36. イロット橋、落ちた ☆
私には、3人の専属侍女がおります。
ダーナー騎士団のエレ騎兵中隊のエレ中隊長を夫に持つペラジィ、以前は自身もダーナー騎士団に所属していた女騎士でしたがケガが元で転職したロラ、そして私を姉のように慕ってくれるマルゴ。
身の回りの世話や衣裳・宝飾品の管理だけでなく、私が外出する際には同伴し、警護や『レンブラント伯爵夫人』としての活動や業務を補佐するのも彼女たちの役目です。
専属侍女などいなかった貧乏男爵家の娘であり、13歳から辺境騎士団の見習いとして貴族令嬢の生活とはかけ離れた日常を送ってきた私は、どうもその辺の事情に疎くていけません。ただ今、勉強中。
この館には使用人や召使いがたくさん居りますが、彼女たちは伯爵夫人付きの侍女ですから、他の使用人より格上の存在となります。
レンブラント伯爵家代々の家臣の夫人や娘といった素性が明確で、推薦状と身元保証人がいて、伯爵様の信頼もある人物でなくては就くことはできません。森の館に引き取られた孤児のマルゴも、しっかり者で気が利いて年齢が近いからという伯爵様の大抜擢だけでなく、老家令イサゴの養女としてそれ相応の身分も整え教育を受けてから、晴れて正式に侍女の職に就いているのです(――とイサゴに教えてもらいました)。
「ふんふん。騎士や貴族の殿方たちの身の回りの補佐をする近侍に近い存在ね」
「それそれそれ!」
「それそれ、じゃないわよ。伯爵夫人がそんな子供っぽい物言いでいいの? いや、レンブラント伯爵様は、そっちのシュミか?」
「フラヴィ、あんたなにが言いたいの?」
あ~、いけません。タビロ辺境騎士団で騎士の従卒をしていた頃からの付き合いである彼女が相手だと、気持ちも口調もその頃に戻ってしまいます。
こんなことではモリスの妻として宮廷に出仕することなど(レンブラント家は大貴族なのですよ!)叶いません。
「ねえ、シュミってなあに?」
小さなドニが、私のスカートを引っぱりながらそう尋ねて参りました。
モリスが保護してきた子供たちを可愛がっているのは本当ですが、それとまだ子供っぽさが抜けない私を妻に迎えてくださるのは別問題です。面白おかしくひやかしたいだけのフラヴィの冗談を、まだ幼いドニにどう説明すればいいのでしょう。
その時尽かさず間に入って収めてくれたのは、年長の侍女で自身も母であるペラジィでした。
「さあ、ドニ。ここからは奥方様はこの女騎士様と大切なご相談があるのですよ。お邪魔をしてはなりません。ほら、あちらでクマの曲芸をみんなと見ましょうね」
そう言ってドニを抱き上げてしまいました。
「やだよ、怖いもの」
「怖くなどありませんよ。ほら、逆立ちをしています。ご覧なさい、あなたのお仲間たちは、皆楽しそうに観ているでしょう」
そう言いつつ、子供たちのいるテーブルの方へと歩いて行ってしまいました。
ドニは私から離れるのが不満そうな顔をしていましたが、ペラジィに促されクマの逆立ちを観ている内に、興味はすっかりそちらに移ったのでしょう。首輪の鎖をじゃらじゃらと鳴らしながら忙しなく歩き回るクマに、視線は釘付けになっておりました。
「かぁ~わいいわねぇ。あの子。ドニちゃんだっけ。一年もしたら、あんたも子持ちになるのね」
ワインのグラスを傾けながら、悪友が言います。
「そっ、そんなこと、わからないでしょ! それよりフラヴィが子供を可愛いって言う方が怖いわ。明日雪でも降るんじゃないの!?」
「失礼ね」
「それは、どっちよ」
私は煽るようにグラスに残ったシードルを飲み干してしまいました。うっかり。
「奥方様ぁ、お行儀悪いわよ」
言われなくても、わかっています。飲み過ぎるとロクな事が無いことも、充分承知していますってば!
「それにしても。旦那、噂と違っていい人っぽいじゃない。よかったわね」
……っぽいじゃなくて、心優しいお方ですけど! マルゴが運んできたシードルのお代わりに口を付けながら、ついついフラヴィに向ける視線は棘のあるものになりました。
「心配してたのよ。いくらホルベイン男爵の昔の知り合いで、今やガランダッシュ宰相の片腕と知られるジョリイ伯爵が仲介の玉の輿婚とは云え、その実は潜入捜査で、相手は黒い噂がつきまとっているサイコパス伯爵。おっちょこちょいのあんたが務まるのかって」
そうでした。私が結婚するという態で、人身売買に加担している(推定)モリス・クリストフ・ジャン・マリー・レンブラント伯爵の捜査をするという任務を引き受けたと聞いて、一番腹を立てたのは親友のフラヴィでした。
伯爵様が実家の借金を肩代わりしてくれるのは良し、としても。
任務の報酬に納税金額の減額と、この将来父が弟に爵位を譲ったときの相続税免除というおまけが付いていた、としても。
私が家名の犠牲になることはないと、猛烈に怒りを爆発させたのはフラヴィだったのです。
「モリ……伯爵様は良い方よ。ホントはとっても領民思いで、お心も広くて優しい方。あの噂は人身売買組織を騙すための、殺されてしまいそうな子供たちを助けるための嘘であって――」
「あ~、いいわよ。その辺は調査書も読んだし、ギャレル・ダルシュから話も聞いたわ。そんなことしたらガランダッシュ宰相から睨まれるのに自分から泥被っちゃうなんて、アクティブが過ぎる気もするけど。
政略結婚の妻を粗略に扱っていないみたいだし、噂みたいに冷血漢で殺人鬼の人非人でないことはわかったわ。うぶな小娘を簡単に虜にしちゃう伊達男だってことも、認める」
フラヴィも杯を空けて、給仕にワインのお代わりを頼んでいます。
「ひどーい! モリスはそんな悪人じゃありません!」
「怒らなくても、わかっているわよ。この館の使用人や召使い、騎士団や傭兵連隊、さっきの侍女たちの立ち振る舞いや仕事ぶりを観れば、主人である伯爵様がひとかどの人物だってことくらい馬鹿でもわかるわよ」
「ばかってなによ」
「あたし褒めたのよ。酔っ払って頭働かなくなったの。シードルは程々にしときなさいよぉ」
多少血行が良くなった気もしますが、酔ってなんかいませんわ。
「エムは伯爵様のことを好きなんでしょ。ほれほれ、白状おし」
ニヤニヤ笑いのフラヴィの顔は憎らしいのですが、うなずくしかありません。
「……でも、側にいらっしゃらないの。今までこんな寂しさ感じたことなかったのに。魂が半分なくなっちゃったみたいに辛いし、不安で泣きたくなるの。どうして?」
フラヴィの栗色の眉がピンと持ち上がりました。
「恋しているからでしょう。――やれやれ。こんなかわいい妻を残して海賊退治に精出さなきゃならないなんて、伯爵様もお可哀想。あっちも心配こっちも不安じゃ、神経が参っちゃうわよ。
そうだ、エムは聞いているの。組織に加担している海賊ども、一隻は拿捕したけど一隻は不明だし、カルマン村から上陸したっていう一団の行方は途絶えたままだっていうじゃない。
どーなってんだか……。こら、メソメソしない。お帰りになったら、いっぱい可愛がってもらいなさい。タビロ辺境騎士団だって協力しているんだから、すぐに解決してお戻りになれるわよ」
そこへ心痛な面持ちのイサゴがやって参りました。目の前のテーブルの鴨肉料理を取り分けていた召使いたちを下がらせ、私のすぐ横まで近づくと、用心深く小声でこう伝えてきたのです。
「奥方様、イロット橋が落ちました」
ご来訪、ありがとうございます。
三人の侍女たち、向かって左側からペラジィ、マルゴ、ロラです。
本文中、エムリーヌとフラヴィが調子よくグラスを空けておりますが、フラヴィはともかくエムは飲み過ぎると失敗をするタイプなのでちょっと心配ですね。
折しも悪いニュースが飛び込んできて……。
この事件、どう転がっていくのか!? 次回をお楽しみに。





