幕間 宰相閣下とジョリイ伯爵
今回は「おじさん」回です。
おじさん(おじいちゃん)たちの悪巧みをお聞きください。
エムリーヌ・ホルベインが、レンブラント家の傭兵部隊をペンデルへと送り出そうとしていた正午前。
タビロ辺境騎士団団長エドメ・キャンデルは、ギャレル・ダルシュと共に、駐屯地シュミンナではなくレンブラント伯爵領の領都であるアピガの郊外にいた。
もう少し正確に云えば、王都から街道を南下して、アピガのひとつ手前の小さな宿場町である。
そこにこの国の宰相ボドワン・ガランダッシュが滞在していたからで、キャンデルは彼にそこまで呼び出されたのである。
宰相は王の名代としてモリス・クリストフ・ジャン・マリー・レンブラント伯爵とエムリーヌ・ジゼール・ホルベイン男爵令嬢の結婚式に立ち会うのだから、なにもそんな田舎町で足踏みせずともさっさとアピガに入ればいいのだが、領主が不在の領都に足を踏み入れるのは道理に適わないとか云う妙な持論を持ち出して、小さな宿場町のたった一軒しかない小さな宿屋を占領しているのであった。
「……こっちの方がよほど迷惑だと思いますがねぇ。だって伯爵は都に不在でも、家来たちに言いつけて、宰相閣下ご一行の宿は用意してあンでしょうに」
「お前の報告にあった伯爵様なら、そうだろうなぁ。それでもあのお方は、あのお方なりに筋を通しているのだろうよ」
「それって、はた迷惑って言いませんか。隊長」
エドメ・キャンデルはため息をつきたくなった。
部下の言っていることの方が正論だとは思う。普段は行商人などを相手に商いをしているような、小さな宿屋である。宰相一行は上客には違いないだろうが、大勢の侍従やら使用人に下僕、大量の大行李や小行李、移動のための馬や馬車と大所帯である。
宰相だけでなく同行した彼の取り巻きたちの荷駄まで含めたら、到底宿屋の中には納まりきらず、建物の周辺には宿泊用の簡易テントが張られていた。男たちばかりならそれでも良いが、ご婦人方は不便極まりないだろう。
それよりも難儀を極めていたのは、この宿屋の主人であった。貴人の滞在に、どう対処していいのかわからないのである。
しかもこの貴人、気難しい。なにか阻喪があれば、胴から首が飛びかねない空気をあたりにまき散らしているのだ。さらに同行しているのは宮廷人たちだから、自分たちより下層階級の人間に対しての態度は横暴だった。
宿屋に到着した途端、主人が「どうにかして欲しい」と泣きついてきたが、キャンデルがなんと進言しようと、宰相が腰を上げる気になってくれなければ一行は動けないのである。かわいそうだが、もう少し辛抱してくれとしか言いようがない。
この降ってきた災難に苦しむ宿屋の主人のためにも、この一件は早く解決しなければならないと思うキャンデルとダルシュだった。
――が。
「それで、どうなっているのかな。レンブラント伯爵と人身売買組織の関係は掴めたのかね」
滞在する(おそらくこの宿で一番上等な)部屋で、挨拶も終わらないうちにガランダッシュ宰相はタビロ辺境騎士団からやってきたふたりを睨みつけた。
部屋の中央に備えられた机の上には決裁書類の山。それだけでは収まりきらないのか、後ろに控える侍従たちの捧げ持つ盆の上にも書類の山が乗っている。
書類から目線を上げたのはほんの数秒で、宰相はまた書類に視線を戻すと、内容を一読してサインをするという作業に戻ってしまった。
眉間に深くしわが数本刻まれた骨ばった険しい顔立ち、白くなった頭髪とあごひげ。深緋の長衣に同色のつばの無い円筒形の帽子を被った小柄でやせた体躯だが、厳めしさとどこか意地の悪さを感じさせる雰囲気をまとったこの人物が、この国の宰相ボドワン・ガランダッシュであった。
「ほんとに忙しいンすね、この爺さん」
ダルシュは腕半分の距離しか離れていない隊長にだけ聞こえるような小声で言ったつもりだったが、しっかり老宰相の耳にも届いていた。
「国王陛下が政務に関心が薄いというのは困ったことであるよ。この爺がいつまでもこうして苦労しなければならん」
「さようでございますな。今回の件も、陛下の無関心が悪を増長させているような気がいたします。この国は閣下のお力で成り立っている様なもの。閣下なくしては、この国は成り立ちません」
すぐさまへつらいの言葉を並べたのは、宰相の片腕とも腰ぎんちゃくともいわれるジョリイ伯爵。しかし当の宰相はジョリイの言葉は完全無視で、侍従に次の書類を持ってくるように指示を出していた。
「閣下。その件でございますが、レンブラント伯爵が幼子を殺しているとか、人身売買に加担しているとかいった事実はなく、むしろ撲滅しようと尽力しております」
「現に、組織の隠れ家を次々検挙し、領内でも動きも封じ込めようとしています。またペンデル湾にて、組織に加担している海賊の船を拿捕しております。捉えた海賊船の船長の話によれば、奴らはクオバティス沿海からマルア海峡を渡り、異教の大陸に子供らを奴隷として売りに行くのだと。ルートを抑えようと『クオバティスの猛者』と呼ばれるナムーラという男が動いております」
「海賊、とな?」
力説するダルシュに、間の抜けた声で聞き返してきたのはジョリイ伯爵。
「その海賊たちを束ねている男の名も突き止めています。ベラス号のハマフ」
「ハマフ? 変わった名だな。異教徒か? そのハマフとやらが、実はレンブラント伯爵であるとかいうことはないのか」
ジョリイ伯爵は、どうしても疑惑を払拭できないらしい。矢継ぎ早の物言いも品行を感じられない。
「これは俺の私見ですが、レンブラント伯爵はそんな悪党には見えませんよ」
「伯爵は、見目は良いですからな。貴婦人方ならず辺境の無粋な騎士も虜にするか!」
ジョリイ伯爵がいやらしい笑い声を立てた。
ダルシュは、このジョリイ伯爵という男が嫌いだった。エムリーヌ・ホルベインに潜入捜査の任務を押し付けに来たのがこの男であったし、こちらの言い分を聞かない――というよりなにがなんでもモリス・クリストフ・ジャン・マリー・レンブラント伯爵を人身売買組織に加担する悪人としたいようにも見えたからだ。
サインの手を止めずにガランダッシュが言う。
「よい。加担が事実か否かは、逮捕してからでも証拠は作れる。
南ターレンヌが豊かな土地であるのは、この目で見てきた。一時は衰退しかけたカステ地方も、ごくわずかな期間で復興させている。見事な手腕としか言いようがない。
しかも戦場に出れば勇猛果敢であることは、先の隣国との諍いの際、伯爵の活躍により勝利を得た話は広く知れ渡っておるわ」
その手柄の報酬に、改易したミロリー伯爵家から没収したばかりのカステ地方を与え、宮廷人の恨みを煽ったのは国王と宰相だ。おそらくジョリイ伯爵も、カステ地方を欲しかったのだろう。多少荒廃したとはいえ、クオバティス沿海の交易には重要な港が二か所も存在していた。
宰相の腰ぎんちゃくと揶揄されようと汚れ仕事を任されようと、甘い汁を吸うためならばどんな卑怯なこともするタイプだと云う風評も聞いたが、あながち間違いではないかもしれないと辺境騎士団のふたりは目配せを交わしていた。
そして、宰相もレンブラント伯爵にカステ地方を与えたことを後悔しているのかもしれない。王家とも関わりのある、豊かで広大な領地を持つ大貴族の懐をさらに温かくしただけかもしれないと思えば、強引な手段を講じてでも伯爵家を潰したいと考えているかもしれない。
(こりゃ、本格的にヤバいかもしれねえぜ。伯爵様、エムリーヌ・ホルベインよぉ)
ギャレル・ダルシュは心の中でつぶやいていた。
「エムこん」にご来訪、ありがとうございます。
遂に登場、宰相閣下。
というか、この幕間は本当はもっと前に出すつもりだったのですが、どこで挟もうか考えているうちにお話がどんどん進んでいってしまい、出し損ねました。(もしかしたら動かすかもしれません)
これでは私の方が、首が飛びそうです。
ところで、宰相閣下はともかく突然現れたジョリイ伯爵って誰だよ? ってお思いでしょ。でもね。突然ではないのですよ。実は「31.イロット橋、落ちた」の回で、フラヴィのせりふの中で名前だけ登場しております。フラヴィ曰く、エムの父ホルベイン男爵の昔馴染みで、この男がレンブラント伯爵モリスとエムの結婚のお膳立てをしたらしい、です。
でも風評はよくないみたい。宰相閣下も、腹に黒いものを持っているみたいだし。
以下次号! お楽しみに!





