28. コクリコは傭兵たちを激励する
大階段前の玄関ホールには、すでに南の森の館から馬車で到着した子供たちが、待ちきれずに走り回っていました。侍女や使用人たちが大人しくしていなさいと注意しても、どこ吹く風で大騒ぎ。いつもは静かな石造りの旧館が、一気に賑やかになっています。
「エム!!」
やはり私を一番最初にみつけたのは、ドニです。一目散に私のところへ走ってきて、抱き付きました。
「エム、今日はとってもきれい。野原にいっぱい咲くコクリコ(赤いひなげし)より、ずっときれい!」
んもう、おませさん~! このお口の滑らかさは、誰の仕込みでしょう。
子供たちは次々と私の回りにやって来て、いつもよりゴージャスな装いを褒めてくれます。もう、みんな大好きっ!
大急ぎでお化粧と衣裳の乱れを直してくれたマルゴたち、恩に切ります。あなたたちも大好きよ!
そこへ家令のイサゴと傭兵連隊のナムーラ隊長がやって来ました。
「奥方様、傭兵連隊の出立の準備が整いました。これよりペンデルへ参ります。伯爵様の名代として、隊員たちに言葉を掛けていただけませんか」
さっきまではこそばゆかった「奥方様」という呼び方でしたが、モリスの気持ちを確認できた今はなんだか誇らしく感じます。
たとえ彼が隣に立っていなくても、私を支え、優しい微笑みで包んでいてくれるのはモリス・クリストフ・ジャン・マリー・レンブラント伯爵なのです。わたしは彼の妻として、大貴族たるレンブラント伯爵家の夫人としての自覚を持たなければいけません。
モリスのパートナーとして、私に出来ることをしなくては。彼に背中を預けてもらえるような……って、いけない。私はもうタビロ辺境騎士団の女騎士ではなく、伯爵夫人になるんだってばー!
「エムリーヌ様、どうかなさいましたか?」
「エム、お顔がヘンだよ~」
いっけな~い。私ったら、モリスのことを想うと顔が、顔が……自然とユルんじゃって。
なにこれ~。でへ。
――はッ!
い、いけないわ。顔が緩むなんて、貴婦人たるもの言語道断でしてよ。
ほら。マルゴとドニが、心配そうに私の顔を覗いているし、イサゴあえて見ないふり、ナムーラ隊長は唇を歪ませて笑うのを堪えているし。そんな百面相をしていたんですの、私?
振り返れば、ロラとペラジィはうなずいている。
くうぅ。完璧な伯爵夫人への道程は険しいですわ。
玄関前には、傭兵連隊の面々が意気揚々として整列しておりました。壮観です。
静かに進み出て(もちろん、もう顔は引き締めておりましてよ!)居並ぶ連隊の猛者たちの見渡すと、その頼もしい顔つきに私の心も高揚して参ります。
ほんの少し前までは、タビロ辺境騎士団の女騎士として整列する側におりました。その私が、皆の前に立ち、出動する彼らを鼓舞することになろうなんて。
重大なお仕事です。
緊張で脚が震えて参りましたが、幸い三枚重ねの丈の長いスカートが隠してくれます。顔を上げ胸を張り、もう一度傭兵たちの顔を隅から隅まで見回すと、不思議なもので言葉が溢れて参りました。
「勇敢なる連隊の皆様、お役目ご苦労です。
皆も知ってのとおり、我らがレンブラント伯爵様は、ペンデルで海賊たちを一掃しようとしております。かの者たちは、クオバティス沿海を海域を荒らし、伯爵様の領地にまで出没しては領民を泣かせ、そのことは高潔なるあの方を悩ませ続けているのです。
また実態の掴めぬ人身売買組織がのさばり、人々を悲しみの淵に追いやっているとも。悔しいことにその悪人たちは手を組み、我が国のみならず、バンディア大陸の国々全てに魔手を伸ばしているのだとか。
かようなこと、許すことは出来ません。
伯爵様は汚名を被ってでも、この悪人たちを一掃したいとお考えです。ご自分の手で領民の平和な暮らしを守り、災いの元を追い払おうとしておいでです。私は、伯爵様の妻になる者として、あなた方の力を借りたい。
如何に悪を退治するためとはいえ、高潔なあの方に、これ以上偽りの黒い噂を纏わせたいとお思いですか?
私は、イヤ!! ここに集う者は、皆そう思っているのでは無いの?
でも――ようやく機会がやって来たのです。組織を叩き、海賊たちを追い払い、平和を取り戻す時が!
今、我らは心をひとつにして奮起するときなのです。
さあ、レンブラントの名の下に集う勇者たち。
伯爵様をお守りして。そしてあの方の名誉を回復し、国のため領民のために尽くす貴いお姿を国中に……いいえ大陸中に知らしめて!
そのためにあなた方、傭兵連隊は現在よりペンデルへと向かうのです。そして存分に働くのです。伯爵様は、報酬を惜しみますまい。レンブラント家の傭兵連隊の名をバンディア大陸中に響かせる、絶好の機会だと思いなさい。
あなたたちは名を上げ、我らがレンブラント伯爵様には安寧を!
悪には鉄槌を!
そして全員が無事に帰還すること!
これが私の希望です。
勝ちて帰れ!」
私が叫ぶと、それに傭兵たちが続きました。
「勝ちて帰れ! レンブラント伯爵様に栄光を! 我ら傭兵連隊に名誉を!」
口々に鬨の声が上がりました。傭兵たちはすでに勝利を手にしたかのような輝かしい瞳で、頬を高揚させ、各々腰のレイピアを抜き放ち頭上高く掲げ力強い言葉を連呼します。
玄関前の広場は力強い声に埋め尽くされました。
すると大きな扉の奥でこの様子をジッと見守っていた子供たちが、ひとりふたりと表へと飛び出して参りました。そして私の後ろに並び、同じように大きな声で、
「勝ちて帰れ!」
と叫びだしたのです。思わぬ応援の声に、傭兵たちも、私も、驚きよりもうれしさが勝り、何度も何度も声を上げ続けました。
小さなドニも、恥ずかしいのか、それとも大きな声が怖いのか。私のスカートを掴んで離さないくせに、もう片方の腕は、小さな拳を突き上げているのですもの。
もう、おかしいやら。嬉しいやら。
「やれやれ。兵たちの士気が上がったはよろしいが、これは煽り過ぎですぞ。奥方様」
控えていたナムーラ隊長の苦言が聞こえて参りました。が、困ったような口を利きつつも、そのお顔は満足そうに笑っています。
ただ、とても大柄な隊長の姿にびっくりしたドニは、私のスカートの後ろに急いで隠れてしまいました。
「だって、私は早くモリス……いえ、伯爵様にお戻りいただきたいのですもの」
ドニに嫌われてしまったナムーラ隊長は、困ったように眉を寄せております。なだめても、ドニはスカートの影から出て来ようとはいたしません。いかついお顔は子供ウケしないようですね。
困り果てた隊長は、咳払いをひとつ。
「伯爵様は、幸せ者でございますな」
と、うなずきました。
もう、からかわないでくださいましな。
でも。
早くお戻りいただきたいのは本心なのでございます。本当は、私も一緒にペンデルに行きたいくらい。
さっき、お別れしたばかりなのに。
ヘンなのです。
モリスのことを考えると、心が弾むと共にとても切なくて。――これが「愛しい」ということなのでしょうか。