38. 軽業師は奇妙な行動を取りましたの
侍女のロラは、元ダーナー騎士隊で女騎士をしていた女性です。不慮の事故で大怪我さえしなければ、今も勇ましく剣を抜き馬を走らせていたでしょうし、伯爵様と共に今回のペンデルでの作戦に参加していたはずでしょう。
ああ、でも、彼女の恋人は今回留守居隊の指揮を任されたゼフラ中隊長でした(女同士ですからね、こういう情報の交換は密なのですよ)から、彼と共に留守居隊として私の警備に就いたかしら?
それはともかく。現在のロラは奥方付きの侍女らしくドレスを着てしとやかにしていますが、身のこなしなどをみていると、確かに機敏なところがございます。
スカートの裾を軽やかにさばきつつテーブルの合間を巧みに進んでくる姿は、優雅と云うより勇ましく観えたりもします。
――というより。普段は努めてそうした素振りを見せないように努めている彼女から、武人らしい雰囲気が漏れ出てしまっているのですから、これは「なにかあった」に他ならないと直感いたしました。
それは現役の女騎士フラヴィも、同様。むしろ私などより、敏感に察していたかもしれません。
老執事のイサゴだって、白い眉をピクリと上げたほどですから、これは多いに憂慮しなければならない事態になったというべきなのかしら。
「どうでした?」
ロラは唇を噛み、小さく頭を振りました。
「詳しく話してちょうだい。対策を練らねばなりませんもの」
「はい。エムリーヌ様」
周りの目を気にしながら、昼餐会の和やかさを壊さぬようにと一段声を潜めて、怪しい軽業師の行動をロラが話し始めました。
「……エムリーヌ様のご指示であの者の後を追ったのですが、大広間を出ると大階段を降り、玄関ホールの大扉の前に走り寄りました。なにをする気なのかとわたしとティボーが隠れて見ておりましたら、閂の具合を観察し、その後頻りとあたりを気にしながら廊下を渡り居館の方へと進んでいきました」
「あ、待って。ティボーって誰?」
「ティボーというのは留守居隊に配属された傭兵の男の名前です、フラヴィ様」
尽かさずイサゴのフォローが入りました。
「ああ。扉の近くに控えていた、あなたが広間を出て行くときに合図を送った彼ね」
閂というのは、扉が開かないようにする太い横木のことです。左右の扉の内側につけた金具に差し通して、開かないようにします。仕組みは単純ですが、外部からの開錠あるいは破壊することは難しいので、古来から門や建物の錠に使用されています。
このレンブラント館の旧館の大扉も、夜間はこの閂で閉じられ、不法な侵入者を防いでいます。
確か閂を支える箱金物の閂鎹はとても立派な細工がされていて、あれだけでも価値のありそうなものでしたけど、まさかあれを盗む気でいたのかしら?
他にもっと手軽に持ち出せるものなら、たくさんあるのに。もしかして閂鎹のコレクターとか?
「エム。馬鹿なこと言ってんじゃないわよ」
「奥方様、それは……」
フラヴィとイサゴ、両サイドから突っ込みが入りました。ロラの視線も、ちょっと厳しい。
「あ、それで――。軽業師は居館の方へ移動したのよね。まだなにか物色していたの?」
再び、ロラの声が堅いものになりました。
居館は、普段私たちが生活している棟のことです。百年以上昔に建てられた石造りの旧館は、手入れが行き届いているので立派で重々しく、一目でレンブラント家の歴史を感じさせてくれる由緒ある構えです。ですが創建は古く戦乱時代で、万が一に備えて要塞のような作りですので、壁は厚く窓も小さい。国内が平定され、戦乱と無縁になった私たちの日常生活には不向きなのです。
ぶっちゃけ、絨毯や壁掛けで壁や床を覆っても冷えるのよ。特に大広間など、この面積では冬は暖炉を焚いても寒いに違いありません。
結婚の儀が六月で良かった、と思うの。(お式の日程取り決めた人、グッジョブでした)
そんな具合ですから現在はパーティーとか、騎士の叙任式とか、使者の謁見とか公の行事に使われ、普段は増築した居館で過ごしていることは以前にもお話ししましたよね。
私の居室もあちらですから、ドレスや宝石を狙ったのかと思ったのですが――。
「いいえ。その代わりいらない置き土産を……」
ここでロラは、さらに声を潜めます。
「黒色火薬が詰まった筒爆弾を、数カ所にセットしていきました」
「え!?」
驚きのあまり腰が浮きました。突然の鋭い声に、皆の視線が一斉にこちらへと集まってしまいました。
フラヴィに腕を引っぱられ急いで椅子に座り直し、大急ぎでにこやかな顔を作ります。昼餐会の最中なのです。女主人の私が、招待したお客様や子供たちを不安にさせるわけにはまいりません。
最大級の特上笑顔を四方八方に振りまきました。
楽師たちに流行りの明るい曲を演奏するように言い渡し、さらに厨房へ料理の追加を運ぶようにも指示します。密談の続きをしたい私たちから視線を外さねば。
幸い果物のパイやタルト、フルーツの砂糖漬け、甘いクリームやジャムが並べらると子供たちから歓声が上がりました。大人たちも滅多に口にできない甘い物(この時代、甘味は貴重品ですのよ!)に目を奪われたので、この隙に会議再開です。
「筒爆弾ですって!?」
「ねえ、それって、もしかして……」
「はい、おそらくイロット橋を落とした爆発物というのは、同じような物を使用したのではないかと思われますな」
私は急に恐ろしくなりました。
イロット橋のように、このレンブラント館が爆破されたら、火柱が上がり炎に包まれたら、どうすれば良いのでしょう。手を揉み合わせても、不安をなだめることができません。
「それで、その筒爆弾はどうしたの?」
「仕掛けた場所は全てチェックしておりましたから、ティボーとわたしで居館に仕掛けられた物は全て回収いたしました。念のため旧館の方にも仕掛けられていないかと、コルワート料理長や下女たちにも声を掛け、現在探索中でございます。
ただ、どれもまだ着火前ですので、すぐに爆発することはありません。その点だけはご安心を」
ここでフラヴィが疑問を口にしました。
「そうよ。爆弾を仕掛けたって、起爆させなければ爆発はしないのよ。錠前を盗んで爆弾を仕掛けるだけなんて、やることが中途半端過ぎるわね」
「フラヴィ様。そこなのですが、こうも考えられないでしょうか?」
温厚なイサゴがいつになく険しい表情をしておりました。
「イロット橋が落ちたときの状況と合わせて考えてみたのです。橋は突然火の手が上がり、炎の中から数度爆発音がしたと聞き及んでおります。消火活動が間に合わなかったほど火の勢いが強かった、とも。大砲の大玉でも撃ち込まれたのならともかく、そこまで性急に火の手が回るものでしょうか」
「だから延焼を速めるため橋桁に油を撒いたり、火薬を仕掛けたんじゃないの?」
イサゴの意見にフラヴィが反論します。
「あの橋には管理人がおります。荷の中身によっては、特に大量の油や火薬を積んでいるとなれば目につきますから、橋の入り口で検められるはずなのです。そして通行人と荷は、渡りきるまでさりげなく監視されます。
しかし、彼らは不審を発見することができませんでした。管理人たちは身元の確かな、長くレンブラント家に仕えている忠臣者たちで、仕事を疎かにするとは思えません。伯爵様から直に任命され、仕事に誇りを持っている者たちであることは、このイサゴが保証いたします。
その者たちの監視を掻い潜っての仕業ですから、使用された油や火薬の類はその場で仕掛けられたものでは無く、以前から少しずつ細工されていったのではないかと」
それはつまり、犯人は何らかの理由を付けて橋を渡る際に、管理人たちの目を盗んで少しずつ、橋の要所要所に崩落のための細工を施していったと言うことでしょうか。
例えば、橋の途中で靴の紐を直すふりをして屈んだときにわざと落とした持ち物を拾いながら、橋桁の上に油を撒くとか、隅に火薬を仕掛けるとか。
伯爵様の信頼厚い使用人たちにケチを付けることはしたくありませんが、領内には領主の婚儀を楽しみにする浮かれた空気が漂っていることは認めます。
だって、領主の結婚なんていったら領民にはお祭りですもの。恩赦だの、振る舞い酒だの、ご馳走のお裾分けだとか。儀式に呼ばれた貴賓が、ご当地土産などお買い物してお金を落としていってくれたら、もっと嬉しいだろうし。
地域振興も兼ねた一大プロジェクト! 浮かれて当然、なのです。その気の緩みを利用したのでしょう。
なによ、その巧妙さ。腹立つ!
「あの頑丈な跳ね上げ橋を短時間で破壊するには、それなりの爆薬が必要でしょう。炎の足を速くするための油も、一瓶や二瓶では歯が立たぬくらいの加工をしたオーク材を使用しております。
いきなりの襲撃で簡単に崩壊するような柔な橋など、伯爵様はお造りにはなりませんよ。奥方様」
私を安心させるためでしょう、イサゴがそう言って笑いかけてくれました。
「爆破犯が何者であれ、橋に細工を仕掛け、準備万端成し終えたタイミングで犯行に及んだのではないかと」
「こりゃ、単独犯じゃないわね。あの軽業師は、その一味の斥候ってところかしら」
「わたしもそう思います。そしてあの軽業師は筒爆弾を仕掛け終わると、居館の物には手を触れず逃げ去ろうといたしました」
「あら、いたしましたとは?」
ここ、女騎士フラヴィと元女騎士ロラの微妙な意地の張り合いが……。
「それが。ティボーとわたしは爆弾の回収に回り、通りかかった使用人に後を追うように言いつけたのですが。
軽業師はことのほか逃げ足が速く、あと少しというところでロディー川に飛び込まれ、逃げられてしまったと――。申し訳ございません!」
ロラは、床に額をこすりつけそうな勢いで頭を下げました。





