30. 意地悪な唇
「ああ、リヨン! リヨン!」
信じられません。どうして彼がこんなところにいるのでしょうか?
だって、あなたはアピガにいるはずでは?
彼の姿を見た瞬間、会えた喜びとさまざまな疑問が、頭の中を高速で回り出したのです。息をするのも苦しいのはここまで走ってきたせいなのか、リヨンのせいなのか、私は気が遠くなりそうでした。実際、脚がふらついて身体が揺らいだほどです。
「エムリーヌ様!」
彼が腕を伸ばし身体を支えてくれなかったら、本当に倒れていたことでしょう。図らずも、リヨンの腕の中に抱き留められることになってしまいました。そのまま彼の胸に顔を埋め再会の喜びに浸りたかったのですが、それってはしたないと思われないかしら?
そう考えたら頬が熱を持ち、一気に体温が上がるのを感じました。心臓の鼓動も、どんどん早くなっていきます。先程の全力疾走のせいばかりとは思えません。
「どうしてここに?」
名誉あるタビロ辺境騎士団の女騎士ともあろうものが、たった一言を尋ねるのにこんなにも苦しいなんて。顔も真っ赤に染まったままです。
なんて恥ずかしいのでしょう!
とにかく、一旦彼との距離を取ろうと身じろぎしたら、反対に、彼に抱き締められてしまいました。
うそ~~~~~~!!
「なっ、なっ……、なにをするんですかっ! リヨン!!」
「どうしても、あなたのお顔を拝見したかったのです。ペンデルに急行しなければならないのはわかっているのですが、その前にどうしても、ひと目あなたにお目にかかりたくなりました」
耳元で囁いてくれるその言葉は、天にも昇るほど嬉しいのですが、私、ただいま理性と感情がパニック状態です!
今朝いただいた恋文で、あなたが私のことを大切に思ってくださっていることは承知しています。が、こんなこと初めてで、どうリアクションを取ればいいのか皆目見当も付きませんの!
まるでいきなりレイピアの尖った先端で、心臓を一突きされた気分です。でも、痛いどころかなんだか幸せで。
身体の奥から湧いてくる熱い感情が、私の顔をだらしなくニヤけさせるのです。顔は火照ったままですし、私だってあなたに会いたかったと伝えたいのに、唇が上手く動きません。
「あの、ァ……」
「ひと目見たときから愛らしい方だと心惹かれましたが、離れたらより一層愛おしく思うようになりました。あなたと過ごした時間は、まだ僅かだというのに、恋に墜ちるには関係ないものなのですね」
それは私も同じですわ!
「これはわたしの独りよがりな懸想なのでしょうか? 顔にこんな醜い傷跡のある男は、やはり厭われますか?」
そんなことはございませんっ! といいたいのですが、舌は石のように重く唇は震えるばかりで。
ここで意思表示をしなかったら、彼に誤解されてしまいます。子供っぽいと笑われようが、貴婦人らしからぬ返答だと顔をしかめられようが、もうどうでも良くなりました。
このタイミングで想いを伝えなければ、女が廃ろうというもの。言葉が出ないのであれば、ボディランゲージで。
思いっきり首を横に振りました。
私の反応を探っていたリヨンの唇が、満足そうに弧を描いていきます。
「いつまでもあなたを抱き締めていたいのですが、やらねばならないことがあるのです。すぐに立ち去らねばなりません。お許しを――」
背中に回された腕が強く私の身体をかき抱き、そして長い指が顎を持ち上げ……
「ま、ま、まっ、待って。待って!」
ここでストップをかけられると思ってもみなかったのでしょう、リヨンは(前髪で表情の全部は確認できませんが)悲しそうな顔をしました(たぶん……だから前髪が邪魔なのよ)。
あああ、また誤解されちゃう。違う、違うんです。
「私だって、あなたと……。でも、このままでは結婚前から浮気をする、不貞な妻になってしまう」
姦通罪で棍棒に縛り付けられて追放――の刑は、イヤ~~~~!!
思わず、彼の着ていた上着をしっかと握りしめてしまいました。
「ですから、本当のお姿を見せてくださいませ」
縋るようにお願いすると、彼はクスリと笑いました。そのお顔のなんと魅惑的なこと!
「さすが、タビロ辺境騎士団の女騎士ですね。お気づきでいらっしゃいましたか」
彼の冷静なひと言は、心臓にもう一撃、バックステップからの強烈な突きの攻撃を喰らったような衝撃でした。
バレていましたか。あはは。
そうですの、女騎士である私の目は鷹のようによろしいのですよ。……って、ホントは騎士団仲間のフラビィから仕入れた情報で確信を得たのですけど。
形の良い唇に微笑みを浮かべたまま、リヨンは灰茶色の髪を指に絡め、スルリと鬘を外しました。途端、真夏の陽射しを連想させる豊かな光に満ちた髪が、私の目の前に降って参りましたの。
フラビィが言っていたとおり、ライオンのたてがみのような金髪です。それはもう、息を呑むほどの見事さで。
額に残る痛ましい大きな傷跡、心持ち吊り上がったアーモンド型の目。
その青い瞳は見覚えがございます。シードルの酔いが惑わせた夜、少し悲しげに私を見つめていたあの青い瞳です。現在は甘い熱を湛えて煌めいておりますが、このエムリーヌ・ホルベインが見間違えることなどあるものですか!
なのに、お顔を逸らそうといたします。
「お隠しにならないで。その傷もあなたの一部なのですもの。恐れなどいたしません」
「本当ですか?」
大きくて温かい手が、そっと黒髪を撫でてくださいます。
「伯爵様……、お目に掛りとうございました」
「わたしもですよ、エムリーヌ」
ようやく出会えた喜びにむせぶ私をなだめるように、伯爵様はそっとキスをくださいました。
ようやくわかりました。私は、心細かったのです。
たったひとりでレンブラント伯爵家へ嫁入りしたこと。マルゴはじめ使用人や侍女たち、傭兵隊の方々には優しく向かい入れていただけたとはいえ、夫である伯爵様にお目にかかることが出来ず、捨て置かれているようで怖かったのです。
身分違いの結婚ですから。
しかも持参金も無いし、それどころか借金の肩代わりまでしていただいた上での結婚です。その上、宰相閣下の密命を帯びて、伯爵家の内情を調べに来たのです。噂の真偽を調べると言うより、閣下の使者に脅され悪人だと信じ込んでいたきらいもありましたから、手の着けられない跳ねっ返りでしかありませんでしたわね。
そんな妻ですから、伯爵様が私のことを忌まわしくお思いでも、それはそれで受け入れるつもりでした。私だって愛してくださるなんて、そんな虫の良いことは考えないようにしていたのです。
でも、本当は嫌われたくなどなかった。
父や母のように、仲のよい夫婦になりたかった。
愛して欲しかったのです。
あなたが側にいてくれないことが、とても寂しかったのです。
「許してください。あなたには辛い思いをさせてしまいましたね。わたしは南ターレンヌ及びカステ地方の領主です。領民の暮らしと安全を、領地の繁栄を守らねばなりません。そのためならなんでもするでしょう。それがわたしの務めで、当然のことだと思っています。
しかしそれが当たり前だと思うあまり、無意識にあなたにもそれを強いてしまったようだ。あなたの不安や寂しさなど、考えもしませんでした。夫として、配慮が足りませんでしたね」
そして私は、背伸びをする子供でした。精一杯、虚勢を張っていたのです。
「この額の傷跡も、まだお若いあなたが、どう受け止めるのか不安だったのです。決して見目好いものではありませんから、悲鳴でも上げられたら居たたまれない」
「二年前の戦役の功労者で、剛胆だという伯爵様が?」
「そうですよ」
あら。以外と可愛らしいところもおありなのね。私は、一層伯爵様に身を寄せました。
「エムリーヌ……エム。あなたははつらつとしていて、真っ直ぐな女性だ。どんな困難でも笑って乗り越えようとする。辺境騎士団のハードな訓練でも実戦でも、弱音を吐かない勇ましい女騎士ではないのですか。
――こんなに寂しがり屋の甘えん坊だったとは知りませんでしたよ」
伯爵様の唇の端が吊り上がりました。からかっていらっしゃるの? そのお顔、意地悪に見えるから嫌いです。
「モリスです。ふたりきりの時くらいかわいい声で名前を呼んでください、エム」
柔らかく艶のある眼差しが見つめています。
「はい、モリス……」
伯爵さ……いえ、モリスがもう一度、私にキスをくださいました。
さっきより深く、熱のこもった……。
モリスのキスは、レンブラント伯爵家特製のシードルより甘く心地よく私を酔わせるのですわ。
ご来訪ありがとうございます。
「エムこん」は「イセコイ」なのです。大冒険活劇じゃなくて、異世界恋愛だったのですね。
これでジャンル詐欺疑惑は払拭ですよね?
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٩(。˃ ᵕ ˂ )وイェーィ♡
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