24. 貴婦人の装いは威厳を示すものであって、利便性は皆無なのですわ
子供たちを迎えに行く馬車の手配も済み、大広間の準備もほぼ整ったようです。芸を披露してくれる芸人たちの人選はイサゴに任せてあるので心配はなし。
さあ! と思ったところで、マルゴからお召し替えをと催促されました。
「え? だって、子供たちと食事をするだけですもの。着飾る必要はないでしょう?」
「エムリーヌ様は伯爵様の名代として、芸人たちの人選もなさるのでしょう。ならば『レンブラント伯爵夫人』としての体裁を整えていただかなければなりませんわ」
「内輪の席でしょう、だからこのままでも…………」
早くドニたちに会いたい私は、いちいち着替えるのに乗り気ではなかった(だってお着替えも一大事なんですもの!)のですが、侍女たちの表情は「絶対ダメ!」だと言っております。
「エムリーヌ様がお美しく装っておいででしたら、子供たちはきっと喜びますわ!」
目をきらきらさせてマルゴが言うと、
「芸人たちも張り切ってパフォーマンスをすることでしょう!」
「お任せくださいまし!」
言うが早いかロラは衣裳部屋へ、ペラジィは化粧の支度を調えに向かいます。もう、彼女たちの意見に従わないわけにはいきません。かわいいドニたちに喜んでもらえるのならば甲斐もありますわ、よね。
なにより、伯爵様の面目に傷を付けるわけには参りません。だって、ほら。私はモリス・クリストフ・ジャン・マリー・レンブラント伯爵の(もうすぐ)妻ですもの。
うんうんとうなずくマルゴに連れられ、私は昼餐用のドレスに着替えるため、一旦部屋へ戻ることになりました。
着替える度に思うことなのですけれど、伯爵様は私のために、一体何着のドレスを新調なさったのでしょう? つい最近まで、古着をすり切れるまで、すり切れたら繕って着回してきた私としては、真新しいドレスに袖を通す度に恐れ多い気持ちを抱いてしまうのです。
同時に私の身につけるそれらの品々は、レンブラント伯爵家の権威と財力を誇示するものでもあるのですから、あだや疎かには出来ません。豪華な織りのドレス地や美しい刺繍、繊細なレースにリボン。どれも貧乏な田舎貴族の娘には、金銭的にも、格式から云いましても手の届かないもの。
なかには伯爵家に代々受け継がれてきた価値ある装飾品もございます。
レンブラント伯爵の妻であるから許された装い、地位の象徴でもあるのです。
幼い頃に母から聞かされた、王宮の貴婦人たちの優雅な装い。憧れはしましたが、到底自分には夢のまた夢だと思っておりました。優雅とはほど遠い、お転婆の跳ねっ返り者でしたし。
まさか、自分がこのように美々しい衣裳を身に着ける日が来ようとは!
「そうだわ。ねえマルゴ、伯爵様からいただいた真珠のネックレスを持ってきてちょうだい。伯爵様の名代としての初仕事ですもの、失敗は出来ないわ。でも、あの首飾りと一緒なら心強いから」
するとマルゴがにっこりと笑います。
「そう仰るのではないかと思いました。ちゃんと、ここに用意してございます」
取り出したケースを開くと、そこにはネックレスが。
六月の陽を受けて、真珠は柔らかく輝きました。珠の中に淡い光が揺らぎます。
「さすが、私付きの小間使いね」
「はい!」
少し得意げにマルゴが微笑んでいます。その笑顔が子リスみたいに見えて、私は思わず抱き締めてしまいたい衝動に駆られました。
「着けてくださる」
「はい!」
マルゴはいそいそとネックレスを取り出すと、私の背側に回り込み、そっと首元に掛けてくれました。そんな私たちのやり取りを見ていたロラが、袖の膨らみを整えながら口の端を綻ばせております。
楽しい昼餐の前の穏やかなひとときでした。
そこへもうひとりの侍女、ペラジィが戻ってまいりました。
「コルワートが至急お越しいただきたいと申しております」
館の厨房を取り仕切る料理人が?
なにか不都合があったのでしょうか。スープが足りなくなってしまったとか、メインディッシュを運ぶ際に粗相してひっくり返してしまったとか?
支度も調ったことですし、南の森の館の子供たちも到着する頃合いですから、出迎えのために玄関へと移動しようと思っていたところです。移動しながら話を聞こうと部屋を出て、廊下の端に控えていたコルワートに尋ねようとしたら、
「奥方様、お急ぎになってください。説明は後でしますから、とにかく急いで!」
言うが早いか、階段を駆け降りていきます。呆気に取られていると、
「お早く!」
と、催促の声。
なにがなんだかわからない内に、私は彼を追って走り出さなければならなくなりました。
しかし、貴婦人たるもの、本来はダッシュなんてもってのほか。エチケット違反も甚だしいことですし、それよりなにより重ね履きした三枚のスカートが脚に絡まって上手く走れません。
こう見えましても、私は女騎士ですから、レイピアを腰に下げ走った経験もあります。(アレ、鉄製ですからね。見た目以上に重いんですのよッ!)
加えて子供の頃より駆けっこには自信がございました。兄妹で一番、タビロ辺境騎士団でも遅い方ではございませんでしたわ。
なのに。重さは剣の比較では無いと云うのに、捌いてもペチコートは脚に絡まろうとするし、スカートは揺れて重心を乱そうとするし。貴婦人の装いには利便性が欠如しています。ドレス姿って、なんてまどろこしいのでしょう。
裾を踏んづけて無様なことにならぬよう、小さな靴が脱げぬよう気を揉みながら、料理人のあとを必死で付いていくしかありませんでした。
「どこまで連れて行こうというのですか、コルワート。もうすぐ昼餐の時間です。私は子供たちの元へ行かねばなりませんのよ」
階段を駆け下り、居館の一階へ。
「ですから、お急ぎになってください!」
ホールを抜け、客間やギャラリーを素通りして、旧館の方へ。ところが大広間のある二階への階段を素通りしていきます。やはり厨房でなにか一大事でもあったのでしょうか?
もちろん、すれ違う使用人や傭兵隊士たちの不思議そうな顔には、笑顔で対処。かえって疑問が深まったかもしれませんが、他にどうすれば?
ところがその厨房も通り抜けようとしています。
「すみません、こっちの方が近道なんで。ドレスを汚さないようにしてくださいよ」
わかっているなら、近道の順路も考えてよねっ!
片付けをしていた下女たちが、慌てて脇に寄り、道を空けてくれました。家庭菜園へと繋がる出口に下女のネルが立っていて、こっちこっちと手を振っています。
さらに彼女の前を通過して、菜園の脇を走り抜けようというのですが、
「待って、待ってコルワート。これ以上速く走ったら、靴が脱げてしまいます!」
「それでも急いで――ああ、靴は脱げないように走ってください!」
だから、それが大変なんだって――!!
菜園の脇を散歩していたアヒルの親子が、私たちの血相に驚いてガァガァと騒ぎ立てておりましたが、コルワートは物ともせず蹴散らして走っていきます。本当にどこまで行こうというのでしょう?
なるべく地面の固そうなところを選んで、誰にも観られていないことを願ってスカートの裾をたくし上げ、それでも必死に料理人の後をついていったのです。
館の西の端に小さな建物がありました。菜園を手入れする際の道具などを仕舞っておく小屋でしょうか。粗末な造りでしたが、コルワートはその小屋の扉を開け「中にどうぞ」と申します。
「どうぞ」と云われても、農機具小屋に「まあ、ありがとう」と言って入って行く貴婦人はおりません。一瞬躊躇ったのですが、懇願するようなコルワートの視線に逆らえず、私は覚悟を決めて足を踏み入れたのでございます。
狭い小屋の中は埃っぽく薄暗かったのですが、置かれた器具の影に、隠れるように立っている人物がおりました。お忘れにならないで。私、目は鷹のように良いのです。
スラリとした上背のある人影。
顔を半分も覆う、重い前髪。
「エムリーヌ様」
この声! 間違いありません。
「リヨン!!」
ご来訪ありがとうございます。
離ればなれになっていたエムとリヨンがようやく再会。
ハッピーエンドは確定しているので、お話は甘い方向に進むと思う……のですが。
次回をお楽しみに。