44. 失礼な男は横っ面を引っ叩いてさしあげましてよ!
ハマフがこちらに近寄ってまいりました。
いやらしい目つきは、私を吟味しているのに違いありません。人質としての価値が、どれだけあるのか。まがりなりにもバンディア大陸諸国連合の雄と云われる大国の高級貴族、レンブラント伯爵夫人を、ですよ。
失礼極まりない!
「そうさな。これだけ着飾らせている奥方様だ。それなりに愛着があるのかもしれねぇな。へへっ、顔引き攣らせて精いっぱい虚勢張ってるなんぞ、かわいいねぇ」
なんです、愛着って。私はモリスの装飾品ではありませんことよ。それに顔が引き攣っているのは、強がっているのではありません。怒りです、猛烈な怒りが顔の筋肉を強張らせているんですっ。
あ~、もう、いちいちムカつくわね!
「駄目なら奥方様を売り飛ばすまでだ。まだ若いし、飾れば見目もいいから、高値が付くだろう」
そういって顔を近づけてきたので、考えるより先に手が出ていました。ハマフのエロ顔、横っ面を張り倒してやりました。
パーンと、あたりに響き渡るいい音。
よろめいて、たたらを踏むハマフ。
ざまぁ!
私的には気分爽快なのですが、あたりは一瞬静まり返りました。あっけにとられる皆の顔を見て、ようやく私、しでかした大事に血の気が引きました。
でも、やっちまったことは無しにはできないし。時間は戻せないし。
「このアマっ。こっちが下手に出てりゃ、なにしやがんだ!」
怒りに顔を歪ませた海賊の頭目ハマフが手を挙げました。キャーという高い悲鳴を叫んだのはマルゴでしょうか。私の危機に馬上筒(拳銃のような小型火器)を構え直したフラヴィへと、女海賊のひとりが飛び掛かりました。我が親友も黙ってやられるタイプではありませんので、即座に激しい取っ組み合いのバトルが始まってしまいました。
私とハマフのにらみ合い、そしてフラヴィと女海賊の取っ組み合いと、見物人はどちらに目を向けるべきかと目玉をきょろきょろと動かしています。
その隙に近寄って来た傭兵部隊のゼフラ中隊長と侍女のロラによって、マルゴとドニは騒ぎの輪から連れ出され、旧館の方へと走っていきました。ふたりとも、グッジョブです!
と、ここで安心してはいけません。私の目の前には、海賊の頭目ハマフがいるのです。しかも、めっちゃ怒っている。「怒り心頭に発する」と申しますが、まさにそれを実際に表現したらこんな顔、といった表情。血が上った真っ赤な顔ははち切れそうで、頭から湯気が出ています。わなわなと身体まで震わして。
困ったことにその閻魔面が笑いを誘うので、不謹慎にも、私は口元がむず痒くなるのを堪えねばなりませんでした。だって、目の前で大きな鼻が小刻みにぴくぴく動くんですもの。
手下たちの前で面目を潰され、憤懣やるかたない気持ちはわかります。でも、私だって、黙ってやられるわけには参りませんことよ。
ことさらツンと顎を上げ、胸を反り上げて、殺気立つハマフの顔を見返してやりました。後方では、フラヴィが女海賊のみぞおちに豪快な蹴りをお見舞いして勝負を決めたようです。
親友という欲目を抜きにしても、フラヴィって強いんですのよ。体術でも射撃でも、ギャレル・ダルシュを簡単に倒しちゃうくらいですもの。
「私が傷物になったら商品価値が落ちましてよ! 婦人に手を挙げたとなれば、伯爵様も黙ってはおりますまい。海賊であろうと、山賊であろうと、どちらも最後のひとりまで殲滅させるために、鬼神となっておまえたちの後を追うでしょう」
「そうなったら、返り討ちにするまでよ。俺たちには強い味方が付いているんでね。黒伯爵なんぞ、怖かねぇ。もうすぐそのお方が黒伯爵をもっと追い詰めてくださる手筈になってるんだから、こっちは恐れるに及ばずだ。現にこうして海賊と山賊の間を取り持って、人身売買組織がこの国で上手いこと動けるようにと、影で便宜を図ってくださってんだからよ」
ええっ!?
いま聞き捨てならないことを耳にいたしました! 私だけではなく、女海賊を倒して戻って来たフラヴィも顔色を変えましたから聞き間違いではありません。
「それは誰?
伯爵様を追い詰め、失脚を狙うその人物って?」
「ハハハ! おいそれと教える訳がないだろう。俺たちだって、バカじゃねぇ。それより奥方、あんたには俺たちとペンデルまで同行してもらう。馬に乗れ!」
「ちょっと、いきなり何を言いだすの!? しかも高貴な婦人に山賊の馬に乗れとか言うんじゃないでしょうね、野蛮人」
猛烈な抗議はフラヴィ。こそばゆいですが、高貴な婦人とは私のこと。乗れっていうんなら、乗りますわ。ペンデルだろうとどこだろうと、同行しようではありませんか!
「なんだ。まさかレンブラント夫人は乗馬ができないとでも言う気かよ。女騎士さん」
大丈夫です、と言いかけたところへゼフラ中隊長が割って入ってきました。
彼がここに戻って来たということは、マルゴとドニの避難は完了したということですね。
「できないことはありませんが、奥方様は乗馬は苦手なのです。最近本格的な訓練を始めたばかりでして、まだ遠距離を駆けるというのは体験なされたことがございません。ましてや初めて騎乗される馬では、ペンデルはおろか、イロット橋付近まで乗りこなせるか怪しい位の腕前なのです。
せめて奥方様が乗り慣れている馬と鞍を、こちらで用意いたしますので、それまでお待ちいただけませんか?」
「おいおい。変な時間稼ぎじゃねぇだろうな?」
いえいえ。時間稼ぎというか。私が「乗馬が苦手」という話自体が、もう不可解なことなんですけど。例の一件で、わたしの乗馬の腕前が並みでないのは、傭兵たちの間では伝説にまでなりかかっているとか聞いていましてよ。
でもここで流れをぶち壊すこともないと思いますから、私は口をつぐんでおきましょう。何気に「乗馬不得意」なところで、フラヴィとふたりでうなずいたりして。
それでもハマフは不信感を募らせていました。
「なにを企んでいやがる」
「奥方様が騎乗する馬を、こちらで用意するということです」
「それだけか?」
「はい。大変美しく賢い馬ですから、名馬としての価値もある馬です」
価値のある馬と聞いてその気になるのは、さすが欲深い海賊です。
その時館の裏手から、コルワートが私の愛馬デヴィを引いて現れました。花火で賊たちを蹴散らしてくれたコルワート、どうなったかと不安でしたが、無事な姿を確認できて私は心底ほっとしました。それはおそらくフラヴィも同じだったでしょう。表情は動かしませんでしたが、灰色の瞳が嬉しそうに輝いたのですもの。
ハマフは連れられてきたデヴィの美しい芦毛を見ると、少し態度を軟化させました。案の定、
「この馬も高く売れそうだな」
早くも胸算用を始めたようです。冗談ではありません、デヴィはモリスから贈られた私の愛馬でしてよ。
不満でブスっとした顔の私をみて、ハマフがにたりと笑います。あ~~、ムカつく。もう一発お見舞いしてやろうかしらと思ったところへ、スッとコルワートが近づいてきて、私の耳元で小声でささやきました。
「奥方様。デヴィに跨ったら、後方でなにが起ころうと決して振り返らずに、あの時のように南の森まで駆け抜けてくださいよ」
私が表情を動かす前に、コルワートが乗馬用の長鞭を私に押し付けて参りました。あの時って、例の暴走事件のことよね。
「なにがあるのです?」
私の問いに彼が答える前に、遠くでラッパの音が聞こえました。あれは国王正規軍の進軍ラッパの音。ここからはその姿をしっかと捉えることはできませんが、援軍が近くまで来ているということでしょうか!
どうして国王正規軍が、という疑問より喜びの方が先にこみあげて来てしまいました。
助かった!!
ぱっと明るくなった私の顔を見て、コルワートが続けます。
「南の森で黄金の獅子がお待ちですよ」
「エムこん」にご来訪、ありがとうございます。
ハマフがちょろっと漏らした黒幕の存在。
やって来た国王正規軍。
そして南の森には……
次回もお楽しみに!