34. それは敏腕家令のお仕事でしてよ
領地の管理って、誰がどうやっているのでしょうね。
これはロラのミスではありません。彼女は最善を尽くしてくれたのですもの。
軽業師がただの物取りだと軽く考え、対処を甘く見積もっていた私のミスです。
それより、その逃げた軽業師。自ら川に飛び込むとは!
「泳ぎも達者だったってこと? 何者かしら」
この国の人間は、誰もが泳げるわけではありません。訓練を受けた者とか、水辺で育った者なら多少は泳ぐことができますが、話によると川に流れの中を悠々と泳いでいったというのですから、かなり達者だと云わざるを得ません。
軽業師だから、泳ぎも上手い? なんてことはないわよね。
「それどころじゃないわよ、エム。筒爆弾を仕掛けていったということは、この館を爆破するつもりだってことでしょう。イロット橋に次いで、このレンブラント館まで破壊しようってことよ。
伯爵様にそんな恨みを持っている奴らって、誰なのよ?」
「恨み?」
南ターレンヌ及びカステの領主で、勇猛果敢で知られ、王家にも繋がりのある大貴族レンブラント家の当主に恨みがある人間なんて……。
う~ん。ピックアップすればそこそこ存在そうな気がしますが、つい最近婚約したばかりの私には詳しい知識はありません。
なんたって田舎の貧乏男爵の娘ですもの、宮廷貴族の因果関係なんてこれまで蚊帳の外の、そのまた外側だったのよ。知るわけ無いでしょ。
リオンと名乗っていた頃のモリスから、ある程度は座学で家系についても講義を受けたのですが、咄嗟にスラスラと出てくるほど覚えていなくって。
チラリと視線をイサゴに送って、助け船を出してと懇願してみます。
「伯爵家に恨みと申しましても――。レンブラント家は、長く南ターレンヌ地方を治めて参りました。現在の当主モリス様で十五代目、中には粗暴な性格で領民を困らせた方や、長らく戦争に出かけたまま領地経営は疎かになりがちだった方もおりましたが、先々代、先代、そして当代モリス様と、ここ百年ほどは領内は落ち着いております」
ほら、ご覧なさいと、自分のことでもないのに胸を張ってしまう。推しの功勲は、めっちゃ尊い。
「では、カステは? 半年前にレンブラント家の所領になったばかりだわ。隣国とのトラブル終結後に、報償として国王陛下からいただいたのよね」
「左様でございます」
それがなにか、と言いたげなイサゴ。片眉を吊り上げて、タビロ辺境騎士団の女騎士フラヴィが続けます。
「カステは元々ミロリー将軍の領地。将軍の死後、ガランダッシュ宰相が強引な手段を使って改易して、財産と領地を没収した。なのに半年も経たないうちに、陛下は伯爵にカステを下賜したのですもの。宮廷のみならず国内から驚きの声が上がったのは、記憶にも新しい。その問題の領地で軋轢とかはないの?」
ああ、それ!
リヨンから聞いております。
後継者が途絶えたミロリー家は、ひとり残された将軍の夫人が修道院に入る際、領地を国家に返上したのだと伺っていましてよ。それがいつの間にか、宰相が改易没収したという話になって、国内に流布しているのだとも。
ですがこの流言、登場人物が不幸な未亡人VSあの嫌われガランダッシュ宰相に、黒い噂のレンブラント伯爵ですから、それはもうあれこれ好き放題誇張脚色されて、大抵の国民は噂の方を信じていますの。
お恥ずかしながら、私だって真に受けていましたわ。ですからタビロ辺境騎士団にやって来た、あの方の使者の言うことを信じて、人身売買の証拠を探そうと意気込んでこの館にやって来たのですから。
「いいえ、フラヴィ様。カステでも、左様な混乱はございませんでした。伯爵様は、領民には公正で寛大な方でございますから」
「そりゃ、口ではなんとでも言えるでしょ」
「ところが、ホントに無ぇんだよ」
突然話に割り込んできたのは、こちらも只者ではない料理人のコルワートでした。着替えたのか、先程とは違うこざっぱりとしたチュニックを着ています。髪の毛にもブラシを当てたみたい。男前が上がっています。
話に夢中で、いつ広間に入ってきたのか、まったく気が付きませんでした。不覚でしたわ。
「よう、フラヴィ。その隊服、似合ってんじゃねぇか。魚売りのカッコより、やっぱこっちのほうがいいな」
フラヴィの纏う葡萄茶色のタビロ辺境騎士団の隊服を眺めるコルワートの顔、なんだか鼻の下が延びていませんこと?
すると、我が親友の顔もパッと華やいで。
「やぁねえ、コルワートったら。エプロン姿が可愛いとか言ったの、どの口よ!」
「あれは、あれでかわいいんだよ」
……ぇ!? お、お待ちになって。なんですの、この会話。
私とロラとイサゴを無視して、どうしてここだけ甘い雰囲気醸し出しちゃっているんですの? ふたりで、楽しい会話続けちゃっているんですの?
いつの間に、ふたりは親密になったの? ねぇ?
それより現在それどころじゃないって事実、忘れちゃったでしょ。おーい!
邪魔者にされたロラやイサゴ、私の冷たい視線、無視しないでくださいましな!
「いちゃつく前になにか報告があるのではないのですか、コルワートぉ」
「ああ、失礼をいたしました。ロラに頼まれたアレですが、料理女や下女たちと手分けして捜したところ、旧館には形跡はありませんでした。引き続き、館の周囲や庭園をゼフラ中隊長たちと捜しています」
ひとまず、いきなりドカーン(レンブラント館が大爆発!)ということはなさそうですね。でも筒爆弾仕掛けていったということは、イロット橋を落としたように、爆破させるためにまた戻ってくる気に違いありません。
館にいる客人の安全を確保するには、どうすれば良いのでしょう?
「……ねえイサゴ、フラヴィ、コルワート。あの軽業師は……って――。おい!」
私がしばし自問自答している間に、フラヴィとコルワートは、またふたりの会話に戻ってしまったようです。表向きは館の使用人と招待客ですから、それなりの距離と態度を保っていますが、幸せ感が顔色にでているよぉぉ。そこだけ空気が違うよ、わかってるぅぅ?
緊急事態対策会議に戻ってきてってばぁぁぁ。
「――まあな。領主が変わって、まったくトラブルが無かったとは言わねぇよ。
でもな。領地といったって、御領主様が直接出向いてあれこれ管理するわけじゃないしなぁ。農奴の監督官や農村の役人を束ねるのは、差配人や代官だ。現地の実質的な支配はそいつら役人に任せてある。
その領地を巡回して、滞りなく徴税されるよう、運営を監督するのは家令の仕事だ。伯爵様の直属の部下ってのはこの家令の方々までさ。だから下の役人にとっては、トップが変わったからって大きな違いは無い。税金を納める先がちょいと変わっただけで、過度の増税だの負担だの、無理難題を押し付けてさえこなけりゃ領主様ってのは誰でも構わない。下々の者は、ご尊顔を拝する機会なんて一生に一度あるかないか、だぜ」
ええ、その辺の事情は良く存じておりましてよ。私の実家ホルベイン家は一応男爵という爵位を持ってはおりますが、コルワートの言うところの「下の役人」のさらに下で、地方の小地主に毛の生えた貧弱領主ですもの。
領地はほぼ荒れ地で、特筆すべき産業もナシ。だから貧乏なんですね。お父様、お母様、幼い弟妹たち。みんなどうしているかしら?
ちなみに下級貴族のホルベイン家の上に中級貴族のお家々があって、その上がレンブラント伯爵家のような高級貴族。そのまた上に君臨しておられるのが国王様。立派な縦社会となっておりますのよ。
下々の者であった私も、国王様のご尊顔はおろか、納税先の先の高級貴族ヨラ侯爵のお顔も拝したことなどございません。
「むしろレンブラント伯爵家はターレンヌという豊かな土地を所有しているから、重税も増税も無いし、専属の兵隊がいるから徴兵で働き手を連れて行かれちまうって心配も、国を挙げての戦争とか余程のことがない限り無いあり得ないと思うがね」
「……あっては困ります」
あ、つい口を挟んじゃった。
コルワートに向けた視線が、つい、キツくなってしまったのは致し方ないとお思いなさいませ。そんなことになったら、農民たちの前に、伯爵様が戦場に趣かねばなりませんもの。やーめーてぇ~。
万が一、お父様のように大ケガをなさったら。どうしてくれるのよ!
「こんなこと言っちゃあ亡くなったミロリー将軍には申し訳ないが、将軍が亡くなったあとは領地の管理運営が上手くいっていなかったみたいで、伯爵様は速攻で敏腕の家令を送り込んで経営立て直しに着手させたらしいじゃないか」
「へーえ、そんな話は聞かなかったわねぇ。誰よ、その敏腕の家令って?」
「私でございます」
と、イサゴが小さく咳払い。
フラヴィが小刻みにうなずいている。納得したらしいわ。そこへたたみかけるようにコルワートが、
「そりゃあ、お貴族様には家門の栄光を守るための建前とか、見栄ってもんがある。我が家は困っていますとか、吹聴して回るようなバカはいないだろ」
バカ――。フラヴィの灰色の瞳がチラリとこちらを見ました。
吹聴したつもりはありませんが、ホルベイン家が貧窮しているのはタビロ辺境騎士団では有名な話です。それは入団歓迎会の時、私が酔った勢いで入団理由(お給料貰えてベッドと食事付き、とか)や今後の目標(手柄を立てて報奨金をたくさん欲しい、とか)を喋ったからで、その後も杯を重ねる度に同情半分興味本位半分で我が家の話をさせられ……。
ああ、黒歴史がっ!!
再び私のテンションがヘコんだのを察したコルワートが、矛先を変えようといたしました。
「まぁ~ったく、つまんねぇことしてくれやがって。せっかく俺が腕を振るった昼餐会に水差すようなことするなんざ、ろくなモンじゃねえな!」
ろくなもの……、碌でもない……、陸で無い……
私の頭の中でずっとモヤモヤとしていた不安の原因が、なんとなくわかって参りました。
「エムこん」にご来訪、ありがとうございます。
このお話には「家令」という職業がでてきますが、彼らはどんな仕事をしているのでしょう?
「家令」と「執事」、よく混同されますが「家令」は使用人全体を統括指揮する管理者(ハウススチュワート)の和名で、「執事」はハウススチュワートの下で男性使用人を指揮し、主人及び家族の身の回りの世話をするのがお仕事。そして、女性使用人を指揮するのはハウスキーパーと云うそうな。
家令は、主人が不在の時、領地経営や事業展開の指示までする場合もあるそうです。
この辺のお仕事の分担は、次代や場所、雇い主の家の規模とかによって変わってくるようなのですが、異世界ナーロッパのゆるゆる設定ですので「この物語ではこんな感じ~」くらいの感覚でスルーしてください。お願いします。
もひとつ。
ろくでもない、大方は「碌でもない」と「碌」の字を当てますが、語源は「陸」だったのだそうです。
そうだったのか〜と思いつつ予測変換の候補を見ていたら、ちゃんと「陸」の字ありましたっけ。(≧∇≦)
で、軽業師の正体。次回持ち越しになっちゃいました。
お楽しみにお待ちくださいませ!