34. もやもやな不安なんて打ち消して、昼餐会を始めましょうね ☆
こうしてナムーラ隊長率いる傭兵連隊は、伯爵様の後を追うようにしてペンデルへと出立したのです。
伯爵様がこっそり館にお立ち寄りになったことは、傭兵たちは知りません。が、なにかあったときのために、ナムーラ隊長にだけはこっそり伝えておきました。
トラブルを予感したというのではなく、もうちょっと不確かなもやもやとしたものが私の心の中にあって、それを落ち着かせたかったというのが本音でしょうか。
仔細を聞いた隊長が、驚くと共にこっそり小さくため息を吐いたのを、見逃す「鷹の目」エムリーヌではございませんことよ。伯爵様の御身の安全のためにはよろしくないことかもしれませんが、回り道をしてでも会いに来てくださったことは、とても嬉しかったのですもの。
堪忍してくださいな。と、ここで「愛しの旦那様の麗しいお顔が拝見できて、私、現在とっても幸せなのです」なキラキラスマイルで、隊長の「面倒事を増やさんでください」的な渋~いお顔に応戦。
「変装して、少人数でいらしたので? 仰ってくだされば、何名か伴を付けましたものを。
それで……ロディー川沿いに進路を取られた、フム。
おそらくイゴール川との合流地点で落ち合えましょう。もし伯爵様が先行してイロット橋を渡ったとしても、街道に出る前には追い付けるよう、我らも急ぐことにいたします」
「お願いね」
私の住むレンブラント屋敷は領都アピガの郊外、ロディー川とその支流になるイゴール川との中州にあります。もし戦争が起こって攻められたとしても、このふたつの川が天然の堀となり、敵の足を止めることになるのを想定したのでしょう。平時はこの川を行く船が、物資の輸送を担ったり、交通手段としても使えます。
話に出たイロット橋は、このふたつの川の合流地点付近に架けられた大きな跳開(跳ね上げ)橋です。それも橋桁の中央から観音開きになる、二葉跳開橋なのでしてよ。
この館へやって来るときに渡りましたわ。モリス……あの時は仮の姿でしたわね。彼の説明によれば平時は水運確保のために稼働するそうですが、元々は有事の際に敵の進軍を防ぐため、陸路を遮断してしまうように建設されたのだそうです。
それはもう立派な橋でしたから、物珍しくて馬車の窓から身を乗り出し、同乗していたリヨンとマルゴを慌てさせ……げふん。今のは、聞かなかったことに。
その橋を渡り一旦街道に出てアピガ経由でペンデルへ行くのが常套らしいのですが、それだと時間がかかりますし、このあたりの地理に詳しい伯爵様なら、遠回りを避けペンデルへの最短コースを行くのではないかとナムーラ隊長は言うのでした。
傭兵連隊も同じコースを取るので心配いらないと言われれば、それを信じるしかありません。
ああ。せめてこのもやもやの正体がわかれば、手の打ちようもあるのでしょうけど――などと思案を巡らす私の気鬱を打ち消したのは、スカートに張り付いていた小さなドニでした。
「お腹が空いた。エム、お腹が空いちゃったよ」
そうでした! 昼餐を、子供たちはお腹を空かせているのです。
子供たちは空腹を忘れ、傭兵連隊の最後の一兵の姿が見えなくなるまで、笑顔で見送りをしてくれました。良い子たちにお礼をせねば。
「さあさ、二階の大広間まで行きましょう。いっぱいご馳走を用意したのよ」
子供たちは歓喜の声を上げ、飛び上がったり駆け出したり、全身で喜びを表してくれました。ただ、その表現があまりにも騒々しかったので、侍女や使用人たちからたしなめられる羽目に。
そして二階の大広間に設えたテーブルの上のご馳走を見て、また喜びの声を上げました。
「もう! あなたたち、おとなしくしなさいよ!」
珍しくマルゴが声を上げて怒っています。
現在は私付きの侍女をしておりますが、彼女も少し前まではあの子供たちと一緒に、森の館で保護され共に暮らしていたのでした。レンブラント館では一番若い使用人ですが、今はすっかり「子供たちのお姉さん」の顔をしていたりして。
子供たちも、マルゴの言葉は素直に聞き入れるようです。大きく開いた口を急いで手で塞いだり、ばつが悪そうに唇を尖らせたり、急にシュンと肩を落としたりする子もいたのですが、それぞれ大人たちの指示に従ってテーブルの席に着いていきました。
そしてまた、目の前に運ばれてくるご馳走に目を輝かせて、ワクワクと逸る気持ちを抑えきれず身体を揺らしているのです。
もう、その様子が観ていておかしくって。
そして料理人のコルワートが切り分けた鶏肉のローストが子供たちの目の前に運ばれると、やっぱり抑えきれず歓声を上げてしまうのです。
石造りの頑丈な旧館の大広間は、天井がとても高く作られています。以前にも城塞のようだと申したことがありますが、天井付近に小さな窓が並んでいるだけで昼でも薄暗いのです。周りの壁は見事なタペストリーや絵が飾ってあるのですが、タペストリーはともかく厳めしいお顔で並ぶ歴代のレンブラント伯の肖像画は、幼い子供たちの目にはちょっと不気味に移るかもしれません。
だから鎧戸も今日は開け放たれ、天井から吊された照明器具にも全てロウソクを点して、なるべく部屋の中を明るくしてもらいました。良い香りのする香草を焚いてもらったり、吟遊詩人たちには早めに入室してもらって、明るい曲を奏でるようにもお願いしました。
でもそんな心配も、コルワートが腕を振るったご馳走があれば無用だったかもしれませんね。
「いいのよ。今日のお客様はあなたたちなのですもの。たくさん食べてね」
食欲をそそる温かな匂いに包まれた大広間に、ひときわ大きな歓声が上がったのは言うまでもありません。
この時代、天候不順や戦争などによって食糧事情の悪化は常でした。それに加えて、国王や領主へ税金を払わねばならず、身分階級の低い者は貧しさから抜け出すのが大変です。いつも空腹を抱え、低い賃金で働かされ、汗水垂らして稼いだお金も日々の糧と生活のために右から左へと流れて行ってしまうのですもの。
名ばかりのホルベイン男爵家も、いつもそのことに頭を悩ませていましたっけ。貴族と言ったって、裕福なのは財産運用術に長けたごく一部のお家だけです。(その点は、レンブラント伯爵家はとっても優秀ですわね。さすがです、モリス!)
この子たちもそんな時代の強風の被害者で、小さな瞳でたくさんの辛いことを観てきたのでしょう。悲しいことも、体験してきたのでしょう。現在は伯爵様の施しによって、衣食住は確保されているとは云え、幼い心に受けた傷はそう簡単に言えるものではないのかもしれません。
けれども。少しでも慰めになるのなら。
お腹を満たすという満足感、心を弾ませるという幸福感を味あわせてあげたいと思うことは、私のつまらぬ思い上がりでしょうか。
それでも、出来る限りのことをしてあげたいと考えてしまうのです。ホルベインの父がそうしてきたように、微々たる助けにしかならないのだとしても、です。
「さあさあ。エムリーヌ様もお席についてくださいませ。お客様方も揃われましたよ。伯爵様の代理として乾杯の音頭を。でなければ、皆食事を始めることが出来ません」
子供たちの面倒をみているマルゴに代わって、ペラジィが私を上座へと導いてくれました。
ところがドニはどうしても私と一緒でなければイヤだと、スカートに張り付いたまま離れようとはいたしません。ロラが子供たちの席へと連れて行こうとしたのですが、半ベソ顔で反抗しています。
人見知りをするドニの鳶色の瞳には、大広間という広い空間と大勢の大人がわいわいと騒いでいる姿は、もの恐ろしく映ったのかも。
留守居隊の傭兵たちも招待した(もちろん警備のパトロール隊と交代で、よ!)のだけど、ヒゲ面のおじさんでもご馳走を前にすると子供みたくはしゃいでしまうのって、どうなのよ。飲み過ぎて醜態さらさない限りは、大目にみるけど。
「いいわ。ドニの席は私の隣よ。その代わり、笑顔でお行儀良くしていてね。それが出来るかしら?」
「うん!」
良いお返事がかえって参りました。
と、いうことで。
「皆様。ご馳走と楽しい時間を共有する幸せと、レンブラント伯爵家の繁栄を祝福して。
――乾杯!」
その日大広間に集ったお客様たちにとって、それはそれは愉快な時間の始まりでした。
まだ続きます。





