37. エムリーヌ・ホルベインは退かない
突然飛び込んできた不穏な知らせに、大広間の和やかな雰囲気は一変いたしました。
テーブルのあちらこちらから、不安を募らせた大声や、悲鳴が上がります。ざわざわと落ち着かない空気が、空間を支配していきます。
「皆様、落ち着かれて! 浮き足だってはなりません」
私は着席したまま、声を張り上げました。驚きのあまり席から立ち上がりかけたのですが、それでは突然の事変に及び腰でいることを、皆の前で示しているようなものです。誰より浮き足だってはいけないのは、私。
この館の主人である伯爵様不在の現在、このピンチを切り抜ける差配をしなければならないのは、妻(正式にはまだだけど……)たる私なのです。
ですから己の恐怖心を沈めるために、大声を出して、この場の一同に静粛を求めたのでした。手の震えは、椅子の肘掛けを掴んで誤魔化します。
一方、鶴の一声に大広間は粛然となりました。そして誰もが私を見ています。なにを話すのか、どうしようとするのか、期待と不安に満ちた視線が子供みたいな伯爵夫人に注がれているのです。
賊よりも、その視線が怖いと感じました。しくじることは出来ません。でも、ここで退くわけにも参りません。
大丈夫、私には家令のイサゴ、侍女のロラにペラジィ、傭兵騎士隊の面々、そしてタビロ辺境騎士団の女騎士フラヴィだって側にいるのです。
皆を守り通して見せましてよ、モリス。
さあ。気を引き締めなおし、下っ腹と声に力を込め、言葉の先を続けましょう。
「不安はごもっともですわ。でも賊とは何者かもわからず、その数も、勢力もわからぬまま騒ぎ立てるのは、愚か者のすることです。まずは状況を正しく知ることが大事。そこのあなた、ええそう、駆け込んできたあなたよ。こちらへ――」
広間に飛び込んできた使用人は、入り口近くにいた傭兵のひとりに連れられて、私の前までやって参りました。テーブルを挟んだ向かい側まで来ると急いで頭を下げ、宴の席を混乱させてしまったことを詫びるのでしたが、今はそれよりも現状の把握が先です。
「武装した賊とは何者ですか、大挙とはどのくらいの数です?」
怯える彼がこれ以上取り乱さないように、私は落ち着いた声で、冷静に尋ねました。
「ロディー川の方角からやって来た一団は20名ほどでしょうか。その後、上流の方角からも4~50名ほど現れて……」
「はぁ!?」
フラヴィと私、思わず口を揃えて声を出してしまいました。
「ちょ……ちょっと待って。なに、その上流方向から来た集団っての!?」
「そ、その前に。ロディー川の方から来た一団って、川を遡ってきたアイツらでしょ。こっそりやって来た遊撃隊にしちゃ、人数多過ぎやしない!?」
私の、そしてフラヴィの予想では、川からやって来た一団はカルマン村を襲撃した海賊の遊撃隊。身をやつして目立たぬように川を遡って来たのですから、多く見積もっても5~6人だろう(筒爆弾を仕掛けていった軽業師もここに入る)という勘定でした。
それより、川の上流方向からも……って、なによ。そいつら、何者? どこから湧いてきたんだっ!
「奥方様!」
大広間の入り口付近で、よく通る声がしました。大股で広間を突っ切りこちらへ歩いてくるのは、傭兵留守居隊の指揮を任されているゼフラ中隊長です。加えて、ロラの恋人。制服の青い外套がよく似合うイケメン(伯爵様ほどではありませんが)ですわね――と云う感想はこっちに置いといて。
あらあら、外套のあちこちに泥が付いているのが、気になりますね。
私たちの前まで来ると、右足を引き、右手を身体にそえて、左手を横方向へ水平に差し出す挨拶をしました。さすが、騎士崩れのならず者と変わらない粗野な傭兵とは違います。辺境騎士団のおじさんたちとも違います。
やはりモリスの部下ですもの。雇い主がスマートだと、部下もスマートなのね。うふ。
はっ、いかんいかん。乙女の妄想は、しばらくナシよ。
「報告いたします」
誠実そうな瞳のゼフラ中隊長が申すには、賊は二手に分かれて、マスケット銃を手に騎馬で現れたとか。敵の姿を発見したときには、すでにロディー川を渡り終えていた、と。
不思議です。
そんな大群がどうやってロディー川を、気付かれることなく渡って来たというのでしょう?
伯爵様や傭兵隊が渡って行ったイロット橋は、爆破されて使用不能になったというのに、ですよ。
第一、そんな数の人馬が、武器を携えて移動したのならば、どうしたって音が立つし、目立つはずなのに!
「わからないのです」
申し訳なさそうなぜフラ中隊長。
駆けつけた傭兵数名が応戦中。敷地内のパトロールに出ていた傭兵たちも騒ぎを聞きつけて、徐々に帰還。応戦に加わるも劣勢だというのです。
う〜ん。
海賊が馬に乗って襲ってくるとは!
……って、その馬を何処で調達したんだよっ! この時代、長距離移動には手段として馬を利用いたします。人間と馬では、脚力も、機動力も違いますからね。
伯爵様のようにご自分で馬を何頭も所有していれば問題はありませんが、大方の旅人や庶民など非所有者は、馬主さんからレンタルするという手段を取ります。だから街道筋には、馬の賃貸業を営んでいる者も大勢いるのよ。
でもさ、レンタル料も高価いんだよ。ボラれるんだよ。訓練された良馬であれば、なおさら。
さらに言わせてもらうなら、馬は1頭や2頭じゃない。10頭、20頭でもない。短時間でこれだけの頭数を揃えるのは大変だよ。何処の伝手を頼ったんだ? レンタル料は一括払い、無難に分割払い?
貧乏だった実家だと1頭レンタルするのだって、大出費だったんだから! なのに、7〜80頭もいっぺんとなると、料金いくらになるの? 業者も、どこからそれだけの頭数を調達したのよ?
「それが、思いのほか、敵は馬の扱いに慣れているのです」
「か……海賊なのに?」
海賊だから乗馬は不得手ってこともないでしょうけど、中隊長の話によれば、賊の乗馬テクニックは上級者クラスらしい。傭兵隊の中隊長が「上級者」って言うのだから、相当「上手い」と云うことだわね。
「――ただ、その馬の駆り方が大層荒くて、まるで馬賊のようなのが気に掛かるのです」
その一言に、フラヴィが反応しました。
「ねえ、中隊長殿。その妙に馬の扱いの上手い奴らって、腕に赤い布を巻いていなかった?」
「ええ、よくご存じで」
フラヴィが舌を打ちました。
「……そいつら、山賊だ。ビスエヤ山脈を根城にしている山賊団の奴らよ。だから馬も調達出来たんだわ」
あー、そういえば国境警備をしているタビロ辺境騎士団の副団長から、大人しく態を潜めていると昨晩報告があった――と言っていたあの山賊団のことですね。
って、えーーーー!!
ご来訪、ありがとうございます。
やって来た賊の正体が少しずづ判明してきましたが、海賊? 山賊?
なににしてもエムは一歩も退かず、応戦するつもりのようです。でも、どうやって?
次回、更なるピンチが!?
敵もなかなかしぶとそうなのです。
次回をお楽しみに。