32. 誰の仕業でございましょう ☆
イロット橋、それはレンブラント屋敷の建つ中州を挟んで流れるロディー川、イゴール川の合流地点付近に架けられた大きな二葉跳開(跳ね上げ)橋の名称です。中央からふたつに割れる橋桁は、釣り合い錘を利用して上げたり下げたりする構造でした。それを操作する管理人(同時に通行人を見張る役人)も常駐して、増水にも耐えられるよう石塁の橋台と橋脚を供えた、頑丈な造りであったと記憶しております。
あの橋が落ちたとは、いったいどういうことでしょう。
「木造の橋桁部分が焼け落ちて使用不能になった――ということでございます。詳しいことはただ今調査中ですが、パトロールにでていた傭兵連隊の隊員からそのような報告が参りました」
「焼け落ちた? 事故でもあったのですか」
「いいえ。原因不明の出火だそうです。偶然目撃した近隣の農夫の話では、橋の数カ所からいきなり火の手が上がったとか。異変に気づいた橋の管理人が、すぐさま小屋から飛び出したのだそうですが、その時にはもう橋桁は炎に包まれて、手の施しようがない状態だったと申しておりました。詳しい原因はまだわかりませんが、不審火であることは間違いございません。
しかも炎の中から小規模な爆発音が数回聞こえ、橋桁は完全に破壊され崩れ落ちたそうでございます」
「爆発音!?」
老家令イサゴの口から飛び出した不気味な単語に、つい眉根が寄ってしまいます。これは、ただ事ではございません。レンブラント家自慢のワインを味わっていた女騎士の顔にも、緊張が走りました。
私とフラヴィ、それにイサゴの三人で、緊急の臨時対策会議が始まります。もちろん、周囲には聞こえぬように小声で。
まだ昼餐会の最中です。私たちが浮き足立てばこの場に居る者たちが不安になりますから、内密かつ穏便にトラブルの処理をしなければなりません。芸人たちの品定めをしている風を装いながら、状況の整理をしていきます。
伯爵様のお留守にとんでもない一大事ですが、ここは伯爵夫人として(……あはは、照れちゃう)きちんと差配しなければいけませんよね。
がんばらなくっちゃ!
こんな時、有能で頼れる元同僚が側にいてくれたことはとても心強い。
「完全に失火じゃないわね。火の手の周り方が早過ぎるわ。おそらく橋桁に油を撒いて、炎上しやすくしてから火を点けた可能性が高いんじゃないかしら。しかも爆発音とは穏やかじゃない。火薬まで仕込んであったってこと?」
フラヴィが顔をしかめます。彼女が言うとおり、黒色火薬が使われた可能性は大きいでしょう。イロット橋の橋桁は、ガレオン船の製造にも用いる、頑丈なオーク材を使用していると聞き及んでおります。
炎だけでは燃え落ちないと踏んで、爆破するなんて。付け火の犯人は、どうしても短時間で確実に橋を使用不能にしたかったみたい。とんでもねーヤツだわ、って……はッ、いけない言葉使いが粗暴になっている!
「要領と手回しの良さからして、手荒なことに慣れた人間の仕業ね」
フラヴィが舌を打ちました。私だって、そうしたいくらいです(お行儀が悪いからしないけど)。
ずっと胸につかえていた不安の原因は、これだったのでしょうか。
いつからでしたっけ。モヤモヤと胸が騒ぎ出したのは。
そうです、確かナムーラ隊長が出立前に伝えてくれた機密情報。モリスとの逢い引き(きゃ~、いや~ん)に舞い上がって、すっかり忘れておりました。
渋いお顔で不安要素が増えそうとか念を押されつつ聞かされた内容は、えっと……。
「至急残っている傭兵連隊の隊員たちを配備に付け、原因解明と警備を強化することにいたしましょう。イサゴ」
「はい、奥方様。すでに留守居隊の隊長であるゼフラ中隊長には仔細を伝えております」
「さすが、レンブラント伯爵家の家令ね。仕事が早い!」
フラヴィが感心した声を上げると、イサゴも少し嬉しそうな笑顔を浮かべました。ベテラン老家令は、当然のことをしたまでですという態度ですが、やはり褒められると嬉しいのね。
そうです、あの橋を渡る予定でいたモリスは無事でしょうか。傭兵連隊はどうなったのでしょう。
「ご心配には及びません。伯爵様も傭兵連隊の方々も、無事に橋を渡られペンデルへ向かわれております」
良かった、と私は胸をなで下ろしたのですが、親友はもう少し先を考察していたようです。
「それは、誰から聞いたの?」
「イロット橋付近の警備に当たっていた残留組の傭兵連隊の隊員が、連隊の行軍が通過するのを目撃しておりました。伯爵様におかれては、通行する際に通行証の確認を行なっておりましたゆえ間違いございません」
「は!? 顔パスじゃなくて?」
フラヴィは知りませんが、モリスは家令のリヨンに変装しておりましたから、不要な説明に時間を取られるよりは、通行証をみせて管理人や役人を納得させた方が得策だと考えたのでしょう。おかげでご無事が確認できました。ホッ!
「ホッ、じゃないわよ。でも、橋の爆破は伯爵様や傭兵連隊を狙ったものじゃないみたいね。伯爵様たちの命を狙うのなら、橋を渡っている最中にドカーンとやっちゃえばいいんですもの」
「フラヴィ、恐ろしいことをいわないでよ!」
けれども彼女の意見は、もっともなことなのです。橋を落とした目的は、モリスや傭兵連隊の隊員たちを狙ったものでは無い――とすれば。
なぜ、イロット橋は落とされたのでしょうか。
このタイミングで橋を落とす意図は、どこにあるのでしょう。そして、誰がそんなことをしたのでしょうか。
伯爵様はお留守で、ダーナー騎士団はペンデルから動けず。
警護を預かるはずの傭兵連隊もそのほどんどが出動してしまい、ロディー川とイゴール川の中州にあるレンブラント館には留守居隊と使用人や召使い、結婚の儀のために集まった客人や芸人、そして私と子供たち――。
そうです!
イロット橋が通行不可になったことにより、このレンブラント館はアピガやペンデルへ向かう大きな街道から切り離され、孤立化してしまったとも言えるのではないでしょうか。もちろん中州に架かる橋は他にもございますが、そこまではかなりの距離があったはず。
孤立した館に、少数の部隊と大勢の非戦闘員。
思い過ごしならば良いのですが、あの不審な軽業師の態度が急に不安を煽ってきました。
そう言えば、先程フラヴィも言っておりましたよね。どうなっているのか、と。
なんでしたっけ。なにかが途絶えたまま不明だと……。
「イサゴ、嫌な予感がいたします。橋のこと、このままには出来ません。伯爵様にお知らせしなければ。大至急、誰かペンデルへ使いに走らせて」
「はい、奥方様」
すると、
「家令さん、もうひと仕事お願いできるかしら。シュミンナの郊外にタビロ辺境騎士団が駐屯しているわ。そこにも使者を出して欲しいの。どちらも急いだ方がいいかもしれない」
どうやら悪友の女騎士も同じようなことを考えていたみたいですね。
――と、そこへ侍女のロラが戻って参りました。