05. 奥方様生活は華やかだけど多忙で重責ですのね
リヨンの宣言どおり、朝食後から貴婦人教育が始まりました。
場所を書斎に変え、まずは奥方様としての心構えから。
後々には礼儀作法やら音楽絵画に至るまで、王都から高名な先生を呼んでくださるとのことですが、
「当座は、私が指導することにいたします。付け焼き刃でも、恥を掻かない程度にはなっていただきますよ」
今、殺気を感じたような気がするのですが、気のせいですわよね?
ね? リヨン。
ああ、私座学は苦手なのです。身体を動かしていた方がラクな気性なのですもの。
朝食後の満腹感と、リヨンの声が大層耳に心地良いことも手伝って、もう頭がぼーっとして参りました。
エムリーヌ・ホルベイン、こんなことではいけません。
私には大事なお役目があるのですから!
「先ほども申しあげたとおり、エムリーヌ様にはレンブラント館の奥方としての重要なお役目が課せられます。よろしいですか?」
うなずきながら、そっとあくびをかみ殺したのですが、リヨンにはバレてしまったかしら? 口の端が、クッと吊り上がったような気がしますけれど。
「館の運営術、家計簿、薬草の取り扱い、伯爵様不在の際には代理人としての役割、ここまで要習得の重要スキルとなります」
内心「ひえぇ」と悲鳴をあげながら、もっともな表情をしてうなずきます。
「つかぬ事をお伺いいたしますが、エムリーヌ様は文字の読み書きはできますよね?」
「もちろんですわ!」
家令風情が大層無礼なことを訊くとお思いかもしれませんが、この時代、文字の読み書きが可能な者は限られておりますの。貴族の子女といっても、我が家のような下級貴族の娘では、父親が学問を収める必要性が無いとみなせば、文字や計算を習得する機会は与えられませんでした。娘など、家事が熟せればそれでよいのですもの。貧しき者と女に学問は要らない、という思想が大手を振って罷り通っているご時世ですから。
幸いにもわが父ホルベイン男爵は寛大で、息子たちのみならず娘の私にも学習の機会を与えてくださいましたから、貧乏男爵家の娘とはいえ文盲にならずに済みました。
「良きお父君ですね」
とリヨンが父を持ち上げてくれたものですから、つい気を良くして私、
「ええ。兄弟皆でテーブルを囲んで、父と母が先生になって教えてくれましたの。おかげで入隊試験も……あわわっ」
「は? なんの試験だとおっしゃいましたか?」
こここ、こいつ。なんでスルーして欲しいところをしっかり拾うんだ!
「そっ、そんなこと言ってなーい!
リリ……リヨンの聞き間違いよ。それとも聴力悪いの?」
焦りを隠すために、ついいつもの調子でツッコミを入れてしまいました。だって私がつい最近まで籍を置いていた場所は、「若い女の子だからと見くびられちゃいかん!」みたいな団体でしたので。
粗野な口調に、彼は少しびっくりした様子でした。――が、
「エムリーヌ様、言葉遣いは注意してください。レンブラント伯爵夫人ともなれば、王宮へ出仕する機会もございます。その際に、そのような貴婦人らしからぬ言葉づかいや態度を示されては、あっという間に宮廷中に『粗忽』という噂が広まります。うっかり国王陛下の御前でその様な粗相が有れば、伯爵共々ご夫妻で首が落ちる事にもなりかねません」
と冷静に切り返すのです。手刀で、スッと首を刎ねるアクション付きで。
「ま……さかぁぁ」
「ガランダッシュ宰相閣下は、そうした事にとても厳格な方ですから、不敬罪に問われたらそのまま断首刑やもしれません」
最もらしく、特大ため息吐かないでったら! だけどやりかねないかも。あの冷血漢なら。
ボドワン・ガランダッシュ。
我が国の宰相閣下。影の国王。冷酷非情なまでの冷静な手腕で我が国の政務を一手に引き受け、隣国からの侵略を三度も撥ね退けた鉄血宰相でもあるハイパー老人。
めちゃ厳しいひとだって噂なら、某所から、耳にタコができるほど聞いている。
ぶるっ!(武者震いよっ、武者震いなんだからね!)
「わかりました、気を付けます。ですからリヨンも意地の悪い笑い方をしないでくださいな」
「そうですね。でも宮廷の噂好きの雀たちは、もっと意地が悪いですよ。真っ直ぐで素直なエムリーヌ様が傷つかないか、とても心配になってきました」
見も知らぬ宮廷貴族などよりリヨンに嗤われる方がよほど傷つくって言ったら、あなたはどんな顔をするのかしら?
でも前髪で顔の半分は見えないのだから、確認のしようがないわよね。
ふん、つまんなーい!
それより、本当に気を付けなくっちゃ。
リヨンは聡いのだから、うっかりミスは命取りになるかもしれないわね。私、まだなんの成果も上げてないんだから、ここで追い出されるわけにはいかないのよ。
なのにリヨンったら、探るような視線で私を見ているのです。前髪で隠していたって、そのくらいはわかりましてよ。これでもタビ……あわわ……!
その視線がくずぐったいのです。
なぜでしょう。あなたの意味ありげな視線はソワソワ、ムズムズするから、止めて欲しいのです。別の理由も含めて、諸々心臓に悪いのよ。
負けるな、エムリーヌ・ホルベイン。
「エムこん」にご来訪、ありがとうございます。
断首刑といえばギロチンが思い出されますが、それ以前は執行人が罪人の首を剣で切り落としていたそうです。有名なドラローシュ作の「レディ・ジェーン・グレイの処刑」の画をみると、当時の様子が窺い知れます。
一刀で事がなされればまだ良いのですが、仕損じてしまった場合、罪人はそれこそ死ぬほどの苦しみにのたうち回ったことでしょう。残酷な刑だと思いますが、斬首刑になるのは高貴な身分の人たちだけで、ある意味名誉な刑だったのだそうです。
それ以上に残酷だったと思うのは、当時処刑というのは罪人の身分にかかわらず、見物人にとっては最高の娯楽だったということでしょうか。娯楽の少ない時代だったとはいえ、人間の残虐性には驚かされます。
 





