06. 宮廷作法って油断なりませんのね
リヨンの軽い咳払いで、私はハッと我に返りました。
「……聞いていらっしゃいますか?」
「はい、なんでしょう? リヨン」
笑顔を取り繕って返事を返したのですが、彼は渋い顔をしています。表情が全て見えなくても、なんとなく彼の感情が読み取れるようになってきました。
穴が空くほど、リヨンの顔をじっと見ているから? まさかぁ〜。
「要重要の習得スキルの続きを進めても、よろしいですか」
こくこくと首を縦に振ります。子供っぽい仕草をしてしまいました。でも、彼の反応は悪くないのです。
てっきり、また礼儀作法云々とお小言を喰らうと思っていたのに。
「エムリーヌ様は、きちんと相手の目をご覧になろうとなさるでしょう。それはお相手の方に良き印象を与えます。特に宮廷作法としては、大変良いことですよ」
まあ。リヨンに褒められました。単純に、うれしい。
部屋の隅で静かに控えていた小間使いのマルゴも、なぜか喜んでいたりして。いくら相手が当家の家令と言えど、若い男性と部屋にふたりきりは許されませんからね。
不必要な誤解を招かぬためにも、つねに侍女は同伴です。
「ただ、ご自分より上の身分の方に会ったときは、相手が最初の仕草をするまでお待ちくださるように。焦って、ご自分からアクションを起こしてはなりません。相手のやり方に合わせるのが作法です。反対に相手よりエムリーヌ様の方が身分が高かった場合、あなたからお声を掛けてくださいね」
「まあ、面倒ですこと」
「ですが、これが宮廷での作法なのですよ」
同感だと言いたげに、リヨンは笑みを漏らしました。
「練習をしてみましょうか。
お目にかかれて光栄です、マダム」
音もなく椅子から立ち上がったリヨンは、そう言って優雅に腰をかがめました。そのしぐさの、なんて優美なこと。これが宮廷風というのでしょうか、これまで私の周りには「優美」という言葉の似合う人物など居りませんでしたから、思わず目を見張ってしまいました。
吟遊詩人の謳う恋愛叙事詩に出てくる王子様より、王子様よ! 「美麗」って、こーゆーこと!?
感嘆くない?
伯爵家の家令でさえこのレベルですから、宮廷の人々はもっと……ってことですわよね。
などと見とれていましたら、リヨンが小さく咳ばらいをいたしました。あら、いやだわ。私ったら!
そっと椅子から立ち上がり、
「エムリーヌ・ジゼール・ホルベインですわ」
と上体を起こしたまま、軽く足を引き腰を低く致します。ホルベインの母から膝折礼の特訓を受けておいてようございました。(お母様、ありがと~)
「大変お上手です。でも肝心なところを間違えていますよ」
少し愉快そうな声で、リヨンが指摘して参りました。
間違えた? 私が不思議そうな顔をしましたら、
「エムリーヌ・ジゼール・ホルベイン・レンブラント、です」
あらら。
「いけませんね、マダム。身分偽証ですよ」
「そんなことはありません。だって、まだ正式には結婚証明書にサインをしていないのですもの。間違ってなどおりませんわっ」
高圧的な彼の態度が癪に障り、思わず声を荒げてしまいました。朱に染まった顔で反論しても、リヨンは薄い唇を吊り上げるだけ。
まあそれだけでしたら、通常運転。ちょっと唇を尖らせるくらいで済んだのですが、このとき彼はするりと私の手を取ると、手の甲へキスしたのです。
それがあまりにも自然というか、そんなことをするのはおとぎ話の王子様くらいだと考えていた私は、驚きの声をあげてしまいました。
「宮廷では敬愛する相手に対し、こんな挨拶の仕方も礼儀作法の一環として扱われることがあります。
ラブアフェアを求める貴公子たちが、意中のご婦人に対して愛情表現として及ぶこともありますが、たやすく心を動かすようなことはなさらないでくださいね」
含みのある表情で、リヨンはそう申します。いつも以上の至近距離。
どうしましょう、心臓が破裂しそうな勢いで打っています。頭に血が上ってきました。
私の手を取る彼の手も、段々熱を帯びてきて。
わけもなくお尻のあたりがもぞもぞとしてきましたので、手を離して欲しくて身体を引きました。
「駄目ですよ、マダム。そんなかわいい反応をしたら『あなたに気がある』と告白しているようなものです。平然と受け流してくださらないと」
下を向いて、抑えた声で笑うリヨン。
もう。からかわれたっ!
「にこやかでオープンな態度を保ちながらも、つねに控え目であるように心がけてください。同席者の地位に配慮することが大事です。馴れ馴れしい振る舞いは、絶対に避けてくださいね。特に宮廷では相手がどのような人物か、腹の内を読むのは大変難しいことですから」
「自信がありませんわ」
「対外関係においては、つねに控えめになさっていれば問題はないと思いますよ。しばらくは伯爵様がご教示をくださるはずです」
「そうですわね」
でも、そのレンブラント伯爵様にはまだお目にもかかっておりませんのよ、リヨン。





