが早いか、伯爵は愛馬に鞭を入れ館の方向へと走り出した。
「なにをなさるつもりです、伯爵」
ナムーラ隊長とダルシュが同時に声を掛けた。
「餌は美味い方が、獲物も喰いつき易いだろうと思ってね」
伯爵は馬上でニヤリと笑った。
「エムこん」にご来訪、ありがとうございます。
ついに、自ら伯爵が動き出しました。
しかし困ったな。以外と伯爵様パートが面白くなっちゃって、幕間が幕間にならなくなってきたわ。
さて、彼はどうするつもりでしょう?
次回をお楽しみに!





